第17話 準決勝進出2
はっと顔を上げる。
「どうしたの? 兄弟相手にそんなにびっくりして」
「スオウ……」
呟くと、いつの間にか現れた弟・スオウは不思議そうに微笑んだ。
スオウは一人ではない。彼のとなりにいるのは確かプロ魔術師のセリーンだ。
彼女は大きな青い瞳とブロンドヘアが印象的な、かなりの美貌の持ち主で、プロと言ってもまだ少女のような年齢だ。しかしそれ故に、若くしてプロの座を勝ち取った実力がうかがえる。
そんな導師院の魔術師が二人して、いきなりメイタロウの前に現れたのだ。行き交う人々も、何事かとこちらを見ている。
そんな視線を気にも留めないように、スオウはただメイタロウにだけ向けて言葉を続けた。
「快進撃だね。あの頃の兄貴が帰ってきたみたいだ」
「……」
言葉を、呑んでしまった。二人の間に沈黙が落ちる。
代わりにロドがスオウに問うた。
「どうしてこんなところに? 今は個人の部の出場準備で忙しいでしょ」
その言葉に、スオウは「ああ、違うよ」と首を振った。
「俺が出るのはペアの部だよ。彼女……セリーンはそのパートナー」
本格的に何も言えなくなった。青いライオン、いや、プロ魔術師団のリーダーであるセツガが、ペアの部に出場するプロ選手として選定したのは、まさか……。
「番狂わせのペアの部を制するのはプロかアマか。今大会の注目はそこに集まってるからね。つまりは、兄貴達の快進撃を止めてこいとの仰せだよ」
今までメイタロウ達のいるトーナメントブロックには関係なかったが、プロは本戦から、超シード枠として準々決勝で初めて姿を現す。
スオウは恐らくこれから、準決勝進出の為の試合に行くのだ。そして多分、勝つ。
泣きボクロのある目元に、自信ありげな笑みが浮かんだ。
どうやらメイタロウ達の快進撃を受けて、このままではプロがアマに負けるのでは、とか新聞が好きに書きたてたらしい。
実際そういう噂が大会出場者や観客の間でも広がっているとか。
……それと同時に、メイタロウがスオウの兄だということも広まっている。元々顔が似ていて変に注目を集めていたし。
そういえば今日の試合の見物人は昨日の比ではなかった。ロドとメイタロウ、このペアの試合は『スオウの兄』による番狂わせとして面白い見せ物になっているのだ。
そう考えると舞い上がっていた自分が恥ずかしい。
「みんなペアの部の噂で持ち切りだよ。何処からか現れた彗星のようなアマチュア魔術師ペアが勝ち進んでるって」
「それはロドが強いからだ」
「兄貴……」
「それに、注目されてるのは僕がお前の兄だからで、」
「言いたいやつには好きに言わせとけばいいじゃん。兄貴は確かに優勝台に近付いてるんだから」
それは嫌みではなく、本心から兄を憂う顔だった。
そして、
「兄貴……」
「ん?」
不意に、相対する弟の瞳に影が落ちた。メイタロウにしか分からないくらい、わずかな影だった。
「兄貴は……」
言いさして、それでもふっと思い直すように、弟はまた微笑みを作った。
「やっぱりいいや。ほら、兄貴達の次の対戦相手が決まったみたいだよ」
「フブキ……」
スオウが軽く振り向いて示した先、そこにはちょうど、ロドとメイタロウの戦う準決勝の対戦カードが貼り出されるところだった。
『ロド・メイタロウペア対フブキ・コガラシペア』
フブキ……。見覚えのある名に緊張が走る。
今大会は選手に個人の部とペアの部の同時出場を認めている。フブキは個人の部とペアの部に二重登録して、そのどちらでも勝ち上がってきているのだ。
個人戦とペア戦合わせて一日で何戦もするため、魔力の消耗を厭う魔術師は二重登録など中々やらない。個人の部でもペアの部でも大した結果が残せなくなってしまうからだ。
フブキはいい奴とは言えないが、それをこなす魔力の持ち主であることはメイタロウも認めてはいる。正直プロに準ずる強者だ。
「次の相手はフブキか。色々と難しいやつだけど、俺は兄貴達の方を応援してるよ」
スオウはそう言うと、踵を返してさっさと歩き出す。セリーンもそれに続いた。
そして去り際、脇にいたロドにももう一度視線を向けて言った。
「ルメギアさんだっけ。君のことも噂になってるよ。プロ並みの術を使う若い魔術師……一体何者だって」
「どうも」
スオウに含みのある笑顔を向けられても、ロドの方もなかなかのくせ者だ。まったく表情を崩さない。
それ以上会話にならないことを悟ったのか、スオウは諦めたように肩をすくめた。
「じゃあ二人とも、またパーティーでね」
軽く手を振って飄々と去っていく背を、メイタロウはまたしても何も言えずに見送った。
「メイタロウ?」
「あ、ああ……」
聞こえたロドの声にやっと我に返る。自らの顔色が変わってしまっていることが自分でも分かった。
まさかこの大会で、スオウと戦うことになるかも知れないなんて。
ロドは気付いているだろうか。メイタロウが恐れているものを。魔術の撃ち合いを避ける理由を。
「スオウと、戦う……」
