第33話 迷走魔術師、大会に出る

 鼓笛隊のラッパの音と共に、色とりどりの風船が空を舞う。


 メイタロウはこの日を待っていた。

 市長襲撃事件により中断した、街の競技魔術大会の再開の日だ。


 屋根のないドームから、風船は風に乗りはるか上空へと。

 魔術競技場の空中廊下に立って、メイタロウはその行く先を目で追っていた。


 視界は開け、いつも宙を区切っていた眼鏡のフレームは今はない。


 頭上にはどこまでも続くような青空。眼下には人々で埋まっていく客席と、その中心の競技用フィールドで行われる大会の開幕セレモニーの様子が見えていた。


 地元パフォーマーによるフラッグダンスがフィールドを飾り、その後ろで高らかに吹奏の音が響き渡る。市のマスコットキャラクターの着ぐるみが、楽しそうにドタドタとその周りを暴れ回っていた。


 大会の再開を祝うこのセレモニーが終われば、いよいよ試合の開始だ。


 会場は変わらず、事件があった魔術競技用ドームで行われる。

 燃えかすになった天井部分を取り除き、屋根のない状態で試合が行われることになったのだ。

 もともとバルーンである天井部分は膨らませたりしぼませたりしながら開閉させられるよう設計されていた。

 晴天なら試合にも観戦にも差し支えないし、どちらかと言えばこの状態の方が試合風景は見栄えする。


 『水の組織』の襲撃から、奇跡の再開を果たした競技魔術大会。

 事件は地域を越えて広く報道され、大会は今やこの街だけでなく、世界の注目の的となっている。

 観客の熱気も大会再開以前より格段に増し、人々は期待に満ちた目でそれぞれ試合の開始を待っていた。


 試合の行方に注目しているのは観客達だけではない。

 セレモニー中のフィールド付近では、各選手が移動するのに伴って、新聞記者達が大移動している。

 そしてそこで一際大きな記者達の群れに囲まれているのは、市長襲撃事件の英雄となったスオウだ。

 メイタロウはあの事件の後初めて弟の姿を見るが、記者達に答える姿は元気そうで安心した。

 

 事件の後、スオウとセリーン以外のプロ魔術師は大会から撤退してしまっている。

 何でもあの事件の犯人である『水の組織』の動向を追うため導師院から離れられないとか。

 大会に戻ってリン市長とスオウと顔を合わせる訳にいかないにしても、なんとも挑発的な理由を付けてくれたものだ。水の組織が、『水の組織』を追うなんて……。


 ふと、風船が一つ空中廊下をかすめるように浮上してきた。

 思わずその行方を目で追う。


 その先には、メイタロウと同じようにセレモニーの喧騒を逃れてここまで来た魔術師がいた。


「久しぶりだね、ロド」


 近付くと、その人は会わなかった十何日間の空白も感じさせず、いつもの無表情に近い表情でメイタロウを迎えてくれた。


「久しぶり、メイタロウ。競技魔術大会日和だね」

「そうだね。いい大会日和だ」


 青空をのぞんで、青年もロドのとなりで今日という日を祝う。


 この空の下に、今日のすべての勝敗の可能性が散らばっている。魔術師は少しでも希望を引き寄せ、自分の望む結果をこの世界に示すのだ。


 ロドはどこを見ているのか、試合当日というのにまったく緊張の色はなかった。まあそれは大会再開以前も同じだったのだが、まるでセレモニーを楽しむ一観客と変わらぬフラットなたたずまいだ。


