第46話 暗躍
「待て、ロド」
アマチュアペアの優勝に沸いたあの瞬間からしばらく時間が経ち。
閉幕式も済み、優勝者への記者達の怒涛の質問責めも一段落し、競技魔術大会は無事にそのすべてを終えようとしていた。
杖を携え関係者通路を歩くロドは、しかしその途中である人物に呼び止められていた。
掛けられた冷たい声に、彼女は何ら臆すことなく、
「VIP席からの眺めはどうだった、クロス?」
その人物にこう切り返した。
切り返された人物……先程までVIP席で試合を観賞していた黒髪の青年は、ロドの前に歩み出ながら顔をしかめる。
「さりげなく俺を嫌味なキャラにするんじゃねえよ」
普段は鬼神の迫力と、相対する者を震えさせる彼のしかめ面にもロドは一切怯まない。
その様子に青年……クロスと呼ばれた彼は、はあと一つため息をついた。
「いつも通りだな。何でここにいるんだとか、そういう驚きは俺の方にしかないわけだ」
「そんなことないよ。まさか来てるなんて思わなかったからびっくりした。VIP席にいるのが見えて、思わず上の方に逃げちゃったよ」
「逃げちゃったって何だよ。お前にとって俺は何なんだ。……それに手紙も出しただろ」
「ああ、あの手紙クロスからだったの?」
ぽわんとした魔術師の一言に、しかめ面が呆れ顔に変わる。
「お前、もしかしてあの手紙……」
「暗号文だなって思ってる内に燃えちゃったから、内容分かんなかった。クロスからかなーとは思ったけど」
「……」
「あたしゃ一般人だからよ。暗号文な上に燃える仕掛けなんてヘビーすぎるよ」
青年の導師院のバングルのはまった手が、悩ましげに額に当てられる。
「まあ、お前に''俺達''の手紙を出したのは悪かった。本来なら、ただのアマチュアのお前をこの件に巻き込むべきじゃない。しかし、」
「しかし?」
「自分から首を突っ込んだのはお前の方だ。早速お前が何者かと大会関係者の間で話題になってるぞ。『奇跡の人』が現れたと世間が騒ぐのも時間の問題だろう。一体何を考えている?」
諫めるとまではいかないが、いくらか非難の念を含んだ言葉だった。
言われた方は何とも思わなかったのか、話題をすり替えるでもなく、飄々と正面から受け止め、受け流す。
「クロスはあたしの心配をしてるの?」
「馬鹿。誰がそんなこと言ったよ。お前の行動の真意を把握しておきたいだけだ。変に動き回られると、こっちの活動にも影響が及ぶ可能性がある。……俺がどこに所属してる人間か知ってるだろ?」
その言葉に、ロドは彼がしている特殊な導師院のバングルに目を向ける。
金の線が一筋入った、特別な意匠の腕輪。
あれを身に付けられるのは、プロの中でもかなり少数の者に限られる。
導師院でも指折りの実力を持つ、高位の魔術師だけに許された意匠だ。確か世界ランク十位以内のプロだけが身に付けられるバングルだったか。
しかしあれは隠れ蓑だ。
彼は確かに世界上位の実力者だが、それは表の顔に過ぎない。
ロドが自分の言葉に答えないのを見ると、青年はふうと息をついて追及をやめた。
「部下から連絡が来たときは驚いた。まさかお前がこんな所で大会に顔を出すとは……しかもその果てに水の組織の幹部まで潰して」
「だってクロス達が遅いんだもん」
ロドの言葉に青年がさらに眉間のシワを深くする。
そのとき、
「そのことについては、お力になれず申し訳ありませんでした」
ロドに答えたのは、通路の角から姿を現した金色のブロンドの女性だった。
その女性に向けて、クロスは淀みなくねぎらいの言葉を掛ける。
「ご苦労だったな、セリーン」
「はっ。ありがたきお言葉」
女性……プロ魔術師セリーンは、胸に拳を当てて敬礼の格好をとった。
その姿勢も、口にする言葉も、スオウのとなりで新人プロとして見せていたものとは完全に異なる。
顔つきは今までと打ってかわって笑み一つこぼさず精悍で、すべての動作が歴戦の兵士を思わせた。
「まさか、この大会に派遣されているプロのほとんどが水の組織に加担しているとは知らず……会場が組織に制圧されたときも、応援を要請するのに時間がかかってしまいました」
