奏と舞台公演と

 日曜日。

 炊飯器から上り立つ白米の香りに誘われて、目覚まし時計のアラームより少し早めに目覚めた奏。

『・・・携帯、取って』

「おはよ。起こしちゃった?」

『ううん、おはよぉ。何作ってくれたの?』

 カーテンをシャッと開けると、目を細めてしまうほどの朝日が差し込んできた。

『うぉぉ、溶けるがなぁ』

「悪魔のおにぎりと夕飯の残りでしょ。それとあさりの味噌汁。んで昨日、美味しそうな沢庵を見付けたから今それ切ってる。食後に静岡県産のお茶を急須でどうでしょう?」

『ぷはー、いいですな』

 今日は、劇団の舞台公演の日。

 今回の公演は伝統的なもので、入団して半年未満の新人たちにスポットをあて、彼らに商業演劇の楽しさと難しさを、肌で感じてもらいたいという狙いがある。

 だが実際は、虎の穴だったりして、篩にかけられて残る者は極僅か。もちろん奏と僕も経験済み。

 劇団に残ることが許されると、この伝統公演の最中、劇団員は必ずスタッフとして、支える側に回される。

 この準備期間中、僕は大道具兼照明スタッフとして走り回り、本番日には照明スタッフとして薄暗い小部屋に軟禁される。もう慣れたものだ。

 一方で奏は、初めての新人指導係に任命され『おおぅ』と驚いた表情。でも実際は、かなりワクワクしているのが、その表情から読み取れた。

 さらには、新人たちと一緒に舞台に立つことにもなり、なおさら活き活きしている。

 衣装スタッフを務めてきた今までとは違い、大変だったみたいだけど、この半年は素晴らしいかてになったみたいだ。



 うちの劇団には、座長のさらに上に演出家の先生がいらっしゃる。

 奏はいつしか『狸おやじ』と呼ぶようになり、なるほどピッタリの呼び名だなと、僕も釣られてそう呼ぶようになった。彼がここの主である。

 稽古は週に2回。公演が決まらない限りは基礎稽古を繰り返す。

 座長が稽古場に顔を出すことは滅多になく、狸おやじが「のそ~」っと入ってきて「じと~」と眺め、腰巾着となにやらヒソヒソ話し出す。

 機嫌が良いと細かな稽古をつけて下さり、機嫌が悪い時は無言でスーッと出て行ってしまう。明らかにニコニコした表情で入ってきた時は、よく昔話を聞かされる。

 狸おやじには芸能界での長いキャリアがあり、そんな昔話だけで3時間ある稽古の3分の2が終わってしまうことも少なくなかった。

 実のある話もあれば、単なる自慢話だけで終わる時もある。そんな話を、あぐらで楽に聴く者、三角座りで聴く者、正座をして聴く者とそれぞれ。

 稽古場はフローリングなので正座はキツいけれど、これも礼儀だと必ず正座をする僕と、あまり深く考えず三角座りの奏。

 絶好調おしゃべり狸から解放され、もう自分の足があるのかないのか、感覚すらない産まれたての仔馬スタイルでプルプルしている僕。

 私には出来ないことだと尊敬してくれているのやら、ここぞとばかりに楽しみたいのやら、

『いやぁ尊敬しちゃうなぁ』

 とニヤついた表情で足を攻撃してくる奏。そして「大月さん!」と少しキツめの口調で、お局様に呼びつけられるいつもの光景。

 稽古終わりの掃除を無視して、楽しんでるつもりじゃないんだけど。ね、そんなもんだよ。

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