第26話、礼儀(無礼)

 ブライズ・ポルル・ヒューコンと名乗った老人は、明らかに賢者へ敵意を向けている。

 更に言えばうっすらと魔力を放っており、何時でも戦える準備までしていた。

 ただ賢者にはその理由が良く解らず、警戒しつつ怪訝な表情を老人に向ける。


「ヒューコン卿、いささか礼儀を失しているのではないかね」


 そんな中、賢者の父は毅然とした態度で抗議を口にする。

 相手の態度から少々心配にはなるが、今は父に任せようと賢者は様子見を決めた。

 すると老人はゆっくりと視線を父に向け、途端につまらなさそうな目を見せる。


 いや、つまらない目ではない。見下した目だ。ゴミを見る様な、そんな目で。


(何じゃこやつ。喧嘩売っとるんか。むかつく奴じゃの)


 この時点で賢者はカチンと来ていた。お主誰にそんな目を向けとんじゃいと。

 自分に向けられる敵意であれば「面倒くさいのう」で終わらせられる。

 だが何だかんだと両親の事が好きな賢者にとって、父親にその態度は少々腹立たしい。


 とはいえ父が話しているのを邪魔する気は無く、今は黙って我慢だとこぶしを握る。


「そうか、失礼した。すまない」

「・・・謝罪は受け取ろう」


 老人は一瞬目を伏せると、そのまま深々と腰を折って頭を下げた。

 誠意などかけらも感じない声音だが、それでも貴族の口にする謝罪だ。

 父は不服な様子を見せつつも、謝罪された以上受け取らざるを得ない。


 流石にこの程度の事で謝罪を突っぱねたら、むしろギリグ家が狭量だと思われる。

 たとえ賢者に声をかけた時の声音と大違いで、まったく謝る気など無くてもだ。


「そうか」


 頭を上げた後も老人は見下す目で父を一瞥し、下らない事をさせるなと言わんばかりだ。

 両親はそんな彼の反応に不服ながらも、どこか慣れている様子が見えた。

 まさか普段からこうなのかこ奴は。そう思っている賢者に老人の視線が再度向く。


 その瞬間人が変ったかの様にギラつき、敵意の籠った目になった。

 最早殺意すら感じる目であり、賢者は訳が解らず老人を見上げる。


「では謝罪も受け取って頂けたようであるし、ナーラ嬢よ、付いて来て頂こうか」

「断る」


 老人はついて来るのが当然と言わんばかりに背を向け、けれど即座に断りが入った。

 それは賢者の声ではなく、賢者の父の声。本人よりも父の方が早かったのだ。

 思わず父を見上げていると、老人はゆっくりとこちらに向き直る。


「お主の意見は聞いておらぬ。黙っておれ」

「勘違いをしていないかヒューコン卿。貴方は確かに精霊術師だが、我が娘も精霊術師。そして貴方と私の家格は同じだ。貴方に命じる権利は無いし、聞く理由も義理も無い。更に礼儀も弁えられぬというのであれば、黙ってこのまま去るのが貴方のすべき事だ」

「小僧が・・・下手に出ておれば舐めた口を」


 あれのどこが下手だったんじゃい、と賢者は思わず突っ込みそうになった。

 老人はゴミを見る様な目なのは変わっていないが、けれど少し敵意を父に向ける。

 もしやここで暴れる気かと賢者が構えていると、老人は予想外にも力を抜いた。


 そして敵意の籠った目で暫く賢者を睨み、けれど突然興味を失った様子を見せる。


「ならば良かろう。小娘には筆頭の荷が重いと陛下に告げさせて頂くまでだ。手合わせから逃げるザマでは、この国の精霊術師の筆頭など出来るはずもない。そもそも親の庇護下にある子供。元から無理な話であろうよ。頭の耳とて、本当に山神の願いなのか怪しいものだ」


 ハッと鼻で笑った老人が賢者に向ける目は、先程と違い見下した目になっていた。

 その発言は『親の背中に隠れる精霊術師など無意味』と言わんばかりに。

 賢者はそこでやっと理解した。目の前の老人が何の為にここに来たのか。


 要は気に入らないのだろう。自分の様な女児が老人より上に在るという事が。

 だが賢者の態度で相手にならぬと判断し、その上で挑発して叩き潰そうという意図が見える。

 まあ最後の熊耳に関しては、一切言い返す事が出来ないのだが。


(そういえばリザーロが言っておったの。もう一人面倒な奴が居ると。こやつかの?)