 それに比べてメイタロウは……緊張している。

 しかしこの緊張感は人生で初めて味わう緊張感だ。逃げ出したいとかそんなんじゃない。今はここにいたい。

 魔術師として、この魔術競技場に。


 見下ろすフィールド付近。インタビューに答えていたスオウに、リン市長が近付いていくのが見えた。

 先生はつい先日病院を退院し、いつもと変わらぬ姿でこの大会に参じている。決勝の勝者となった者の杖に、優勝旗を結ぶために。


 今大会の再開を象徴する二人の取り合わせに、カメラマン達も熱心にシャッターを切り始めた。


 そして。

 バシャバシャと、カメラのフラッシュが一際強くなった。

 先生は近付いていった勢いのままスオウと腕を組み、記者達にその姿を撮らせているのだ。

 何とも大胆で、事情を知らぬ者が見ればただただ微笑ましい光景だろう。


 大変なのはスオウだ。

 弟があたふた慌てる姿を久しぶりに見た。さりげなく先生の腕を解こうと必死になっているが、逃れられずされるがままになっている。先生昔から力強かったからな。

 気鋭のプロ魔術師も、快活な恩師の前では形無しだ。


 自然と、唇が微笑みの形を作る。

 そうだ。この視線の先に二人がいるなら、もう逃げ出すことなどない。


「昨日はよく眠れたし、気力は十分。魔力の流れもスムーズだ。これならきっと……」


 杖を握る手に力をこめる。

 数日の付け焼き刃のような特訓が、どれだけ大会に挑むこの身の力になるか。しかし一通りの防御術は以前より速く完成させられるようになった。パートナーの足手まといにはならないつもりだ。


「前より上手くコントロールできる。大丈夫だ」

「眼鏡がなくてもね」


 相変わらずどこを見ているのか、空中廊下の手すりに両腕を乗せながらロドがぼんやり呟いた。

 しかし聞いている方は、その何気ない言葉に思わず飛び上がってしまっていた。


「……気付いてたのか」

「眼鏡があんまり好きそうじゃないのに、やけに大事にしてたから」

「……。あの眼鏡は僕の支えだった。魔力の出力を抑えてたんだ。あれがあれば、制御の下手な僕もまともな魔術師でいられた」


 魔力を増強する装飾品は、大会への持ち込みは一切禁止だ。密かに身に付けていても、試合前の大会審査委員会の検問にひっかかってしまう。

 しかし逆に魔力を抑える装飾品なら、選手本人が望むならいくらでも持ち込み可能だ。


 メイタロウが掛けていた眼鏡はまさにそれだった。

 あの眼鏡のグラスは普通の度なしレンズだったが、フレーム部分は魔力の最大出力を抑える加工がされていたのだ。

 もしも……もしも魔力の暴走が始まっても、あの眼鏡さえあれば力を抑えられる。その安心感がメイタロウを魔術師にしていた。


「でも、眼鏡はもう必要ないんだ。……そう信じさせてくれた人達がいるから」


 そっと、右手の袖に着けたカエルのカフリンクスに触れる。冷たい感触が、これをもらったあのときを思い起こさせるようだった。


「いいね、それ」


 率直なロドの言葉に、「魔術教室の子ども達にもらったんだ」と思わずはにかみ笑顔になってしまう。


「お守り……かな? お守りだとは言われなかったけど。僕にとっては大事なアミュレットだよ」

「願いのこもった装飾品を贈られるのは、魔術師の一番の誉れ、だもんね」


 魔術礼法の教科書に載っている文言を引用するロドに、にやけの止まらないメイタロウは照れくさくなって頭をかいてみせた。


「生徒にも言われたけど、君にならって僕も腕のおしゃれを……って、ロド、ブレスレットはどうしたの?」

「ああ、あれ? 何かこの前のごたごたでなくしちゃった」


 ぼんやりした魔術師は、何の重りもなくなった右手をひらひらと振ってみせる。


 彼女の腕には、最早一つの装飾品もない。

 それだけのことなのに、青年は何故か目の前が開けていくような、どこかで何かの扉が開放されていくような、不思議な感覚を覚えた。


 この空の下に散らばる、無数の勝利への可能性。それをすべて集めてしまえそうな、その魔術師の手に。

 この人は……。


「おお、ここにいたのか! すいません、お二人とも! 日刊競技魔術新聞の者ですが……」


 空中廊下までやって来た記者達がロドとメイタロウを見つけ、二人を囲んだのはその直後だった。

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