第31話 浮上

 一曲を聞き終わって、メイタロウはそっとレコードを裏返した。


「大会の再開おめでとう」


 先生の声がよみがえる。

 レコードは一転して軽快なリズムを刻み始めた。

 悲しみの後、世界のどこかを探せば希望があるという、現実逃避の旅の歌を。メイタロウはこの歌のために滅多に円盤を裏返さない。


 もう昼過ぎだというのにカーテンを閉めたままの窓辺に立ち、しばらくぼんやりとレコードが回るのを眺めていた。


 市長襲撃事件とそれに伴う火災のために中断していた競技魔術大会が再開する。

 先生がメイタロウを見舞いに呼んだのはそれを知らせるためだったのだ。


 それにしても早い再開決定だった。

 目覚めたばかりの先生は、魔術大会だけはすぐに再開させたいと病院にいながら奮闘したらしい。


 メイタロウは今その開催通知と、出場選手の名簿を手にしている。

 再開は今日から数日後。

 準決勝から始まる大会の出場選手名簿には、ペアの部の欄に確かにその名前が刻まれていた。


「スオウ……」


 準決勝第一試合出場選手。スオウ・セリーンペア。


 そう。スオウが市長襲撃事件の犯人と報道されることは遂になかった。むしろその逆だ。


 市長襲撃の犯人から、市長を守った英雄魔術師・スオウ。

 事件の翌日の新聞の一面を飾ったのはその文字だった。


 どうして一度は犯人の嫌疑をかけられ、他のプロ魔術師達にも捨て駒にされたスオウが一夜にして英雄になったのか。

 それはメイタロウのあずかり知らない、不思議な力によるものだった。


 その不思議な力によって作り上げられ流布された事実はこうだ。


 スオウはパーティーの最中、突如乱心したかのように競技場の天井へ火を放った。

 その時点でプロのリーダー・セツガは人々に避難を指示。会場は混乱に陥った。


 そしてその混乱の最中、燃え上がった天井から、水の組織を名乗る正体不明の集団が会場に下り立ち市長を攻撃した。スオウはその攻撃から市長を守ったのだという。

 スオウの最初の攻撃は、天井に潜んでいた彼らの奇襲を看破しての先制攻撃だった。


 そしてスオウを含むプロ達は燃え上がる競技場で襲撃犯達と戦い、彼らを撤退へと追い込んだのだ。

 その後スオウとセリーンを除くプロ魔術師達は、会場から逃げる水の組織を追って街の外まで出ていってしまった。そしてそのまま導師院から招集がかかり、本国へ帰ってしまったのだという。


 なかなか無理のある話だとは思うが、事件の目撃者はレセプションパーティーの出席者のみ。

 事件当時会場は大混乱となったため正確に状況を知る者もいない。当事者であるプロ魔術師達も何の声明も出してこない。

 そのためか、この件は誰に追求される気配もなかったし、もしかしたら裏で大規模な口止め工作が行われたのかも知れない。

 マスコミや警察まで丸め込めるなら、パーティーに出席していたアマチュア魔術師や大会関係者の口止めくらい容易いだろう。それほどの力が働いたのだ。


 もし曇りなく真実を公表するなら、セツガを市長襲撃の主犯、スオウへの脅迫の首謀者として告発しなければならない。

 しかし残念ながらセツガを事件の真犯人とする証拠は何一つ残されていない。

 もともと証拠を残さずスオウだけに罪を背負わせる算段があったからこそ水の組織は事件を起こしたのだ。

 メイタロウも探せば簡単に何か出てくるとは思っていなかったが、事実の隠蔽にかけるその手腕だけは見事と言わざるをえなかった。


 メイタロウが事件の当事者として目撃証言を行うこともできる。しかしそうして追及すれば、今度こそ水の組織とこの市との戦争になってしまうだろう。

 青年はこの事件で身に染みて理解させられたが、水の組織とはすなわち導師院の中枢なのだ。

 そうでなければ、水の組織を締め出したこの街の大会に、たまたま水の組織のメンバーを主力にして、出場選手として送り込んだりすることはできない。


 つまりセツガを告発するということは、世界の頂点である導師院を敵に回すということだ。

 真実を知るスオウやリン市長はさらに周到な手段での暗殺の危険にさらされるだろう。いや、もっと多くの人が犠牲になるかも知れない。


 働いた大きな力は、多分それさえ考慮に入れてこの街を守る選択をしたのだ。


 メイタロウは最初、この取り計らいをリン市長の要請によるものだと信じていた。しかし、


「いいえ。私が目覚める前に、こうなるよう全てが動いていたの。マスコミも、警察も、市より上のコントロール下にある各所は全部、スオウを英雄とする方向に動いていた。架空の水の組織の襲撃犯を作り上げ、市と本物の水の組織との衝突を避ける方向へ」


