第66話、仕事(役目)

「んあ?」


 ちゅんちゅんと鳥の囀る声が耳に入り込み、明るい日差しが瞼の上から差す。

 それが賢者の意識をゆっくりと覚醒させ、寝ぼけた声を上げながら瞼を開く。


『グォン』

「む、おあよう、くまよ・・・ふああああ・・・あれ?」


 熊に朝の挨拶を返しながらあくびをして、そこで賢者はやっと疑問に思った。

 何故ベッドに寝ているのかと。いつの間に朝になったのかと。


「儂、いつの間に自分の天幕に・・・いや待て、その前に儂何時寝たんじゃ・・・?」


 必死に記憶を思い出そうとする賢者だが、会議用の天幕に入った辺りから記憶が怪しい。

 その時点で既に眠気に負け始めており、寝ない様に必死になっていた記憶しかない。


(・・・うん。儂何も覚えとらんな!)


 そんな情けない結論を受け入れた賢者である。開き直ったともいう。


(仕方ない。だって儂幼児じゃもん。本当はすやすや眠ってるお子様じゃもん。深夜に起きただけでも頑張ったと思うんじゃよ。夜更かしなんて幼児に出来る訳なかろう?)


 若干開き直れていないせいか、心の中でそんな言い訳をしてはいたが。

 何はともあれ覚えていないのでは仕方ないと、伸びをしてから賢者は立ち上がる。

 そして外の兵士に侍女を呼ぶように頼もうとした所で、当人の声が天幕に届いた。


「お嬢様、失礼致します」

「うむ、おはようザリィ」

「あら、おはようございますお嬢様。起きていらしたのですね。昨日の事がありましたから、もう少々寝ているかと。寝不足での不調等はございませんか?」

「問題ない。爽快な目覚めじゃよ」

「そうですか。まあお嬢様は移動中もお昼寝をされているようですものね」

「だって暇なんじゃもん。仕方なかろう?」

「・・・まあ、今のお嬢様でしたら、問題は無いですけどね」

「ほむ?」


 賢者と青年は同じ車で移動しているが、その車には個室が前後に分かれている。

 分けられた前の個室に護衛や侍女が居り、時々賢者の様子を伺っていた。

 なので賢者が割とダラッとした日々を送っているのは良く知っている。


 ただ淑女が家族でもない男性の前で無防備に寝る、というのは本来余り宜しくはない。

 しかし寝ている淑女がまだ幼児と言う事を考えると、今は問題は無いだろう。

 賢者は何か心配されているのは解ったものの、中身が解らず首を傾げるだけだった。


「所でお嬢様、昨日の会議の内容は覚えておいてですか」

「うむ、まったく、さっぱり、これっぽっちも覚えておらん」


 胸を張って宣言する賢者に、侍女は優しい苦笑で返す。


「でしょうね。殿下に抱えられて出てこられましたから。外で待っていた私や大旦那様は何事かと慌てたんですからね。全く」

「仕方なかろう。儂これでも幼児じゃぞ。夜更かし何ぞできんわい」

「しっかり昼寝をしているのにですか」

「うっ・・・こ、子供はいっぱい眠るもんなんじゃ!」

「ふふっ、そうですね」


 本気で賢者を責めるつもりは無いが、心配したという愚痴ぐらいは許されるだろう。

 そんな気安い侍女の優しい笑みに、賢者はむーっと膨れるしかできない。


「さ、起きているなら支度をしてしまいましょう」

「むぅ、色々言って来たのはザリィではないか」

「ふふ、すみません」


 戦場に赴く身とは思えない日常の雰囲気で、賢者と侍女は朝の支度を整える。

 賢者は幼児とはいえ貴族であり、しかも今回の戦争での重要人物だ。

 誰が見てもしっかりと映える格好を求められる。


 まあ大半の兵士は、可愛らしいな、としか思ってはいないが。

 そうして支度を整えたら天幕を出て、祖父とも朝の挨拶をして食事を貰う。

 賢者が食事を食べ終わる頃には移動の準備は終わり、用意された車にいつも通り乗り込んだ。


