第42話、脅す相手(二人)
「ふぃー・・・やっべえ。どうにか助かったわい・・・ちょっと威力を間違えたの」
『グォ・・・』
痙攣が収まり雷で焦げた肌も直った老人を見下ろし、深く安堵の息を吐く賢者。
あとちょっと威力を高めていたら、本当に殺してしまっていたかもしれない。
今思えば強く放つつもりだったとはいえ、ちょっと強すぎたなと冷静に反省している。
「てっきり殺してしまうのかと思っていましたわ」
そこで話しかけて来たのはメリネ、ではなくキャライラスだった。
声音こそ平静を保っていたが、その声にはどこか怯えが含まれている様に思う。
「んな訳なかろうが」
だが賢者はそれに気が付いても突っ込みはせず、上手く行ったかと内心ほくそ笑む。
(あの魔法はこやつに対する脅しでもあったからの)
彼女は賢者が精霊化できるのを知っていて、けれどそれ以上の力が無いと思い込んでいた。
子供故の浅慮か、それともこの時代に知識が無いのか、賢者にとってはどちらでも良い。
だが精霊化を『精霊になれるだけ』という勘違いをしている事に気が付いていた。
精霊化が出来るという事は、その膨大な魔力を使って魔法を使えるという事。
キャライラスと戦った時程度の魔法ではなく、それこそ先程の雷の龍の様な。
一人で何もかもを蹂躙出来る存在だと、そう認識を改めさせる為に大仰な魔法を使ったのだ。
「殺してしまってはお主らと同類じゃろう。儂は確かにこやつへ怒ってはいたが、殺したい程に怒っていた訳じゃない。まあお主に関しては別じゃがな。立場が無ければ貴様は殺していた」
「っ・・・肝に銘じますわ」
あの魔法が自分に向けばどうなるか。その程度の事は少女にも想像出来る。
どうにか出し抜いてこのクソガキに仕返しをと、そう思っていた心が折れていく。
万が一何かしらの仕返しをした時、その怒りが爆発しないと何故言えるのか。
少女であれば全てを蹂躙する。怒りのままに、自分に喧嘩を売った者達を全て。
目の前のクソガキは自分より幼い。年よりじみた話し方をしていても幼児だ。
理屈も理性もしがらみも捨てて暴れないなんてはずがない。その事に今更気が付かされた。
(あの怒りようは、あの怒りの声は、本気だった。アレは、不味い)
殺す気は無いと告げる賢者の言葉を少女は信じていない。
賢者の叫び声を聞いた時、その怒りは少女にまで届いていた。
アレは相手を殺す事を厭うような、そんな余裕のある叫びではなかったと。
だからこそ老人は死にかけたのだ。本来は殺す気が無かったはずなのに。
加減を間違えたのは賢者の怒りが熊に伝わり、二人ともが冷静でいられなかった為。
事前に予定していた事をキッチリこなせる様な、そんな心の余裕が消え失せていたから。
あの時ローラルとメリネの声が届いた事で、少しでも冷静さを戻せた事が今の結果だ。
それはまだ幼児の体だからか、それとも怒りを抑えないと決めた賢者の心故か。
どちらにせよその不安定な心を見抜いた少女は、目の前の幼児を怒らせない事を決める。
(腹は立つ。この私をコケにした事は許せない。けど感情に任せてこいつに逆らうのは得策じゃないわ。お父様にも言っておかないと。いえ、さっきの魔法はお父様も見ているわね)
彼女の父は今回の件でギリグ家に謝罪をして、その損失と相手の態度にかなり怒っていた。
謝罪をしておきながら怒るのも本来おかしな話だが、そのおかしな話が正しいと思っている。
だからこそこんな少女が育ってしまった訳で、けれど親子はその考えを抑える必要が出来た。
殺されては何の意味もない。目の前のクソガキは自分どころか国ごと亡ぼせる化け物だ。
そして幼さならでわの癇癪を起されたら、国ごとそのまま殺されかねない。
恐怖を感じた余り異様に冷静な思考は、怒りも屈辱も理性が抑え込んで結論を出す。
「今後は筆頭殿に逆らわぬ事を誓います」
「それが本音なら良いのじゃがの」
「心からの本音ですわ」
実際今の少女言葉は心からの本音だ。だがそれは今の言葉でしかない。
もし賢者の身に何が起これば、例えば病などで弱ってしまえばどうなるか。