 一夜という短い時間で各公権力もマスコミをも操り、導師院も口出ししてこない強大な力。

 そんな大きな力がこの世にあるものかと、メイタロウはぼんやり思索にふけることしかできない何か。


 強大なだけでなく、政争を戦い慣れているという意味でもかなりの切れ者が属する組織だ。

 スオウは英雄として守られているし、そうなるとセツガ達もしばらくこの街に手が出せない。

 報道のおかげでリン市長には世間の同情が、スオウには賞賛の声が集まり、競技魔術大会も早々に再開することが決定したのだ。

 争いを一時休戦させただけとも言えるが、今はすべてが丸くおさまったように見える。


 先生はかすかにその巨大な力の正体に見当がついているようだが、メイタロウはそれが何かを追及するつもりはなかった。


 大会は再開する。

 メイタロウ達の他に存在した、セツガの思惑を良く思わない何者かの手によって。


「楽しみにしているわ。あなたが大会で見せてくれる魔術を」


 先生の微笑みが、カーテンの隙間から入った午後の陽に立ち上り消えていく。


 ふと、部屋のすみに置きっぱなしになった杖に目がいった。

 優勝した魔術師は、あの杖の先に優勝旗を付けてもらえる。その瞬間、ありふれた一本の杖は、この世界で一本の杖になるのだ。


 得体の知れない大きな流れが、誰にも触れることを許さない内に周りの景色を変えて。

 自分がただその結果を見ていることしかできない弱き者なら、何故まだ道は開けているように見えるのだろう。

 何故この心は水底に帰らないのだろう。


 水中で漂い、上にも下にも行けない。それが希望に満たされている状態か、絶望に沈もうとしている前触れか、それすら分からないが。


 いつの間にか、回るのを眺めていただけの一曲は終わっていた。


「僕がどんな魔術師か分かる、か……」


 部屋の扉がノックされたのはそのときだった。


「メイタロウ、お客さんよ」


 扉の向こうから聞こえたのは、のんびりとした母の声。


 しかし客……? この引きこもりに誰かと会う約束は一切ないが、自分に客とは一体誰か。

 疑問に思いながらも、青年は扉の向こうへ返事を返したのだった。


 



「お客さん、起きてるかい? あんたに手紙だよ」


 汚れた街の空気と若干酒にやけた声が、薄い扉の向こうから響いた。

 破れそうな勢いでドアがノックされる。パラパラと天井から木屑が舞った。


 そのノックの前に、このボロ部屋の借り主であるロドは、すでに扉の前に立って近付いてくる者を待っていた。


「あー、ここも穴が開いてる」「天井が落ちてくるな、こりゃ」「もう駄目だこの宿は」とか言いながらギシギシギシギシと床を踏みしめ部屋の前まで近付いてくる者がいれば、ドアの向こうにいたって分かるだろう。


 扉を開けると、まばらに白髪を残す禿頭に眼鏡をかけた気難しそうな老人……この宿のオーナーは、手紙を二通差し出しながらその場に立っていた。


 ロドが礼とともに手紙を受け取ると、オーナーはぶつぶつと、聞いてもいない手紙の主について語ってくれる。


「名前は言わなかったが、随分身なりのいい人だったよ。ご丁寧に『ロド・フェイデ・ルメギアさんはまだこちらのお宿にいらっしゃいますか』だとさ。立派な杖も持ってたし、ありゃ相当いい所に勤める魔術師だな」


 普段は客とおしゃべりなど言語道断とばかりに無愛想なオーナーだが、ロドはすでにこの宿に宿泊して数週間。このボロ宿始まって以来の上客だ。

 宿の払いとともに徐々にオーナーも心を開いてくれていた。


 相槌をうちながら、ロドはその立派な身なりの魔術師が持ってきたという手紙を広げる。

 一通は、競技魔術大会の再開通知。宛名は選手各位で、参加予定選手全員に出されただろう手紙だ。


 そしてもう一通は……。

 手紙に目を通しながら、ロドは静かに息をついて、


「…………」


 読んだ端からその暗号文が燃えていくのを黙して眺めていた。

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