第51話、逢瀬(ただの連絡)

「姫様、お帰りなさいませ」

「うむ、ただいま」


 賢者が侍女と共に玄関に向かうと、使用人の一人が笑顔で出迎えてくれた。

 だがそこに母の姿も祖母の姿も無く、祖父の姿も見当たらない。

 何時も必ず居る訳ではないが、大体において誰か一人は出迎えてくれる。


 それが今日は無い。ただそれだけの事が、やはり何かあったと思えてきた。


「客人が来ておる様じゃな」

「はい、王太子殿下がお待ちになっております」

「本当に来とったのか・・・良いのか王太子が気軽に出かけて」

「それは私には何とも・・・」


 王家の車という時点で、少なくとも自分に関係する事なのは想像がついている。

 ただ本当に青年が来ているとは思っておらず、少々の驚きと呆れで呟く賢者。


 とはいえ来たのが誰であろうが、訊ねて来た理由の方が大事ではある。

 むしろ大事な事だからこそローラルが来たのかもしれん。

 等と考えつつ屋敷の中に入り、出迎えてくれた使用人に促されつつ客間へ向かう。


「王太子が訊ねて来るのに先ぶれも無しでは、ローラルは父上に睨まれていたのではないか?」

「一応ありましたよ。姫様が出かけてからですが」

「ふむ、あ奴が到着したのは何時頃なんじゃ?」

「昼過ぎ頃です。それからずっとお待ちですね」

「それは大分待たせとるな・・・誰か山に人をよこせば良かったろうに」


 賢者は朝食を食べた後軽いお茶の時間を取りはしたが、その後はずっと山に籠って鍛錬だ。

 熊との鍛錬は日が傾く少し前に終わらせ、となれば家に着く頃には日は傾いている。

 昼過ぎからずっと王太子を待たせているというのは、具合の良い事とは思えなかった。


 けれど使用人はフルフルと首を横に振り、曖昧な笑顔で口を開く。


「旦那様の命です」

「父上の?」

「姫様は精霊術師として大事なお勤め中であり、王太子殿下でも邪魔する事は許されない。姫様が帰って来るまで待てないならば、お帰り下さって構わないと・・・殿下に仰られて」

「相変わらずじゃのう・・・」


 賢者の父は今だ王太子を婚約者として認めておらず、事あるごとに厳しい言葉を告げる。

 それは城の中では日常になっていて、領地に帰って落ち着いてからも同じらしい。


「殿下が望まれた婚約です。お嬢様のお勤めの邪魔が許されないのは当然でしょう」

「ザリィ・・・」


 お主も相変わらずかと、思わず苦笑しながら侍女の名を呼ぶ賢者。

 だが侍女は一切意見を変える様子無く、すました表情で賢者の後ろを歩く。

 とはいえ誰も反対意見を口にしない辺り、家の総意となっているのだが。


「儂はもうちょっとローラルに優しくしてやっても良いと思うがの」

「厳しい訳ではありません。お嬢様を大事にしない婚約者など必要無いというだけの事です」

「別に悪い扱いを受けてるとは思わんがのう・・・」

「当たり前です。もし扱いが悪ければ、婚約など早々に白紙になっております」


 当然の様にそう告げる侍女と、その言葉にコクリと頷く使用人達。


(うーむ、城では仲良く過ごしとったから、多少は警戒を解けたと思っておったんじゃがなぁ。ローラルに抱きかかえられている時も、ザリイからの反応は特に無かったし)


 少しは距離が近づいていたと思っていたが、全く縮まっていなかったらしい。

 もしやローラルは全て解っていて、自分一人が能天気にうむうむと頷いてたのか。

 そんな事実に気が付いた賢者は心の中で青年に謝った。口に出すと多分面倒な事になるので。


 などと話している内に客間の前に到着・・・しておらず、何故か風呂場へ向かっていた。


「・・・ローラルが待っとるのでは?」

「ええ、王太子殿下がお待ちだからこそ、きちんと磨きなおして出迎えなければなりません」

「いや、とりあえず挨拶だけでもしておいた方が良いのでは・・・」

「先ぶれを前日に届けず、当日に届けた殿下です。それぐらい承知の上でしょう」


 あ、これ怒っとる。そう気が付いた賢者は、逆らう事なく風呂に向かった。

 湯は既に沸かしてあり、突発なので沸くまで待つという事は流石に無い。

 ただ複数人で徹底的に磨かれ、風呂から上がった後も綺麗に綺麗に仕上げをされる事に。



 因みにその間に青年は「姫様がお帰りになられました」という報告は受けていた。

 自ら会いに行こうと腰を上げた所で風呂に居る事を伝えられ、そのまま腰を下ろしたが。


『まさか姫様と入浴されるおつもりですか。まだ年端も行かぬ姫様と』


 等と言われかねない目を感じたのも理由だろう。この家の者は青年に厳しい。

 とはいえ青年に何か思惑があっての婚約だと、そう皆が思っているので仕方ない所もある。

 実際青年には思惑あっての婚約で、そこに本来愛情など必要無いのだから。


(婚約自体は何時でも白紙に出来る事を条件に認めてくれたのは、多少なりとも前に進めているとは思っているけれど・・・中々厳しいね。王家との婚約に利点が無いから余計にか)


