第24話 炎と正体

「兄貴……」


 青年の声が絶望に揺れる。

 スオウの言葉を切ったのはセツガではなく、メイタロウだった。


 突然現れた部外者に、その場に並ぶ魔術師達が殺気立つ。

 それをセツガが片手で制した。


「よかったな、スオウ。お前の家族もお前を大事に思っているようだぞ」


 セツガの言葉は、メイタロウの頭の中を右から左へと通り抜けていった。


 この光景は何だ……。


 燃え上がり大きく穴の開いた天井。そこから降り注ぐ火の粉。

 ほとんど明かりの消えた会場をあちこちに燃え移った炎が照らし、なぎ倒されたパーティーのテーブルがバリケードのようになっている。床にはグラスの破片が散らばって、競技用フィールドは見る影もない。


 そしてそこで巻き起こっている、これは何だ?

 リン先生が倒れている。それを守るようにスオウが立っていて、スオウをまるで追い詰めるような格好で魔術師数人が入り口側に固まっていた。


「これは、噂のダークホース殿。我々に加勢するために来て下さったのかな?」


 入り口で動けなくなるメイタロウに、セツガが面白そうに声を掛けてきた。

 彼の他には魔術師が四人。皆、開会式のときにちらりと姿を見た、プロ魔術師達だ。

 それが一斉にメイタロウを向く。


 地上に燃え移った炎に照らされて虚ろに光る十の瞳。どうしてか分からないが、彼らの姿はまるで、魔方陣から召喚された悪魔の群れのように見えた。


「これは、一体何ですか? 皆さんはここに、人命救助のために戻ったと聞いたんですが……」

「おや、何も知らずにここまで来たのか? セリーンから聞かなかったかね、この火事を起こしたのが誰か」


 哀れみと、わずかな興がのぞく赤い目。恐ろしいとは思わなかった。ただ、思わず目をすがめるような不快感がこみ上げてくる。


 メイタロウの表情には構わず、セツガは大仰な動作で胸に手を当てながら続けた。


「兄としては耳を塞ぎたい事実かも知れないが、心して聞いてほしい。……スオウこそが、市長に脅迫状を送った水の組織の魔術師だったのだ」


 ぶつりと、またバルーンの一部がセツガとメイタロウの間にひらめき落ちた。

 メイタロウはしばらく、セツガが何を言ったのか解せなかった。


「見ろ。この焼け焦げた天井を。これはスオウが放った炎で焼けたのだ」


 セツガは言う。パーティーもたけなわの頃だった。当時、会場ではプロが順番に己の魔術を披露する見せ物が行われていた。

 今ここにいるプロ達が次々と術を見せていき、スオウの番が回ってきた。

 しかしスオウは事前に予定していた術の披露は行わず、突然炎の魔術を天井に向けて撃った。その魔術が天井を焼き、その後乱心したスオウは己の魔力を暴走させ会場を破壊し始めた。

 それはプロ魔術師達でも容易に止められるものではなく、セツガは市長を連れていち早く外へ避難した。しかし市長は残された者の捜索に会場へと戻り、そしてそこをスオウが襲ったのだという。


「市長は勇敢にも残された者の救出に戻ったが、まだ会場にいたスオウが彼女を襲った。……彼女に、相当の恨みがあるようでな。我々も説得したのだが、彼は市長から手を退く気はないらしい。それでこちらも最後の手段をとっているというわけだ」


 最後の手段。実力行使というわけだ。

 彼らはスオウを、市長暗殺の実行犯として倒そうとしているのだ。


 そこまで聞いてようやくメイタロウの目も開いた。

 スオウが、先生を殺そうとしているだと?