 そこで賢者は、何か足りないなと首を傾げ、すぐにその理由に気が付く。


「おはよう、ナーラ」

「おお、ローラル。今日は何か足りんなと思ったら、お主が居らんかったのか」

「まさか今まで私の不在に気が付いてなかったのかい?」

「うむ」

「・・・そっか」


 一切を気にせず応える賢者の頷きに、青年はちょっとだけ悲しみを覚えた。

 とはいえまだそんな物だろうと、すぐに気を取り直していつも通りの位置に陣取る。

 つまり賢者を一旦抱えてから、膝に乗せるという何時もの形に。


「それでナーラは、昨日の話はどこまで覚えてるのかな?」

「あー・・・すまん、これぽっちも覚えておらん」


 侍女に対しては何時もの調子で返した賢者だが、流石に青年には申し訳ない態度を見せる。

 けれど青年はそれを気にした様子なく、クスクスと笑ってから口を開いた。


「まあ、そんな気はしてたよ。ごめんね、無理をさせて」


 優しく頭を・・・ではなく耳を撫でる青年に、賢者は謝る気が失せた。

 先程までの表情が消え、ちょっとむっとした表情で賢者は応える。


「そうじゃぞ。これでも儂まだ幼児じゃからな」

「そうなんだよね。普段しっかりしてるからつい忘れそうになるよ」

「儂はこんなに愛らしいというのにどうやって忘れるんじゃ」

「あははっ、そうだね、申し訳ない」


 そんな普段通りのやり取りをしばらくして、溜息と共に賢者が本題に入る。


「で、儂はどうすれば良いんじゃ?」

「細かい話は聞かないのかい?」

「正直眠くて眠くて仕方なくて、何を話していたのか本当に頭に入っておらん。じゃが解る事が一つある。儂に求められるのは戦場働きという事じゃ。先ずは儂の仕事を教えよ」

「・・・そういう所が、年齢を忘れさせるんだけどね」


 目の前の可愛い熊耳幼女の、歳に似合わない言動と表情に苦笑する青年。

 確かに賢者には細かい話など必要ないのだろう。彼女に求められるのは圧倒的な武力。

 勿論その武力を理不尽に振るわれては困るけど、膝の上の娘がそんな事をするとは思えない。


 なら先ずは本人の要望通り、彼女にして貰う事を先に告げる方が良いかと判断した。


「君には戦場に出て来るという元首を、出来る限り正面から打倒して欲しい。確実に息の根を止める様にしてくれると尚良いかな」

「確実に息の根を、か」

「うん。元首だけは、逃がせない。元からね」

「・・・成程、承知した」


 元から元首は逃がせない。つまり元からこの戦争で打ち取るつもりだった。

 ただしそれはどんな形でも良くて、いざとなれば青年が敵地に乗り込む気だったのだ。

 今の短いやり取りでそれを察した賢者は、けれど特に突っ込む事はせずに了承を返す。


 ただ青年の胸に体を預けながら、手を伸ばして青年の頭を撫でた。


「気にするでないぞ。儂は儂の務めを果たすだけじゃからな」

「・・・うん、ありがとう」


 戦場で戦った結果殺すのではない。殺す為に戦場に向かう。

 結果は同じでも中身が少し違う。青年はその違いを賢者に意識させたくなかった。

 けれどこうなった以上は誤魔化す事も出来ず、賢者には申し訳ない気持ちを抱えていた。


 けれど賢者は気にするなと、優しい笑顔で、その笑顔通りの優しい手で撫でる。


「敵わないなぁ。今の君に敵わないのでは、一生適う気がしないね」

「フフッ、何せ儂は精霊術師筆頭じゃからのー」

「ええ、頼りにしております、筆頭殿」

「任せるが良い!」


 そうして賢者も青年も重い雰囲気は無く、二人の乗る車は戦場へ向かう。

 戦争に勝つ為に。そして何よりも、確実に人を殺す為に。

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