第50話、幸せ(平穏)
「お嬢様、朝ですよ。起きて下さい」
「んみゅ・・・ふああああ・・・おあようザリィ」
「はい、おはようございます。さ、顔を拭きましょうね」
「あみゅ・・・」
侍女に起こされ目を覚まし、体を起こすなり水にぬらした布で顔を拭かれる賢者。
されるがままになっている内に服も着替えさせられ、その頃には完全に頭も覚める。
今日も今日とて可愛らしく着飾られた熊耳幼女は、姿見を見て満足そうに頷く。
「うむ、今日も可愛いの」
『グォン』
「はいはい、お嬢様は何時も大変可愛らしいですよ。ですので早く食堂に向かいましょうね」
「ザリィが今日も冷たい・・・」
「そんな事はありませんよ。私はいつだってお嬢様を想う侍女です」
いつも通りさらっと流しながら先を促す侍女に連れられ、賢者は食堂へと足を向ける。
道中で使用人や騎士達にも朝の挨拶をして、皆に笑顔で返して貰いながら。
食堂には既に席についている両親と祖父母が居り、賢者を見てニコリと笑みを向けた。
「おはようございます」
賢者も同じように笑みを浮かべて挨拶をすると、家族も同じ様におはようと返す。
(今日も平和な朝じゃな)
何時もと変わらない穏やかな朝。それがどれだけ幸せで安心できる時間か。
賢者は領地に帰って来てからずっと、この穏やかな日々を噛みしめている。
逆にそれだけ王都に居た間の出来事はストレスであった、という事になるのだろう。
食事を終えると食後のお茶の時間を楽しみ、母と祖母と共に少しの間のんびりと過ごす。
その頃には父は休みと決めた日以外は仕事に向かい、祖父もその補助をしている。
とはいえ祖父は引退した身なので、本当に軽い補助程度の事しかしないのだが。
それどころか時々仕事を投げ出して、ナーラと遊ぶ為にさぼっていたりする。
「儂引退した身じゃもーん。今の当主はお前じゃもーん」
当然父が連れ戻しに来るが、大体そんな事を言いながら仕事から逃げる祖父。
賢者は口調や性格は祖父の影響と言い訳をしていたが、実際この二人は似ていた。
やりたくない事にはとっさに目を晒し、言い訳にもならな言い訳を口するところが。
結果どうなるかと言えば「あなた?」という祖母の笑顔で仕事に向かうのだが。
まるで侍女に叱られる自分の様で、賢者は何だか他人事とは思えない。
(・・・頑張れ、爺上)
同類相哀れむ、とは少々違うが、賢者と祖父の仲が良い理由はこの辺りも有るだろう。
確実にサボっている方が悪いので、本来同情の余地など無いのだが。
そうしていつも通りの祖父を見送り、賢者も母と祖母に外に出て来ると告げる。
「気を付けてね、ナーラちゃん」
「日が暮れる前には帰って来てね」
「はい、母上、婆上、いってまいります」
母と祖母に淑女の礼をして外に出ると、騎士達が整列して賢者を待っていた。
「今日も宜しく頼む」
「「「「「はっ!」」」」」
声をかけると元気の良い返答と共に動き出し、賢者の乗る車が用意される。
侍女に手を貸して貰って車に乗り込み、侍女も車に乗り込んだ。
それを確認してから騎士は車を動かし始め、そこそこの速度で山へと向かう。
これは勿論熊と会う為にであり、けれど賢者としては本意ではないのだが。
参道が一応存在しているとはいえ、その道はけして平坦とは言えない。
しかも熊との契約時と違い、出来るだけ早くという条件もあってガタガタと揺れて辛い。
ならば熊に送り迎えして貰う方が楽で、けれどそういう訳にもいかない理由がある。
(魔法国家の諜報員か・・・父上はそろそろ何か行動を起こすかもしれないと言っておったが、本当に仕掛けて来るのかのう。まあ心配させん為には、この揺れを我慢するしかないか)
賢者の居る国と敵対している魔法国家。その存在は以前しっかりと説明を受けた。