つぶやく声が、会場のロビーにかすれて消えていく。指先が震えた。
しかし、
「準決勝」
「え、」
「ここまで来たね」
「う、うん」
ロドは相変わらず落ち着いて、ゆっくりメイタロウの立つ場所を再確認させてくれる。
深く息を吐いて、彼女の言葉に集中した。
そうだ。まずは目の前の試合だ。
もし、もしも勝ったらスオウと当たるかも知れないけど……。
そんなのは後だ、後。
拳を握りしめて、メイタロウは眼鏡のフレームの向こう側を見据えた。
そこにはちょうど、準決勝進出を決めた二人のもとに、大会の係がレセプションパーティーについて知らせに来るところだった。
準決勝進出者達が招待されるパーティー。ロドとメイタロウはそれに出席できる。本当にこんなところまで来たんだな。
パーティーと言えば、スオウ達プロも出席する。
あれ……そういえばスオウは結局何を言いに来たのだろう。
何かをメイタロウに言いかけて、それを押し止めたように見えたが。
そしてなんとなく、なんとなくだが少し様子がおかしいように感じた。ただの思い過ごしかも知れないけど。
何にせよ、今のスオウが自分に聞きたいことが思い当たらない。プロとして成功した弟が自分に尋ねたいことが。
わずかな胸騒ぎを気のせいということにして、メイタロウは係の話すパーティーの説明に集中した。
自分の試合が始まる少し前、スオウは目立たないようある場所まで足を運んでいた。
会場はロドとメイタロウペアの試合が終わったばかり。
空になった客席の上で、氷のたてがみの魔術師は誰もいないフィールドを眺めていた。
「兄貴の試合をご覧になったので?」
尋ねると、彼はフィールドを見たまま返した。
「もう一人の方の実力を見せてもらいに来た」
ここは上階から試合を観覧するため作られた通路、通称空中廊下だ。
階段状の観客席のさらに上に位置していて、ドームの一番高い所から競技用フィールドを見下ろしている。
フィールドから遠すぎて試合を観戦するには上席とは言えないが、ドームの天井が開放されているときには頭の上に青空が広がって、まるで空中に投げ出されているような気分になる。それで空中廊下だ。
氷のたてがみの魔術師……セツガは、ロドとメイタロウペアの試合をここから見ていたらしい。プロ魔術師のリーダーがアマチュアの観戦など、なかなかしないことだが。
「なるほどな。予選ブロック最速通過は奇跡ではないだろう」
「彼女、強いですね。兄貴とうまく合わせてひたすら勝ちを取りに行ってる」
「お前もこのまま、あのペアが勝ち進むと?」
「いやいや。次の相手はフブキですよ? 一筋縄じゃいかないでしょ」
「フブキ、か……。ところでお前、例の件だが。どうだ、体に『墨』を入れるか?」
「……」
口をつぐんでしまったのは、答えに迷ったからか、それともセツガの肩ごしに『その人』が近付いてきているのに気付いたからか。
近付いてきたその人は、セツガとスオウのすぐ側で足を止めた。
「おお! これはこれは市長、お一人で一体どうされました?」
スオウが何か言うより早く、セツガは背を向けたままで彼女の気配を察していたのか、ゆっくり振り向きざまにその人……リン市長に挨拶する。
「いえ、大したことではないのです。こちらにいらしているのが見えたので、スオウと少し話をと思いまして」
リン市長はいつも通り、誰に対しても変わりがない、屈託のない笑顔で返した。白いスーツの前で、機嫌良さそうに指を組んでいる。
「おやおや、そうでしたか。私は席を外した方がよろしいかな?」
「ああ、いいえ。本当に挨拶しに来ただけですから。大使はここから試合をご覧になっていたのですか?」
「その通りです。いや、なかなか見晴らしのいい場所だ。会場のどこからでもフィールドが見やすいのは素晴らしいですな」
「この廊下はある人の意見を取り入れて作られたんですよ。ねえ、スオウ?」
「先生……」
「いよいよ出番ね。またあなたの試合が見られるなんて、嬉しいわ」
「……光栄です」
「ふふ、それじゃあ、あなたに魔術の神の幸運がありますように」
スオウが口を引き結んでいる間に、市長は手を上げて踵を返す。
青年はそれを何も言わずに見送った。
後ろでセツガが面白そうに笑う。
「スオウ、昔の恩師相手に、随分と固いではないか」
スオウが黙り込んでいるのを見ると、そのまま彼の肩に手を置いた。
「『墨』の件はもういい。お前の気が向いたらで構わない。だが忘れないでくれ。……我らは導師院の魔術師。この世界の『循環』を、正しい『水の流れ』を、守らなければならないのだと」
「ええ……。すみません、そろそろ試合に行きますね」
肩の手をすっと外して、スオウは歩き出す。
氷の魔術師は、去っていく青年の背にさらに小声で呟いた。
「忘れるな。お前の兄と組んでいるのは、市長と同じくこの世界の理を外れた存在……魔術界の『循環』を壊しかねない存在なのだと」
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