 一応賢者との婚約は、本当に一応だが現時点では成立していたりする。

 ただしそれは賢者が拒否を見せた瞬間白紙になる、という約束が前提だ。

 元々の約束が、賢者が好意を見せる様であれば、というものが大前提ではあったのだが。


 それはギリグ家にとって、青年と賢者の婚約に利など無いという意思表示。

 うちの娘を幸せに出来ないなら、お前など要らないという親の愛情。

 王家に逆らってでも通すという強い意志を、あの両親は持っている。


(強いな。本当に強い。ギリグ家を腰抜けだと言っていた家の方が余程腰抜けだ)


 この家はもう落ち目だと、中には下位貴族にも拘らず口にしていた者もいる。

 実際それは覆しようのない事実であり、そしてギリグ家は反論はしなかった。

 粛々と受け入れていたのだ。家の名が下がるのを。愛する娘の為に。


 領民を思えば如何な事かとは思われるだろうが、それも対策をしていた事が後で解る。

 この領地を別の家が継いだとしても、だからといって好き勝手には出来ない様にと。

 私自身も後から知った話ではあるが、事前に父へ色々と話を通していた様だ。


『あの男は怖いね。愛する娘への想いと領民への想いをきっちり両立させていた。筆頭殿を手放したくないなら、くれぐれも機嫌を損ねない方が良いよ。怒らせたらどうなるやら』


 その事を青年に教えた国王は、半ば脅すようにニヤついていた。


 今では『精霊術師筆頭』を据える家として、完全に高位貴族としての立場を取り戻した家。

 見方によっては娘を利用して上手く立ち回ったようにも見えるだろう。だが真実は逆だ。

 娘の為に立ち回っているのだ。元々娘の為だからこそ何の問題も無く息を吹き返したのだ。


 その事が解らない間抜け共こそが、本物の腰抜けと呼ばれるに相応しい。

 散々腰抜け呼ばわりをしていた事で、今では怯えてごまをすっているのだから。

 完全に『貴族』としての生き方を覚悟した彼は、それだけ恐ろしい相手になってしまった。


(でも何故だろうね。どう考えても面倒でしかないし大変だというのに、嫌な気持ちにならないのは。ああ、彼女は愛されているのだなと、安堵してしまう。いや、きっと、もう私は―――)


 そこでコンコンとノックの音が響き、青年は深く入っていた思考を止める。

 蓋をしていた感情が開きかけていた事に気が付き、慌てて蓋をしながら応答した。


「失礼する、ローラル」

「こちらこそ失礼しているよ、ナーラ」


 お互いに笑顔を見せ、気軽な関係だと見せる様に名を呼びあう。

 賢者は内心『これで大丈夫じゃよな?』と心配気味ではあるが。


「随分待たせた様ですまんな」

「いや、それに関しては此方の落ち度だ。君に会う事が楽しみ過ぎてね」

「ははっ、儂の耳に会うのが楽しみで、の間違いではないのか?」

「否定はしない」

「オイコラ」


 にっこりと肯定する青年に、否定すると思っていた賢者は思わず突っ込んだ。


「それで、何用なんじゃ。父上達は居らんようじゃが・・・もう話は通しておるのか?」

「君の父君には既に伝えてあるよ。ただ君と二人で話をしたいと、そう願ったんだ」

「儂と?」

「ああ。婚約者との二人の時間をね」

「・・・で、本題は?」


 賢者はしらっとした顔で返し、青年は「一応そっちも本題なのだけど」と苦笑を見せる。


「君なら予想はついていそうだけど・・・君を狙っている者が居る」

「魔法国家と名乗っておきながら暗殺に出たか。成程、容赦は要らんと見た」


 賢者は腹の底から煮えたぎる様な怒りを感じ、その怒りのまま唸る様に応える。

 正面から堂々と来ないのであれば、あの国は賢者の知る魔法国家ではない。


(魔法に誇りを持てんのであれば、儂の弟子の国を名乗るな・・・!)


 もう、弟子の国とは、思わない。

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