第25話 泡沫

 スオウが、水の組織。 


 その言葉の意味はじわじわと、メイタロウを蝕み始めた。驚愕の故に、自分がどんな顔をしてしまっているか分からない。


 さっきセツガがスオウを水の組織だと言ったとき、何の迷いもない、そんなの嘘だと思った。

 しかしスオウは自分の口から言ったのだ。自らが組織の一員だと。


 魔術師に闇のルートで力を売りさばく、世界中に忌まれる秘密組織。リン先生に脅迫状を送ってきた、目的の為なら手段を選ばぬ暗殺者集団。

 その一人がスオウだって?


「何を、言ってるんだ? お前が水の組織の一員って……そんなの嘘だろ? 何でそんな……」

「本当だよ。本当は、俺がパーティーの最中、衆人環視の下に市長を殺すはずたった」


 言葉が出てこない。ただ真っ白な頭を置いて心拍数だけが上がり、危うく混乱状態に陥りかける。


「私の言った通りだろう? スオウはその手でパーティーをぶち壊したのだ」


 今は耳障りなほどのセツガの声が、すんでの所でメイタロウを現実につなぎ止めた。

 そうだ、まだ話は終わっていない。


「……でも先生は生きてる。それにスオウはあなた達も、水の組織だと言った」


 踏みとどまって、ぐらぐらと揺れる視界でセツガの顔を見る。見ていると、ある一つの考えに行き当たった。

 弟が自分の意思で先生を害するはずがない。ならばそこには、必ず権力という圧が働いているはずだ。


「あなたがスオウに……」

「強制したわけではないさ。スオウは我々の仲間だ。私はスオウにだけだ」


 ここまで言われてスオウは何も言い返さない。セツガの言っていることはすべて事実と反するはずだ。

 なのにどうして……。


「鈍い兄貴だなあ」


 スオウとセツガの間で視線を彷徨わせるばかりのメイタロウに向かって、大杖の男が呟いた。

 スオウがメイタロウから顔をそむける。


 鈍い兄貴……。

 セツガはさっきメイタロウを見て、スオウに何と言った? お前のお前を思っている、そう言わなかったか?


 それですべてを察してしまった。


「人質……僕と、母さんか?」


 弟は押し黙ったまま、何も言わない。しかしそれは是と言っているも同然の反応だった。


 スオウが、幼い頃あれほど慕っていたリン先生を手に掛けねばならない理由。

 この街で細々と暮らし、どこにも逃げ場のない二人を、……無力な一般市民である母と兄を、人質にするなら最適だろう。


 卑劣とかそういう言葉の前に、悲壮は脳天を貫いた。


 スオウは最初から選べなかったのだ。

 リン先生か家族か、その天秤を前にしてたった一人。でも、


「それでも、スオウは先生を殺さなかった」

「ああ、だから最後の手段をとっていると言った。我々はそいつに裏切られたのだ」

「人質をとって脅しておいて、どの口が……」


 危うく先生を置いてセツガに向かっていく格好になりかけたメイタロウを、スオウが静かに制する。


「最初から俺は駒だったんだ。やつらの市長失脚計画のためには、俺の死が必要なんだから」

「死って……!」

「先生に届いたあの脅迫状。……匿名のあの脅迫状は、俺が死んだ後、『俺』が出したことになる。事件は俺が一人で起こしたことになるんだ」


 脅迫状の文面通りなら、水の組織は、大会から組織を締め出した市長への報復のために凶行に及んでいる。だが本当の目的はそれではないということだ。

 スオウに単独犯として罪を着せることで、はじめて達成される目的があるのだ。


「正確にはお前達の『関係』が必要になる。元教え子と教師の域を越えた、な。……プロ登用試験には受験者の家族が立会人として呼ばれるが、お前のプロ試験の折りにはリン氏が呼ばれたと聞く。それだけ懇意な女性なんだろう?」


 セツガが何を言わんとしているか、メイタロウが弾き出すより早くスオウが口を開いた。

 

「俺はこの会場建設前に、街の出身魔術師として建設案に意見を求められた。……会場の天井にバルーンを使うことは俺の提案ってことになってる」

「会場を激しく燃え上がらせ彼女の失策を広めるためにが提案したことだろう? 大事に思っている魔術師の案だ。哀れにもお前の計画を知らない市長も快諾したはずだ」

「……!」

「水の組織に属していたお前は、大会から水の組織の締め出しを表明した元恩師に裏切られたと思い、周到に用意して事件に及んだ。そしてここで彼女と心中する。止める仲間の説得も届かずに。どうだ? 美しいシナリオだと思わないか?」

「初めから罪を着せるつもりで……」


 この会場が設計されたときからずっと、スオウはセツガの言いなりだった。

 最後がどうなるか知っていて、それでも逆らえず。


 家族が、メイタロウが重石になったせいで……。


「……兄貴、俺達みたいな何の後ろ盾もない人間が魔術師になると、こういう悲しいことが起こるんだ」


 そう呟いた弟の横顔にはただ諦念が、どうしようもない運命を飲んだ者の陰りがあった。

 メイタロウにはどうしようもない陰りが。


 沈黙に包まれる兄弟を前に、セツガは揚々と手を広げて語り続ける。


「水の組織に反対していたはずの市長が、その組織に属する魔術師であり、あろうことか元教え子である相手と痴情のもつれの末に死ぬ。彼女には市長としても教師としても、最大の醜聞と共に消えてもらう」


