第47話 そして海へ

 あれから一週間。


 メイタロウが、競技魔術大会ペアの部の優勝者となってから時は過ぎて。 


 それからのメイタロウは、今までのメイタロウと特に変わることはなかった。

 大会が終わって、いつも通りの日常が戻ってきただけだ。


 レコードを止めて、家を出て、子ども達の待つ魔術教室へ向かう。


 伸びた艶のないシルバーブロンドを頭の後ろで結んで、よれよれの服を着て。

 何も特別なことなんてない。


 スオウは新しい任務があるとかなんとかで、既に街を出てしまっていた。

 あんなことがあったばかりで導師院に戻って平気かと、兄の言葉に大丈夫だと頷いて。


 やはり弟はプロ魔術師だ。自分の行く先に確固たる目的があって、使命のためなら迷うことがない。自分の人生を、懸けるべきもののために生きている。


 最初から知っていた兄弟の違いだ。

 兄には到底真似できない。何をするにも、メイタロウはやっぱり迷ってばかりだ。


 でも今はもう……。


 弟に及ぶべくもないが、メイタロウの日常にちょっとだけ増えたものが一つ。


「先生、お出かけかい?」


 庭先で水撒きしていた男性が、白い柵から身を乗り出して言う。


「あ、競技魔術大会で優勝した先生だ」


 バス停でとなりになった女性が驚き顔で言うと、周りにいた人々は少しだけ首を傾けてこっちを振り返った。


 握手してくれ、試合見てたよ、ほら、あの人が優勝したお兄ちゃんよ。


 様々な声が聞こえて。様々な顔が現れて。青年は初めて、この街を、この街の人々の表情をしっかりと見た。見られるようになった。


 あのすぐにずり落ちてくる眼鏡を通さず、真っ直ぐに。


 こちらに手を振る小さな男の子に、はにかみながらひらひら手を振り返す。


 未だに慣れることはないが、今は外に出ると必ず誰かに声を掛けられてしまう。


 これがちょっとだけ増えたものだ。


 ロドのとなりの助っ人魔術師とはいえ、メイタロウは、アマチュアがプロに勝利した数少ない例の一人になったのだ。


 最強アマのパートナーは街の子ども魔術教室の先生、としばらく話題の人になってしまった。


 先生、先生と、道行く人は気さくにこちらを振り返って呼ぶ。


 これはどうでも……いや、ちょっと……すごく嬉しかったけど、そんなことより魔術教室への寄付が集まったことが何よりの報酬だ。


 大会の後、メイタロウが子ども魔術教室の先生であることを知った世界中の人々から、教室運営の足しにしてほしいと多くの寄付金が送られてきたのだ。

 結果、競技魔術大会の優勝賞金と合わせて、かなりの額が魔術教室に集まった。


 あれだけあればぼろぼろの教室が修繕できるし、次に競技魔術大会があっても、子ども達は会場への遠征費用に困らないだろう。


 この状況は一瞬かも知れないが、子ども魔術教室のような、貧しい子どものための魔術教育活動に注目が集まったのは一つの前進だ。


 メイタロウもスラムの子ども達も、そして街行く人々も、誰もが魔術師になれる可能性を秘めている。

 それを信じてもらえるだけで、きっとこの街は、魔術の世界は、夜明けに近付いていくから。


「先生、またなー」


 講義を終えて、子ども達は散り散りに教室を出ていく。

 青年はいつものようにそれを見送った。


 そして次なる目的地に向かう。


 今日は別れの日だ。

 大会の後、しばらくこの街にとどまっていたロドが旅を再開する。その出発の日。


 一歩踏み出せば、ダウンタウンの雑然とした通りを、いつになく暖かい風が吹いていく。

 メイタロウはこの街を離れたことがないが、何となく、旅立つ者を祝う風のように感じたのは気のせいだろうか。


 目的地に着けば、魔術師はもう滞在していた安宿を出て、少ない荷物の紐を確認しているところだった。


「見送りに来てくれたんだね」

「当たり前だろ。恩人がこの街を出るんだから」


 彼女がいなければ、メイタロウは競技魔術大会に出ることはなく、ひいてはスオウとリン市長の窮地に駆け付けることもできなかった。

 何も知らずに二人を失い、その後は……。


 でもそんな未来を、ロドは変えてくれたのだ。


 この街の将来には未だ不安がつきまとい、魔術の世界の闇はいつまた迫ってくるかも知れない。


 でももうメイタロウは誰かの弱みになったりしない。

 この先どんなに辛いことが起きても、もう殻にこもって真実から目を背けないと、そう決めたのだ。


 闇の中で迷っても、水底に取り残されても。同じように闇の中でもがき、闘う人がいると知ったから。

 目の前にいる、この不思議で無口で困ってる人を放っておけない魔術師が、教えてくれたから。


 しかし一つの大事件を乗り越えたとは思えないほど、ロドの荷物は少なく。

 大会の優勝賞金もすべて子ども魔術教室に寄付して、彼女はほとんど身一つでこの街を去ろうとしている。


 けれどその姿に不安を感じさせないのは、彼女がいつもの顔をしているからだろうか。

 無表情に近くて、実はそうじゃない表情を。


 まるで明日もこの街にいるような、そんな気の抜けた顔をしている。

 まあ旅の魔術師なんだから、この別れも彼女にとってはどうってことない、ただの旅路の一部なのかも知れない。


 大会の後、各メディアはロドが何者かと大騒ぎだった。


 地方大会でも名を見ない、彗星のごとく現れた無名の最強アマ。

 実はプロか、プロを辞めた者か、それとも軍の魔術部隊出身か。


 様々な憶測が飛び交い、そしてそのどれもが的外れだった。


 憶測なんて要らない。

 この無口な魔術師が何者か。メイタロウはよく知っているから。


「僕もいつか、君みたいに旅に出てみようかな。迷走魔術師大海たいかいに出るってね」

「いいと思うよ。だって、」


 ロドが視線でメイタロウの右手を指す。

 そこでは今も、カエルのカフリンクスが黄色い目を光らせていた。


「カエルは変化の象徴だからね」


 その言葉に、確かに何かが変わったのだ。

 大会で感じたのとは違う、目の前が開けていく感覚がメイタロウに降りてきた。


 旅に出る。大きな海の向こう側を見る旅に。

 考えもしなかった。その力が自分にあるとも思わなかった。


 でももし、この先があるなら。


 やっと顔を出した水の上。

 注ぐ太陽の光の下に何があるのか、この目で見ることができるなら。


 風が吹いた。


 荷物を背負い直して、ロドはいよいよこの街を旅立つ。


「短い間だったけど、この街に来られて色々楽しかった。また魔術の道の上で会えますように、メイタロウ」

「うん。また魔術の星の導きのもとに」


 手を上げて、二人の魔術師は互いに別れの挨拶を交わす。


 最後にメイタロウが、一番言いたかったことは、


「君のような魔術師に会えて、本当によかった」


 ロドが、笑った。


 そして向けたその背を、メイタロウは忘れたことはない。


「……ありがとう、世界一優しい魔術師」


 青年の微かな呟きと共に、また一つ、風が吹き抜けていった。




 迷走魔術師、大会に出る。そして。

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迷走魔術師、大会に出る ハジコ @hajico

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