第43話、強さ(弱さ)
自分には何も無かった。何の才能も無い人間だった。期待もされていなかった。
妾の子である事が理由だ。一応血を引いているからと、精霊授の儀には出されたが。
それでも自分は精霊に選ばれる事は無く、唯々あの家に居るだけの存在になっていた。
幼少期に真面な教育を受けた覚えはない。武術の類を仕込まれた覚えも無い。
望んだ所でゴミの様な目を向けられるだけだ。自分を生んだ母親に向けられる様に。
そんな環境である事に耐えられなかったのか、ある日母は家から消えた。
置手紙の類も無く、宝石類を家から盗み・・・自分の事を置いて。
母に捨てられた事に絶望を感じはしない。やはりか、としか思わなかった。
元々父が遊びで抱いた女、そして父が貴族と知っていて罠に嵌めた女だ。
子供が出来た事をこれ幸いにと、良い暮らしが出来ると思っていただけの女だ。
自分を愛していた訳じゃない。子供は貴族の家に入り込む為の道具。
実際に愛しているなどと言われた事は一度も無いし、それらしい態度も見た事が無い。
ただ「こんなはずじゃなかった」や「なんて役立たずなの!」と罵られた事はある。
もし自分があの時、精霊授の儀にて契約できていれば、あの女は喜んだのだろう。
これで肩身の狭い想いはしなくて良くなると。大きい顔をして暮らせると。
けれど実際の自分は何も出来ない役立たずで、家の人間もそうさせるつもりだった。
本当か嘘かは別として、家の血を引いている可能性のある子供。
だが母方はどこぞの下賤な血。ならば下手に力を与えては面倒になる。
母親は消えた所で構いはしない。だが父の血を引く自分は死ぬ所を見届ける。
そんな思惑の下に自分は飼い殺され、唯々死ぬ為だけに生きる・・・はずだった。
『ギャギャッ!』
「っ、これが、精霊・・・!」
ある日突然精霊が自分の下に降り、一方的に力を与えて来た。
雷猿。雷を身にまとい、むしろ雷が猿の形をしている様な精霊。
しかしその姿は猿にしては巨大で、屋敷の屋根を超える背丈を持っていた。
存在として明らかに違うもの。その力が身の内に流れ込んでくる。
同時に自分には力があるのだと、お前は力を得たのだと精霊が語り掛けてきた。
『キィ!』
猿が告げる。お前は今日から精霊術師として、その力を胸に抱いて顔を上げろと。
言葉で語られた訳じゃない。けれど何故か精霊の意思が強く伝わって来た。
「―――――解りました。貴方の望むままに」
それ以降、自分は精霊術師になった。国内の誰にも負けない精霊術師である様にと努めた。
自分が名乗る事を許されなかった家名を、ヒューコンを名乗る様になったのはそれから。
ブライズ・ポルル・ヒューコンが生まれた日。そして意思を持った日。
そんな長い様な、短い様な、古く懐かしい夢から老人が目を覚ます。
「・・・つまらん夢だ」
目を開くと天井が見え、彼は自分が今まで倒れていたのだと理解する。
流石に現実を認められない程の愚か者ではないつもりだ。
自分は負けた。あの幼女に。精霊に。何も通じずに負けた。
ならば自分の価値は何だ。アレに勝てるほどに鍛え上げる事か。
「・・・はっ、無理だな。何十年かけて自分が今の場所に居ると思っている」
『キィ・・・』
精霊が気を遣う様に鳴くのが聞こえた。最近は自分を諫める事が多かったというのに。
ああ、それだけ今の自分は情けなく見えているのだろう。いつかの死んでいた自分の様に。
老人は今の自分の状況を理解すると、力なく笑ってため息を吐いた。
「・・・もう、自分の価値は無い。貴方の力を授かる価値も、無い。申し訳ありません」
何度負けても、力量差を感じても、諦めず上を見続けてきた。
今まではそう思えたはずだ。だが、アレは、格が違う。
現存する精霊術師の枠をはみ出た存在。アレが天才という者か。
老人の心は賢者の力の前に折れ、そしてその心は精霊との約束を破ったと思っている。
顔を上げ、強く生きる。それこそが老人の契約条件。諦めない事が老人の強さ。
だが老人は今諦めてしまったのだ。それは精霊に対する重大な契約違反。
『ギャギャ!』
「――――――っ」
けれど精霊は老人の言葉を否定する。まだお前は何も問題は無いと。
顔を上げろ。何時もの様に。お前が重ねた年月は確かにお前の中にあると。
「ふふっ、久々に聞きました。貴方からの優しい言葉を」
強くある事が自分の価値だと思っていた。強くなければいけないとずっと思っていた。
だからその拘り以外の事はどうでも良かったんだ。貴方に見捨てられたくなかったから。
前を向いて、強くある事で、貴方がずっといてくれると信じていたから。
自分に初めて手を差し伸ばしてくれた存在だから。
老人の一番への執着は、別に一番である事が望みだったわけではない。
一番でなければ、強くなければ、精霊の傍に居る価値が無いという想い。
弱く幼い頃に差し伸ばされた手と温かさに、老人はこの歳までずっと怯えていた。
何時かなくなるかもしれないと。その時自分は自分を保っていられないと。
だからこそ老人は賢者の存在を恐れていた。何かが違うと本能的に感じていた。
いや、きっと感じていたのは老人の中に居る精霊だったのだろう。
『キィ』
「・・・ありがとうございます」
けれど精霊は老人を見捨てない。あの時の小さな子供に語り掛ける様にそう告げる。
老い先短い老人を今更見捨ててやるものかと。お前は安心して死んで行けと。
聞きようによっては厳しいその言葉は、けれど老人にとっては余りに安らぐ言葉だった。
だからこそ老人は背を伸ばした。自分が動く気配を感じ、部屋に入る人物に顔を向けて。
「お、目が覚めた様じゃな。どうじゃ、体の方は。一応治療はしておいたんじゃがな」
「小娘・・・いや、ナーラ嬢」
「ふむ、わざわざ言い直すとは、どういう風の吹き回しかの?」
「私はお主・・・いや、貴女に負けた。それが事実だ」
「・・・随分素直じゃの」
「そうだな。自分でも驚いている。ここまで心安らかに在れるとはな」
「ふむん?」
老人の言葉の意味は伝わらず、不思議そうに首を傾げる賢者。
だがそんな子供らしい可愛さを持つ上司に、老人は深く頭を下げる。
「ナーラ嬢、私は貴女を精霊術師筆頭として認めます。どうぞ扱き使ってくだされ」
「お、おう・・・なんじゃ、なんというか、調子が狂うの・・・」
今までの態度とあまりに違う老人に賢者は戸惑いながら応える。
だがまあ従うなら今はそれで良いかと、頬をポリポリかきながら納得した。
老人は顔を上げると、戸惑う幼女の顔を見てふっと笑顔が漏れる。
「貴女に感謝を」
「はえ?」
何言っとんじゃコイツという顔を賢者に、老人は優し気に笑みを深くする。
目の前の圧倒的な存在に心が折れた。そして心が折れて、初めて理解できた事がある。
自分を救ってくれた精霊は、心の折れた自分だから手を差し伸ばしてくれたのだと。
その事を思い出し、そして気が付かせてくれた上司に、心からの感謝を持って。
「老い先短い身ですが、この命貴女に捧げましょう」
「・・・儂、状況に付いていけんのじゃが」
手合わせの時とはまるで違う子供の顔に、老人は余裕のある様子で笑っていた。
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