 そんなこと、


「信じません。信じるわけがない」


 セツガに返す言葉は震えてしまっていたが、それは恐怖からではない。

 握った拳が言葉と同じように震える。しかし目だけはまっすぐセツガを向いた。向けずにはいられなかった。

 遠くでスオウが、少しだけ顔を歪めるのが分かった。


 ふっと興が消えた真顔で、セツガはメイタロウに険を帯びた眼光を飛ばす。


「ほう。ここにいる五人のプロ魔術師より、弟を信じると?」


 ここに来たときから気付いていたが、彼は最初からメイタロウと会話をしようとしてなどいない。

 この数を前にして抵抗するのかと、単純に弱い者を圧倒しようとしているのだ。

 メイタロウを前に、真実も嘘もないということだ。最後には力でねじ伏せればいいだけなのだから。


 元々市長を狙う暗殺者がここにいるのは覚悟の上だった。しかし今は、自分がそれ以上に異常な空間に踏み込んでいることが分かる。

 メイタロウは確実に、セツガにとって『見られてはいけないもの』を見てしまっている。今この状況だ。


 しかしこうしている間にも、セツガはメイタロウの後ろをとろうともしない。このまま逃がしてもとるに足らない存在と、そう侮られているのだ。後で脅せば口を封じられる存在だと。


 実際この人数のプロを前にして、ここで自分に何ができる? 命が大事なら今すぐ逃げ出してしまった方がいい。これはメイタロウの手に負えることではない。


 だがここで去ったらスオウと先生はどうなる?

 セツガは最後の手段などと言葉を選んだが、この人達は確実にスオウを……。


「とにかく先生……リン市長を外に。このままじゃ危険です」


 意を決して、メイタロウはスオウの下へと歩き出す。その行動を、その場にいる誰も止めることはなかった。

 針のように、五人の魔術師の視線が刺さる。まるで弱い魚を泳がすように、ただメイタロウを観察している。


 やっぱり異常だ。誰も倒れているリン市長を見ていない。本気で助けようとしない。


「兄貴……」 


 スオウが、悲しげな表情で首を振る。こっちに来るなと。

 その目元には疲労が浮かび、瞳からは光が消えていた。杖で己の体重を支えて立ち、その様子は魔力を使い果たした者のそれだ。

 見れば衣服の端や髪の先は焦げていて、長い間炎の攻撃にさらされていたことが伺える。これが暗殺者の姿だというのか?

 これは先生を殺そうとした者の姿ではない。守ろうとして傷付いた者の姿だ。


 そしてスオウを長く攻撃にさらした相手というのは、


「おやおや、これは困ったな」


 歩き出したメイタロウの後ろで、セツガは大袈裟に顔を伏せてみせた。そして大袈裟に上げる。


「君がそちら側に付くと言うのなら、君にもそれなりの対処をせねばなるまい」


 どうやら仮面は外されたようだ。これで確定した。……やつは。


「僕は怪我人を外へ出そうと言ってるだけです」


 セツガの言葉を背に、メイタロウはスオウとリン市長の下まで到達する。

 そして倒れているリン市長を担ぎ上げた。

 五人のプロ魔術師達はただそれを眺めていた。怪我人のために道を開ける気配すらなく。


 どころか、


「それは、遠慮していただこうか」


 セツガの声が凄味を帯びる。

 そのまま彼は腕を前に出した。杖の先に光が灯る。


 ああ、始まってしまった。

 ここに踏み込んだ時点で、メイタロウの負けだ。


「僕はあなた達にとって不都合なものを見てしまったようですね。それで導師院に属するあなたが、口封じのために僕に消えてほしいと言うのなら、最後に本当のことを教えていただけませんか? この状況が何なのか、あなた達は何故市長を助けないのか」


 あのときの政治的な笑みとは違う。今は本当に面白そうに、セツガは笑っていた。

 そしてスオウへ囁く。


「スオウ、兄の最後の頼みだ。お前の口から教えてやれ」


 スオウは……一息置いて、諦めたように呟いた。


「やつらが水の組織だから、だよ。そして、」


 どこか遠くで、炎が爆ぜた。


「俺もそうだからだ」


 その言葉は、スオウとメイタロウの間に静かに消えていった。


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