その時は好機と考え、嬉々として賢者の事を裏切るだろう。
その事を理解しているが故に、賢者は半眼で呆れた声音を返してしまう。
「・・・ところで、リザーロはどこじゃ?」
そこでふと周囲を見回し、リザーロの姿が無い事に気が付いた。
賢者の質問に対し、ローラルとメリネが苦笑を見せる。
「彼なら先程の説明をする為に走っていったよ。流石にあれほどの魔法を使うとは誰も思っていなかったからね。城内は混乱しているだろうし、街の方だって大騒ぎになってるかな」
「ナーラ様には容易い事でも、あんな魔法普通使えませんから。きっと皆怖がってますわよ?」
「あ・・・やっべえ、考えとらんかった。リザーロの奴、怒っとらんかの・・・」
これも怒りの余りか幼児の思考故か、賢者は自分の魔法が与える恐怖を忘れていた。
その恐怖によって人の輪から排されたというのに、結局は同じ事を今生もしてしまったと。
迂闊な自分の能天気さに呆れながら、けれど仕方ないかと諦める。
(いつかは見せる必要のある事じゃ。今生の儂は自由に生きるつもりなんじゃからな。まあ既に色々と不自由なしがらみが出来てはおるが、これぐらいは許容範囲と思うしかない。それに先程の魔法に関しても今の儂は精霊術師じゃ。熊の意思による制限がある、という事でよいかの)
『グォン♪』
自分が役に立つならそれで良いと、相変わらず賢者の言う事に素直に従う熊。
偶には叱ったり怒ったりしても良いんじゃぞ、と返しつつも賢者は感謝を述べる。
実際熊が居なければ賢者は無力に近しい。熊を育てた過去の自分を褒めてやりたい気分だ。
出会った当時の熊からすれば、冬眠を邪魔しに来た怖い迷惑なジジイなのだが。
今の二人は仲が良いのできっと良い事なのだろう。おそらく。
「それでナーラ、彼の事はどうするのかな」
「・・・どうしようかのー」
倒れる老人を見下ろしながら、青年の問いに首を傾げて悩む。
当初は精霊術の封印を施すつもりだったが、先程の様子から老人の心は折れていた。
(その前の錯乱のしかたは、ただ儂を認められないだけの話ではなかった気がするの)
この老人にとって精霊術は、自分自身とさえ言って良い拠り所だったのだろう。
それを封じればどうなるか。下手をしたらその場で自死を選ぶかもしれない。
何となくそんな気がして、取りえず老人の目が覚めるのを待つ事にした。
「リザーロもおらんし、こやつが起きるまで自由時間にする事にしようかの。起きたらもう一度集まって貰うとしよう。その上でこやつにも、そしてそこの小娘にも注意しておく事がある」
「承知致しました。では私は少々この場を離れさせて頂きます」
少女は内心「お前の方が小娘だろうが」と思いつつも淑女らしく礼をして去っていく。
表面的には一切の不満を見せない態度に、あれはあれで凄いなと感心する賢者。
「ナーラ様、あの娘のしおらしい態度を信じるのは危険かと。差し出がましいとは思いますが、進言しておきたく思います」
「解っておるよ。だが忠告は感謝する、メリネよ」
既に賢者の部下としての身を認めているメリネは、少女の態度の内心を見抜いていた。
そんな彼女に取って賢者の態度は、少々安心していた様に見えたのだろう。
だが賢者とて同じ思いを持っており、自分を気にしてくれた彼女を有難く感じている。
「どういたしまして! ナーラ様のお役に立てる事が今の私の幸せですわ!!」
「・・・事あるごとに抱き上げるのだけどうにかならんか」
「無理ですわ!」
「・・・そうかい」
ただし一瞬で真剣な様子は崩れ去ったし、もう賢者の願いに逆らっているが。
(まあ良いか。アレを見ても仲良くしてくれるんじゃ。貴重な友人じゃよな)
抱きしめてほおずりしてくる彼女の頭を撫でながら、そう自分を誤魔化している賢者。
なおローラルはその時点で賢者の耳を揉んでおり、賢者は呆れた様子で二人の頭を撫でる。
暫く二人が上機嫌だったのは言うまでもない。
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