第32話 返されるものへ

 キィと、玄関のドアの蝶番が短く音を立てる。

 扉を開いて、メイタロウは自分を見つめる十の瞳と出くわした。

 だから思わず、間抜けな表情で固まってしまったのだ。


 ドアの向こうにいたのは、


「よかった。先生外に出られるんだね」


 玄関に並んだ小さな背の内、先頭にいた少女は安堵の笑顔でそう言った。

 メイタロウは思わず、


「エリー、ケンタ、ショーン、ハル、ラビィ……」


 そう順番に名を呼んでいた。

 五人の子ども達はホッとした表情で互いを見合う。


「何だ。オレ達のこと忘れてなかったんだな」


 集った子ども達の内、年長と思われる少年が場を茶化すようにそう言った。


「みんな、どうしてここに……?」


 驚きっぱなしの青年の問いには、年長の少年のとなりにいる眼鏡の少年が答えてくれた。


「スオウが魔術教室に来たんだよ。兄貴が絶賛引きこもり中だから、良ければ見舞いに行ってやってくれって」

「あいつ……」


 スオウはプロになる以前から、リン先生を通じて街の貧しい子ども達への支援活動に参加している。

 青空教室の後輩であるスラムの子ども達に魔術を披露したり、軽く実戦の指導をしたり。子ども魔術教室の生徒達とも何人かとは顔見知りの間柄だ。


 そしてここにいる子ども達は、先日魔術教室に顔を出したスオウにこの家の住所を聞き、メイタロウを訪ねてやって来たらしい。


 しかし絶賛引きこもり中か……。


 本当のことなので何も言えないが、教え子達の前で何とも情けない話だ。彼らもきっと、その引きこもりの先生を痛ましく思ってこんな所まで来たのだろう。


 しかし、


「先生すごいよ」

「え?」


 生徒達からの予想外の言葉に思わず声が出た。

 そんなメイタロウにはかまわず、年長の少年は懐からカサカサと折りたたまれた新聞を取り出す。そしてメイタロウの前にばんっと広げてみせた。


「先生新聞に載ってるぜ? しかも一面だ」


 彼が持っているのは、日刊競技魔術新聞の号外だ。


 『最強アマチュアペア。プロ打倒なるか。今季最大級の決戦ここに』。

 そう書かれた見出しの下には、メイタロウとロドの試合風景を写した写真が大きく掲載されている。


 どうやらこれは競技魔術大会の再開に合わせて、出場選手の紹介をするための号外らしい。

 なんと普段は大会の華である個人の部より大きく、一面に掲載されているのはペアの部の出場選手の紹介記事だ。

 そしてプロ魔術師であるスオウ・セリーンペアを差し置いてその先頭を飾っているのがロドとメイタロウペアだった。


「『攻撃の核・ルメギアと守りの名手・メイタロウ』……だって!」

「『プロ対アマ、因縁の兄弟対決なるか』。……先生ってスオウと因縁の関係だったのか? 新聞屋って結構好きなこと書くよな」


 そう言う年長の少年の指す部分には、小さいが、ある写真が掲載されていた。

 この街の学生魔術大会で優勝した当時の、メイタロウとスオウの写真だ。優勝旗を結ばれた杖を手に、兄弟二人嬉しそうに笑っている。


 どうやってこんな昔の写真を引っ張り出してきたのか。そして因縁の兄弟対決って……。


「先生」


 新聞記事にはしゃぐ子ども達の中から、出し抜けに神妙な声が上がった。声の主であるラビィが、メイタロウの前に一歩歩み出る。

 そしてそっと握った拳を青年の前に突き出した。


 何事かと、メイタロウも彼女の目の高さまでかがむ。

 そんなメイタロウに、ラビィは右手を出すよう促した。


「杖を持つ手のおしゃれは太古から続いてきた魔術師達の伝統って、先生言ってたでしょう?」

「あ、ああ」


 戸惑うメイタロウの手の平に、そっと冷たい感触が乗っかった。


「これは、カフリンクス……?」


 少女の渡してきたそれは、よくこの辺りの土産物店に置いてある手工芸品だ。

 どっしりと座った姿勢の、木彫りのカエルのカフリンクス。大きさは大人の親指の爪ほどだが、細部まで丁寧に彫り込まれている。

 カエルの目の部分には、黄色いガラス玉がはまっていた。


「スオウもバングルしてるし、準決勝まで来たんだから先生の手首も大注目だよ。おしゃれしないとね」


 先生がいつも着てるシャツの袖に付けてよ、と子ども達は言った。

 どうやらこのカフリンクスは、ラビィが身を寄せている叔母の経営する土産物店から一つだけもらってきたものらしい。「返すのは無しだぜ」、「遠慮せずに受け取ってよ」と、矢継ぎ早に子ども達は言った。


「カエルは幸運とヒヤクの象徴なんだって。叔母さんが言ってた。超縁起いいでしょ?」

「ヒヤク……飛躍」

「うん。先生、スオウに勝てるといいね」


 ラビィの、教え子達の瞳がまっすぐ自分を見つめる。


 目を見開いたまま、メイタロウはしばらく何も言えずに固まってしまった。


 唇の隙間から吐き出すようにやっと出たのは、


「ありがとう……」


 単純な……しかしそれ以外には言葉が見つからない、単純な一言だった。


 その言葉に子ども達は再びお互いを見合う。満足そうな笑みを顔いっぱいに浮かべて。


 そして全員そろってさっさときびすを返してしまった。


「頑張ってね」「優勝しろよー」と、口々に言いながら、素早くメイタロウの家の玄関を去っていく。

 どうやらカエルのカフリンクスを渡すためだけにわざわざ家まで来てくれたらしい。


 メイタロウは手を上げて、去っていく子ども達に応えた。


 風のようにやって来て、風のように去っていく。

 魔術教室のときも思うが、子ども達の突飛な行動はまるで湖面を揺るがす突風のようだ。


 でも、その突風が一吹きに変えてくれるものがある。救いとは、いつも大人が子どもにもたらすものではない。


 わいわいと、教え子達の背は見る間に街の中へ遠ざかっていく。最後にラビィが、こちらに向けて小さく手を振ったのが見えた。


 ……青年が気を張っていられたのはそこまでだった。

 彼らの姿が街角に消えるのがあと一拍遅ければ、頬に一筋伝ったものを見られてしまっただろう。


「ありがとう」


 もう一度呟けば、昼の太陽は視界に滲んで。手の平のカエルの、ガラスの瞳がきらきら輝いた。


 メイタロウはぐっと前を見据えると、杖を取るため急いで自室まで走った。

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