107話 プリセアの奇策
しぶとく生きていた大賢者パーシェンは、魔王を名乗った。
黒衣のような霧をまとう姿は、おとぎ話の魔王にソックリだった。
「ディーピー、どういうことか分かるか? まさかパーシェンの正体が魔王だった、なんてことはないだろうし」
逃げ遅れて、俺の胸元に避難しているディーピーに問いかける。
ディーピーはもぞもぞと服の中から顔を出して答えた。
「きっと使徒になったとたん、魔王に体を乗っ取られたんだ。魔族は使徒に、自分の力の一部を与える能力を持つ。そして、大量の力を与えると、その使徒を意のままに操れるようになるんだぜ」
「つまり、どういうことだよ」
「あいつは魔王の本体ではないが、魔王に近い力を持っているってことだ。……カイ、危ねえっ!」
魔王化したパーシェンが、問答無用で黒い閃光を放ってきた。
それを、すんでのところで回避する。
「ほう、避けましたか。ですが、避けるだけでは私は倒せませんよ!」
パーシェンの手から、黒閃がなんども放たれる。
やつの言う通り、宙に浮いているパーシェンを倒す手段は、俺にはほとんどない。
「お前に攻撃する方法は、いま考えてるところだ!」
嵐のような攻撃を避けながら、俺は石を拾い、<魔法闘気>を乗せて投げつけた。
モーゼス議長が
だが、投げた石がパーシェンに届く前に、パーシェンはすばやく転移魔術を発動して避けてしまう。
「悪あがきをっ! 何のスキルもない、ただの
「……ラミリィのようには、いかないか」
相性が悪すぎる。
俺がマーナリアから教わったのは、<魔法闘気>と<魔法
遠距離での戦闘は一番の苦手なのだ。
そうして俺が攻めあぐねている時、忘れていたものが鳴った。
「ピピピピ、ピピピピ」
「<風精霊の花言葉>……プリセアか!」
そういえば、すぐに連絡できるように、<風精霊の花言葉>もポケットにしまっていたんだ。
「もしもし、聞こえる? 大変なことになったみたいね」
聖女プリセアの声が<風精霊の花言葉>から聞こえる。
その声は、いままでで一番真剣だ。
聖女として、起きてしまった
「プリセアか。すまない、お前の兄であるフェリクスが黒閃を受けて……」
「後悔するのは後! いまは状況を教えて!」
気丈なプリセアの声を受けて、頭を切り替える。
今は、出来ることをするべき時だ。
「今、戦えるのは俺だけだ。けれど俺じゃあ、宙に浮いているパーシェンに攻撃が届かない。プリセア、何か良い手はないか?」
「……ひとつだけあるの。お兄さんが、私を信じて、素直に言うことを聞いてくれるならの話だけど」
それしかパーシェンを倒す手段がないのなら、乗るしかない。
俺はプリセアの策に乗ることにした。
「どうして聖女を疑う必要があるんだ。信じるに決まってるじゃないか。教えてくれ、何をすればいい?」
「ありがとう。一気に言っても混乱すると思うから、順番に説明していくね。通話はそのままで。まずは転移で逃げられていいから、なるべくパーシェンに近づいて!」
「わかった、やってみる」
俺は、パーシェンに近づくべく、これまでの戦いで
<魔法闘気>で強化された体なら、岩を持ち上げるぐらい造作もない。
そしてそれを、パーシェンめがけて投げる。
「浅はかですよ、カイ・リンデンドルフ! 岩が大きければ、なんとかなるとでも思ったのですか? さきほどの小石よりも遅い! 転移魔術で緊急回避しなくても、これなら簡単に避けられます!」
パーシェンは落ち着いた様子で、ひらりと身をかわして岩を避けた。
けれど。
「大きな岩を使ったのは、身を隠すためだ。<装備変更>のスキルで……投げた岩と、隠し持っていた小石を入れ替えた。だから、俺の体は投げた岩と一緒にここまで来た。今の俺は、この岩を装備してるわけだからな」
「なにっ! バカな、そんなマネが……!」
「パーシェン、いや、魔王! お前の
「くっ、ぬかったわ……。だが、カイ。何をするつもりだ! お前に何ができる! 何も出来まい! 弱小な人間の小細工など、この魔王には通じぬぞっ!」
いつだったか、師匠のマーナリアが言っていた。
前に進もうとする意志こそが、人間を人間たらしめているのだと。
時に迷ったり、間違えたりしながらも。
それでも前に進もうとする人々が織りなし、生み出すもの。
それこそが歴史であり、文化であり、文明であり。
そして、人間そのものなのだと。
「俺はいつだって、俺に出来ることをやるだけだ! プリセア、近づいたぞ! 次は何をすればいい!?」
俺はプリセアの次の指示を待った。
次の指示は簡潔で、それでいて不可解なものだった。
「よし! お兄さん、そこでボケて!!!」
「なんで?」
思わず聞き返してしまった。
いや、普通は聞き返すでしょ。
うだつのあがらない荷物持ち時代、嫌な連中から「カイ~、何か面白いことやってみろよ~」だとか言われたこともあった。
だがそれでも、ここまでの無茶振りをされるのは、初めてだった。
「私を信じてって、あらかじめ言ったでしょ!」
プリセアから正論の反論が来た。
確かに俺は、信じると言った。
「悪かった。やってみる。でも、この状況でいきなりボケろと言われても……、何も思いつかないよ!」
なにせ、いま俺の眼の前にいるのは、魔王と同等の力を得た使徒だ。
そんな相手を前にして、ボケをかませる人間が、どれだけいるのだろうか。
「何をグダグダと言ってるのです、カイ・リンデンドルフ! 何を考えてるのか知りませんが……あなたのくだらない企み、この私が看破してみせましょう!」
いまから俺がボケようとしてるのを見抜いたら、尊敬するよ。マジで。
その時、俺は魔王の力を得たパーシェンの、その長くなった髪がウェーブを奏でながら揺れている姿が目に止まった。
これだ!