そしてその国家の動きが最近怪しげであり、そもそも元から警戒している相手だ。
となれば最悪暗部が入り込み、直接賢者を襲いにかかって来る可能性もある。
その際に賢者の転移は逃げるのに確実に役に立つ。特にあの転移は普通の術ではない。
もしかしたら既に知られているかもしれないが、それでも隠すに値する技術だ。
という話を領地に帰った後に父にされて、山への道中は何時も車での移動になっている。
ただその車も山頂前に止まり、そこからは賢者の足で向かう事になるが。
これは皆が居ると熊と自由に話せないと判断し、熊の指示だと賢者が嘘をついたからだ。
「お嬢様、今日もお勤めに励んで下さい」
「ああ、いってくる」
嘘に関しては申し訳ないと思いつつ、頭を下げて見送る皆に応えて山道を進む。
ただあと少し歩けば頂上、というのは大人の足で計算した話だ。
まだ幼児というのが相応しい賢者の足では、よちよちといった感じで中々進まない。
それでも皆を引き連れて行く訳にもいかず、頑張って山頂を目指した。
当然そこには待ちわびた熊が居て、嬉しそうに鳴き声を上げて賢者を迎える。
『グォン!』
「待たせたの。今日も始めるとするか」
『グォウ!』
「おお、やる気満々じゃの?」
何かと言えば、最近発覚した熊の苦手分野の鍛錬の続きだ。
というか発覚してからはずっと鍛錬を続けている。
最初こそ項垂れていた熊だが、今ではそんな気配は欠片も無い。
何せ毎日賢者が山に登り、直接会いに来てくれる。
それだけでご機嫌になっており、毎日の鍛錬は楽しくて仕方ない。
勿論毎日同じ事だけではなく、偶には熊の得意な事もしたりはするが。
「うーむ、最大出力に関しては生前の儂に匹敵するの」
『グォン!』
賢者としても熊という存在は、自分と同じ目線で魔法を使える魔法使いだ。
たとえ相手が熊で精霊であっても、生前ではついぞ叶わなかった事。
一番優秀だった弟子でも辿り着けなかった高みに、この熊は辿り着いてしまった。
ただ弟子という意味では熊も弟子であり、一番優秀な弟子は熊という事になるのだが。
どちらにせよ生前の自分と同じ高みに居る魔法使いに、賢者は心から嬉しく感じていた。
そうして日が傾き始める少し前まで鍛錬に励み、帰る頃合いだと賢者は山を下りる。
『グォン!』
「ああ、また明日のー」
立ち上がって前足を振る熊に、賢者も笑顔で手を振って返す。
よちよちと山を下りると侍女に迎えられ、車に乗り込み山を下りる。
ここ最近の毎日。穏やかで楽しい毎日。幸せな毎日を噛みしめて帰路に就く。
そして何時もの様に家の前に着いた所で、窓から見えた景色に見覚えのない物が有った。
知らない形の車。少なくとも領内で見た事のない形の車が停まっている。
(・・・どこぞの貴族の客かの?)
安っぽい車ではないし、引いている獣も中々に立派なものだ。
少なくとも近所の農家ではないし、その辺の商人でもないだろう。
たとえ商人だとしても、貴族に匹敵する程の財力があると思える車だった。
「お嬢様、屋敷に着きましたよ。お手をどうぞ」
「・・・うむ」
降りる際は騎士が手を差し伸べ、その手を取って賢者は車から降りる。
侍女も騎士に手を貸して貰って車を降り、その間賢者は停まっている車に目を向けた。
(・・・王家の紋章、じゃよな、あれ・・・ローラルが遊びに来ただけなら良いんじゃが。父上の忠告があった事を考えると、余り希望は抱かん方が良さそうじゃな)
先程見た時は気が付かなかったが、その車には王家の紋章が間違いなく入っている。
幸せで平穏な毎日は何時までも続かないものだなと、賢者は車を見ながらそう思った。
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