 自分を襲ってきた少女の事を話していた時の話を思い出し、確かに面倒だと感じる賢者。

 目の前の人間は、自分以外を皆下に見ている。それだけは間違いない。

 そしておそらくその基準は、術師として上か下かでしかないのだろう。


「下らん奴じゃの」


 故に思わず、本音が口から洩れた。その言葉通りの視線付きで。

 賢者にとっては余りに下らない。術師として優れているから何だというのだ。

 確かに人民を守る大事な戦力であろうが、結局の所それだけでしかない。


 更に言えば精霊化を使える人間がいない事から、目の前の老人の技量などたかが知れている。

 だというのに何を誇っているのかと、賢者は余りに呆れた気分で口にしていた。


 老人はその言葉が一瞬理解できなかったらしく、困惑の表情を見せる。

 だが賢者の発言の意味を理解すると、途端に敵意と殺意のこもった目に代わった。

 微かにあふれる程度だった魔力の圧が増し、今にもとびかかってきそうな気配だ。


「小娘、大口を叩いた以上、受けるのだろうな」

「断る。お主の様な三下の言う通りにするなど面倒じゃ。先程自身で言っておった通り、陛下に上奏すればよかろう。自分こそを筆頭にして下さいとな。ったく、下らん」

「――――――っ!」


 血管が切れるのではないかと言う程に、老人は全身に力を込めて賢者を睨む。

 だが賢者は今言った通り、本気で目の前の老人の相手をする気がない。

 わざと挑発的な言葉を選んだが、こんな挑発に乗るなら論外だと思いながら。


「先ず現時点ではお主がどれだけ気に食わなかろうが、儂は既に筆頭の立場じゃ。礼儀も無くまるで自分が上かの様な振る舞いをしておいて、聞き届けて貰えると思うとるんか。手順も踏めぬ阿呆が偉そうに。歳だけとって物を学んでおらぬ馬鹿の相手など御免じゃ」

「き、さま・・・!」

「何を怒っとるんじゃ阿呆。怒っとるんはこっちじゃ。馬鹿の相手をさせられて、親にあの様な無礼な目と態度まで。今まで特権階級を傘に来て好き勝手やっとったんじゃろう。ならば此度はお主が従う立場になったのじゃ。国王陛下の命の下な。文句なら陛下に言うが良い」

「ぐっ・・・」


 国王陛下。その名を出した途端、老人の怒りと勢いが削がれた。

 やはりこの尊大な人間であっても、精霊術師である以上国王は怖いらしい。

 だが老人の怒りは消えた訳ではなく、最初の静かにぎらついた敵意に戻っただけだ。


「ならば後日、正式な手順を踏んでお相手を願おう」

「それならば、まあ良かろう。相手をしてやらんでもない」

「・・・その日を楽しみにしている」

「儂は面倒で堪らんよ。勘違いした三下の教育をせねばならんのだからな」

「っ、失礼する」


 ギリッと歯を噛みしめながら、老人は部屋の扉を勢い良く締めて出て行った。

 そこで使用人達は皆安堵の息を吐き、そして賢者は背後から怖い気配を感じる。

 振り向くと笑顔で怒っている父が居り、母も若干怒っている様に見えた。


「ナーラ、何故挑発するような事を言ったんだい。この場で彼が暴れたら大変な事になっていたんだよ。私達家族は仕方ない。だが使用人達が死ぬ事態になったらどうする」

「も、申し訳ありません、父上・・・」


 賢者が慌てて素直に謝ると、父は小さくため息を吐いて賢者の頭を撫でた。


「きっと何とかなる自信があったんだろう。ナーラの力を見てしまった今なら解るよ。けれど絶対にどうにかなるとは限らない。だからこそ・・・手合わせは断りたかったんだけどね」

「・・・誠に申し訳ありません」


 父の言う通り、今回は既に熊に話を通して精霊化の準備を整えていた。

 老人がもし暴れたら、その瞬間精霊化して皆を守る様に動くつもりで。

 けれどそれは賢者の都合だ。両親や皆にはむやみに危険に晒したようなものだ。


 父の言葉でその事を理解した賢者は、しょぼんとしながら再度謝罪を口にする。

 何よりも我が身を案じてくれての行動に、賢者自身が水を差してしまったと。


「解っているなら良いんだ。次からは気を付けてね、ナーラ」

「はい。父上」

「しかし、本当に大丈夫なのかい。ヒューコン卿の精霊術師としての実力は確かだと聞く。少なくとも彼に勝てる精霊術師は、王太子殿下だけだと聞いているが・・・」


 やはり王太子には勝てぬのかと、予想通りの事を告げられた。

 そして彼以外には負けぬという事は、今まで国内では一番強かったという事だ。

 やけに強い自尊心はそれが理由かと、賢者は更に溜息を吐きたくなる。


(・・・もしや今の世の魔法使いって、そんなに強くないのかのう)


 精霊化も出来ない精霊術師が幅を利かせる世の中に、魔法使いとしては切ないものがあった。

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