俺の脳内に電流が走る。
「パーシェン、お前は魔王と一体化したようだな。ならば、お前の名前はパー魔王! いや、パーマ王だ! せいぜい髪の手入れでもしてるんだな!」
「いや、何を言ってるのですか、あなたは」
滑ったああぁぁあぁぁぁ!
完全にスベり散らかした俺は、うっかり乗っていた岩からも落ちてしまう。
そうして俺の体と尊厳は、地面へと叩きつけられていった。
<魔法闘気>のおかげで落下のダメージは皆無なのだが、かわりに心のダメージが大きい。
俺はこれまで、マーナリアをママにした時も、メルカディアの尻を叩いた時も、妹にメイド服を着せた時も、恥ずかしいとは思わなかった。
そうするより他にないと確信していたからだ。
だが、今回は凄く恥ずかしい。
思わず言う通りにしてしまったが、ボケる必要あった?
そのまま攻撃していれば、パーマ王……じゃなかった、パーシェンを倒せていたのではないか?
「プリセア……俺の行動は、無駄じゃなかったんだよな? さっきのボケは、やつに何か効果が出たんだよな?」
「んー。つまんなかったし、ダメかも」
ぐはっ!
仲間からのダメ出しで、俺のメンタルは一気にブレイク。
地面のうえで、ガックリとうなだれてしまった。
俺にはもう、パーシェンに近づく手段がない。
先ほどと同じ手は通用しないだろう。
万事休すか……。
「ふふん。このクソ人間、いよいよ万策尽きたようね」
予想外の声に顔を上げると、そこにはメスガキ魔族のメルカディアが立っていた。
「何の用だ?」
「あら、せっかく来てやったのに、つれない返事ね。あんたはメルが倒すって決めてたの。だから、あんなヤツに倒されたら困るのよ」
「じゃあ……」
「うん、クソ人間はメルが殺すね」
メルカディアはそう言うと、ふわりと宙に浮いた。
そして、魔王と化したパーシェンと肩を並べて、こちらを見下ろす。
「なあ、メルカディア? なんでそいつと仲良く並んでるんだ?」
「え、だから今ちゃんと説明したわよ。クソ人間はメルが倒すって。だからまずは、クソ人間の攻撃が届かない空中に退避したってわけ」
「はあぁぁぁ?! お前、ピンチに駆けつけてくれたんだじゃなくて、敵の増援としてやってきたのかよおぉぉぉ!!?」
「プークスクス。なんで魔族が人間の味方をすると思ったの? 残念でした~~~。怒った? ねえ、怒った?」
最悪の展開だ。
信用していたわけじゃないが、まさかここぞという所で裏切ってくるとは。
まともに戦えるのは俺だけ。
いや、もしかしたらメルカディアは、そういう状況になるのを虎視眈々と狙っていたのかもしれない。
魔王化パーシェンが、いきなり現れた魔族を
「真祖の姫、お下がりを。ここは我のみで十分。我が<すごい黒いビーム>で、カイも街も黒焦げにしてみせましょうぞ」
「えっ、何そのスキル名。ダサ……」
<すごい黒いビーム>、先ほどから使っている黒閃のことだろうか。
あの技、そんな名前だったんだ。
「なっ、我が命名を
パーシェンが突然、1人で押し問答を始める。
いや、1人ではない。
きっとパーシェンと魔王が、1つの肉体で言い争っているんだ。
「お兄さん、さっきの作戦は成功だよ! パーシェンと魔王の意識が分かれ始めてる!」
「確かに、2人の意識が混濁している様子はあった……。でも、それが何の意味があるんだ?」
「魔王がパーシェンと一体化できているのは、パーシェンに強い絶望の感情があるから。それを崩せば、あいつらは揺らぐんだよ。ここで攻勢をかけるから、<風精霊の花言葉>をあいつらに向けて! 大音量でいくから、お兄さんは耳を塞いでて!」
俺は言われた通り、空中のパーシェンに向けて、<風精霊の花言葉>をかざした。
あれ、片手でアイテムをもったら、耳を塞げるのは、もう片方だけなんだけど?
「やっほー、パーシェン! 聞こえる?」
そんな俺のことをお構いなしで、プリセアは大音量でかつての仲間に語りかけた。
「ふん、聖女ですか。あなたは歴代の中で最弱。いまさら私の敵ではありません」
「痛い所ついてくるねー。でも、人間と敵対して暴れまわってるアンタよりはマシだと思ってるよ」
「あなたの目論見は見抜いています。私を怒らせて、魔王とのリンクを絶とうというのですね」
プリセアに話しかけられたパーシェンは至って冷静だった。
こちらの狙いも見抜いている様子だ。
けれども、プリセアの言葉は、そんなパーシェンの冷静さを一気に取り払った。
「人様に迷惑をかけないでよね、薄汚れた売女の子」
「きぃさぁまあぁぁぁぁ!! 母上の愚弄だけは決して許さん! 母上があの男を
突如、パーシェンが
そう、怒ったのだ。
とある魔族の前で。
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