軍人の顔つきのまま、セリーンは若干口惜しげに言う。
クロスにロドの行動を報告した部下とは彼女のことだ。大会の開始から、彼女はずっとそうだったのだ。
『新人プロ』という隠れ蓑で正体を覆い、大会で巻き起こる事を影に表に諜報する。それが仕事だった。
そしてそのセリーンを部下とするクロス青年の正体。
彼はセリーン達のような、表沙汰にできない任務に就く者をまとめる立場にある。
「……しかし我々『導師院の鎖』の手を借りず、セツガを倒しあの場を収められたのは流石でした」
セリーンの言葉に、クロス青年も渋々といった様子でわずかに頷く。
ロドは硝子のような目でその二人の姿を見ていた。
『導師院の鎖』。
存在することさえ世間には公表されない、導師院の影の組織。
導師院を正すという目的を持った、諜報機関であり制裁機関だ。
彼らは導師院の一部でありながら、その歪みを正すため導師院の長に次ぐ権限を帯びている。
そして影の組織ではあるが、導師院に所属するプロ魔術師を取り締まる立場にあるため、構成員はプロの中でも世界ランク上位の精鋭ばかり。
クロス青年は競技魔術のスター選手として活躍するかたわら、その長官的立場を務めているのだ。
『導師院の鎖』の目下のターゲットは、近頃暴走の兆しを見せる水の組織。
この街の市長に水の組織の脅迫状が届いた直後から、彼らは周辺を警戒し諜報員を潜ませていたのだという。
「水の組織が脅迫状の内容を実行する可能性はかなり高いと見ていたが、どこからどういう形で市長を狙うかまでは分からなかった。実行犯として一番有力なスオウにセリーンを監視役としてつけていたが、まさかセツガが黒幕とは……」
レセプションパーティー当時、機関の狙いどおり凶行に及び始めたスオウを、セリーンが止めるまでもなくセツガをはじめとするプロ達が制圧しようと動いた。
しかしその攻撃の異常性から、セツガ達こそが水の組織の本体であることに気付いたセリーンは、即座に仲間に応援を要請しそれを待っていたのだ。
「……私一人では、あの数のプロには敵わない。セツガ達に内偵が露見するわけにもいかなかった。結果的に、水の組織との戦いはすべてルメギアさんとメイタロウさんにお任せする形になりました」
「諜報員なら当然の行動だ。謝ることじゃない。人員を割かなかった上の判断ミスだ」
兵士の表情の中にも後悔をにじませる部下の様子に、クロスもようやく溜飲を下げる。
そしてロドに向き直って言った。
「色々言ったがセツガを止めてくれたことは感謝してる。お前のお陰で、市長と一人の勇敢なプロ魔術師を犠牲にせずに済んだからな」
青年の賛辞の言葉には答えず、ロドは、
「この街はしばらく安全なんだよね?」
と、青年の胸の内の核心を見透かすように返した。
ロドの言葉に、クロスは一瞬視線を迷わせ……一瞬口をつぐもうとして、しかし自分を刺す瞳に隠すことなく真実を明かした。
「水の組織の……セツガの所在ならつかめている。やつは長い間、導師院の
「導師院の長が、水の組織を匿ってるってこと?」
「……。これから導師院は荒れる。いよいよ水の組織が本格的に動き出す。悪くすれば魔術師同士の戦争が始まるだろう」
一度は濡れ衣によって翼を折られたスオウを英雄とし、水の組織を一時的に封じ込め、大会を再開させ。
それはすべてクロス青年の指示により各機関が動いた結果だ。
悪くすれば、などと彼は濁したが、この動乱を収めた慧眼の持ち主がそう予測するなら、それはいずれ揺るぎない事実として人々の目の前に現れるだろう。
クロスの言葉に、ロドはわずかにまぶたを伏せた。
最後に青年は、冷たい権力の実行者の顔を捨てて、古い友に向けてこう付け足す。
「この混沌の中で、一人で戦うのには限界があるぞ、ロド」
「……」
「この事件で得た一つの収穫だが、スオウが新しく『導師院の鎖』の仲間に加わった。魔術の世界を変えたい、とな。戦ったお前なら分かると思うが、彼は優秀な魔術師だ。俺達の大きな力になってくれるだろう」