 ……それが目的か。


 単純に報復の犠牲者という形で市長が亡くなれば、市長は水の組織と戦い続けた英雄になる。水の組織への世間の目は一層厳しくなるだろう。


 しかしそれが先の醜聞を交えた途端、世間の評価は一変する。

 この暗殺で、水の組織に都合の悪い一人の政治家が消えるだけではない。リン市長のやってきたことすべてが世の批判にさらされるのだ。

 彼女の思想も。彼女と同じ思想を持った政治家も、糾弾を免れないだろう。


 事件がニュースとして大きく報じられれば、ことは一市長の交代に留まらない。今後彼女と同じ考えを持った政治家が要職に当選しにくくなる。この市だけではなく、全世界規模で。

 それに一見私怨に見える事件が裏での組織的・計画的な暗殺だとひそかに流布されれば、それ自体が水の組織に反対する政治家への牽制になる。

 世界の首脳陣に水の組織の力を見せつける絶好の機会にもなるということだ。


「人間には生まれつき区分がある。上に立つべき人間と、そうではない人間。魔術師になるべき人間と、そうではない人間。その境界を越えようとした身勝手で生まれた歪みは、世界の守護者たる者によって正されねばならんのだ」


 セツガの言葉はメイタロウの心のせきを壊す、最後の言葉だった。


 ごく静かに、今まで開かなかった目が開いていく。自分を保つために閉じられていた目が。


「スオウ、先生を頼む」


 自分でも自分の声かと疑う低い呟きと共に、担いでいたリン市長をスオウに預ける。

 もう視界は揺れてはいなかった。


「兄貴……?」


 不安げに問う弟に返す言葉もない。今は胸の内を流れ出した感情に身を任せるばかりだ。


 温度が高まっていく。


 メイタロウには、酷な運命を飲んだ弟の泣き顔は晴らせない。自分でさえ、窮地に立たされれば定めに従うしかない、弟よりもっと弱い存在だ。


 それを流れに流される、無力な小枝に例えるつもりはない。日常を受け入れて、他の大勢と同じく大海までたゆたうことを是とした身だ。

 意味のある終わりを迎える悲劇の主人公ではない。日々の消化の果てにここで消えて汚名を着るだけの、とるに足らない存在だ。


 魔力に恵まれず生まれついたときに、それでも魔術師に焦がれ成ろうとしたときに、順風満帆な暮らしを約束されなかったことは知っている。

 行き着こうと努力しても、それがすべて報われるわけではないことも知っている。それくらいなら、胸の内で浄化できる。


 ただ一点の怒りも示さず、誰かの意志のまま消えていくことがどうしても飲めないだけで。


 ……ここに至って、すべきことはただ一つだ。


 そっと、冷たくなった指で眼鏡を外した。

 スオウが目を見張る。構わずそれをその辺に放り投げた。

 グラスもないフレームだけの眼鏡が、カランと乾いた音を立てる。


 ずいぶん長い間、自分を守るために掛けていたものだ。これがなければ抑えられないものを、今は抑えなくていい。 


「先生を外に連れて行ってくれ……」


 弟に呟く、それが最後の頼みだ。


 兄の言葉に頷きはしないものの、スオウはこれから起こることと、自分がすべきことを即座に察したようだった。

 先生を抱えなおすと、メイタロウから少しずつ距離をとる。その顔はかなりの苦悩に支配されていたが。


 何事かと、プロ魔術師達がいぶかしげな顔で杖を構えた。どうやらメイタロウの周りの魔力の流れの変化に反応したようだった。


 たった一人の魔術師が、これだけの数の格上の魔術師に対抗する術は一つ。


 一呼吸ずつ、自分の回りの温度が高まっていく。どす黒い霧が足下から漏れ出した。

 メイタロウが踏みしめる床が高温に溶け出し、その黒い霧の一部となっていく。


 先生を守りながら、スオウがいよいよその場を離れる格好になった。


「何をするつもりだ?」


 プロ魔術師の中ではいまだに杖を構えていないセツガが、ゆっくりと口を開く。

 メイタロウは硬質な声で答えた。


「さっきあんたはスオウのプロ試験のことを口にしたが、そのときに立会人がもう一人いたことを知らないのか? そのとき起こったことも……」


 黒い霧は球状にメイタロウを包み込んでいく。その熱が辺りの景色を蜃気楼のように歪ませた。


 温度が高まる空気の先に、今はセツガの顔しか見えない。

 魔力の奔流を隔てて、二人の魔術師は睨み合う。


 セツガとフブキの兄弟に共通点などないと思っていたが、彼が浮かべた表情はフブキとよく似ていた。

 弱い者に噛みつかれたときの目だ。


 そうだ、メイタロウはただ噛み付いているだけだ。これからやろうとしているのは相手を殴り返すためだけの行為なのだから。


 ふと、自分から少し離れた場所に立つスオウと、担がれている先生を見る。無事逃げおおせてほしいが、相手はそんなに甘くないかも知れない。それでも。

 メイタロウはきっとここから出られないだろうが、それでも。


 ……先生はきっと、許してはくれないだろう。


 ごめん、二人とも。

 ごめん、ラビィ、魔術教室のみんな。


 もう大会にも、魔術教室にも戻れない。


 これを放てば、魔術師としての一線を越えてしまうことになる。誰も傷付けずに生きていけたらいいと、あの言葉も裏切ってしまうかも知れない。

 これは相手と心中覚悟で、最後の手段として使われる禁忌なのだから。


 高温の霧が広がっていく。

 少しずつ狭まっていく視界に、今はここまでの大会の記憶が重なって見えた。

 魔術師として生きられた、眩いほどのこの数日間が。


 そしてそこに映る、自分をここまで連れてきてくれた人の顔に、メイタロウは再び謝罪を呟いた。


 ごめん、ロ……。


「ロド……!?」

「ショット・エア」


 炎の海を一陣の風が引き裂いていく。


 現れたその魔術師の一撃は、プロ魔術師の手から杖を弾き飛ばした。

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