お前はどうするんだ、と青年が続けるのを、ロドは予測していたようだった。
それは良かったね、とだけ言うと、さっとクロスを追い抜き背を向ける。
「あたしはもう街を出るよ。色々あって疲れたから、ゆっくり休憩する。クロスもそれなら安心でしょ?」
「誰もお前の心配なんてしてないって」
「そりゃどうも。じゃあね、クロス」
背を向けたまま、魔術師はひらひらと手を振り前に進み始める。
青年はもう、その背を見送るだけだった。
「逃げられましたね」
いつから聞いていたのか、どこからか現れた身なりのいい魔術師が、クロス青年に呟く。
年若い上司は、友の背を見たまま返した。
「最初からあいつの取り込みは期待していない。あくまで民間人だ。いくら奇跡の人なんて通り名が付こうが」
淡い色のポニーテールはこちらを一度も振り返らず、廊下の先を遠くなっていく。
その背と、その背を険しい顔で見送る上司を見比べながら、いつの間にか部下が微かに笑みを浮かべていることに青年は気付いた。
「どうした?」
「いいえ。ただ、貴方を少し誤解していました。かつてのご友人をそんなに心配されているとは。特に彼女のことは、もっとライバル視しているものかと」
「……そんな子どもみたいなことするか。今はただ、民間人とそれを守る立場の人間だ」
「ははは、そうですね。しかし彼女と貴方の因縁は世界的に有名な話ですから」
「……伝説として、な」
「ええ。かつての学生世界一『奇跡の人』と、それと戦った学生世界二位。その二人が今でもこうして友情で結ばれていると知ったら、貴方を見る世間の人々の目ももっと優しくなるでしょうに」
「俺は自分を負かした『奇跡の人』を影に追いやりプロとして上り詰め続ける男……それだけだ。それが揺るぎない事実なんだから」
そしてクロスは、既にロド……かつて自分を超えて世界一となった魔術師が消えていった通路の先に視線を向ける。
「この世界が本当の実力主義競争社会なら、誰よりその実力に報いられるべきはあいつだ。だが、魔術の世界があいつにしたことと言ったら……」
言葉ににじむ後悔とも悲哀ともつかない色に、身なりのいい魔術師は思わず黙る。
そんな部下に、聞くまでもなくやつの考えてることは分かってるんだ、と青年は一つ息をついた。
「水の組織が動き出したからには、いずれ必ず奇跡の人の抹殺に及ぶ。あいつは周りを巻き込まないために、あえて自分の存在を明かすしかなかったのだろう。しばらく続いた自身の平穏と引き換えにして……」
闇の儀式の斡旋が露見した後、水の組織は世間から、世界から叩かれ痛手を負った。
その儀式の告発には、まだ世界一になる前のロドが大きな貢献を果たしている。故に組織は彼女を大罪人とし、執拗に追い回したのだ。
そしてロドによって大きな打撃を被った組織が、今、導師院に守られ息を吹き返そうとしている。
一人のアマチュアが、魔術の世界そのものから追われようとしているのだ。
しかし友はそれに怯まなかった。
怯まず迷わず、水の組織が的確に、自分だけを狙うようわざわざ光の下に姿を現した。
無名の彗星として、競技魔術大会の優勝台に上がるという方法で。
「なるほど。確かに大会優勝は人々の話題をさらうでしょうが……それなら他の街で個人戦に出場した方が、もっと効果的に注目を集められたのでは? 彼女なら一人の方が楽に優勝できるでしょう。それなのに何故この街で、何故メイタロウ選手をパートナーにしてペアの部に? 彼は確かにいい魔術師ですが……」
沈んだ空気に耐えかねたのか、廊下の向こうを見つめ続ける青年の後ろで、身なりのいい魔術師が首をひねる。
その言葉に、クロスはようやく視線を戻し、腕を組みながら即座に返した。
「それは単純なことだ」
「単純なこと?」
「ああ。あいつは元々、学生競技魔術大会団体戦の選手だ。……自分と『同じもの』を持ってる魔術師と組んで戦うのが、何より好きなのさ」
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