第6話 大会への招待2

 着古しのニットベストの一番上のボタンをとめながら、メイタロウは本日最初のため息をこぼす。


 沈んだ気分で家を出た。


 アップタウンまで市電で移動し、この街一番の巨大鉄橋の前の駅へ。そこで中心地行きのモノレールに乗りかえる。


 対岸が霞むほど広いこの川の先、海へと続く三角州に存在するのが街の中心部だ。

 そこへ向かうモノレールの中は、通勤ラッシュの終わった昼過ぎでもほぼ満員状態だった。


 この街の中心は最近発展してきている新興開発地。多くの企業がここに金を落としている。


 しかし何千の水晶のように突き出し陽光に照らされる摩天楼も、メイタロウには全く無縁の世界だ。

 何故あんな天を突っつくような高層ビルを何棟も建てなければならないのだろう。


 モノレールの窓の外を見渡せば海岸の方には浮かぶヨット、行き来を繰り返すクルーズ船。川岸には睦まじげに歩くカップル。

 そして窓の内側には二十四歳。痩せ型。冴えない顔が映っている。

 すぐずり落ちる黒ぶち丸眼鏡。

 伸びた艶のないシルバーブロンドを頭の後ろで結んで、よれよれの服を着て。


 何の特別な所もない。定職もなく貯蓄もない。

 最近では自分が魔術師かどうかも分からなくなってきている。

 もう魔術だなんだ言ってないで本気で収入の口を探さなくてはならない。のは分かっているけど。


 冴えない顔を映していたモノレールの窓がパックリ割れる。

 駅に着いてドアが開いたのだと、自分を押し出す人の群れで知った。


 忙しい改札の向こうには、すでに目的地が見えている。


 競技魔術大会用の超巨大ドーム。

 ビルの隙間に造られた、この街の新しい名所だ。


 メイタロウにはまだまだ縁のない場所になるはずだった。


 陽光に輝くガラス細工のような美しい建造物を前に、青年はただひたすら渋い顔を隠せなかった。


 



「また一段と背が伸びたわね」


 赤い唇がニッと笑う。整った眉の下の大きな目が、久しぶりに会うメイタロウをキラキラ見ていた。 


「会う度にそうおっしゃいますけど、先生。僕はもうこの歳ですから、身長はそんなに変わりません」


 彼女の微笑みに苦笑いを返して、青年はそうかしこまるしかなかった。


 競技魔術大会専用ドーム。そのロビーまで来れば、その人はすぐ見つかった。

 大会の準備で慌ただしい会場で、運営スタッフらしき人々に何か指示を出している。


 白いスーツを身に纏った、すっきりと引き締まった背。

 高いヒールを履いているわけでもないのに、周りの女性達より頭一つ抜きん出ている。

 いや単純に背の高さだけでなく、発する雰囲気が他の者とは違う。メイタロウの存在など掻き消されてしまいそうなほどのまばゆいオーラだ。


「先生」と、消え入りそうな声で呼ぶと、それでもその人は気付き、振り返ってくれた。

 背中の中程まで伸びた栗色の髪が揺れる。


「久しぶり。やっぱりあなたは時間通りね、メイ」


 そう、この人がリン氏。観光客でにぎわい、今なお開発が続くこの街の市長だ。

 市長と言ってもまだ三十代で、見た目はメイタロウの姉くらいにしか見えない。


 メイタロウがこの人を先生と呼ぶのは、何も彼女が政治家だからではない。

 本当に先生だったのだ。

 メイタロウが十歳か十一歳ぐらいのころ世話になっていた先生。市長になったのはごく最近のことだ。


 昔から、何でも一生懸命にやる人だった。

 一生懸命やりすぎてまさか政界に転身するなんて。


 就任したばかりの市長、しかし数年ぶりに魔術大会を誘致し、短期間で特設会場の設置を実現してしまった手腕は認められている。

 この巨大ドーム型魔術競技施設。側面は特殊ガラスだが、丸い天井は空気で膨れたバルーンでできている。

 このバルーンのお陰で天井の建材は八十パーセントほど節約された。

 美しい外観も建材を節約し環境に配慮した設計も、採用したのはこの人だ。


 しかしそういう派手なことばかりではなくまさか審判の世話までしているとは思わなかった。

 またどうして変に細かいことに口を出しているのか。


「当たり前じゃない。この街でやっと魔術の大会が開けるのよ。張り切らなくてどうするの」

「はあ……」


 拳を胸の前でギュッと握って、先生は快活に笑った。

 この無邪気さ、本当にメイタロウより一回り年上とは思えない。

 十歳の頃初めて会ったときから、ほとんど変わっていないように見える。


 いや、そんなことより。


「先生。僕も審判は辞退させていただきます」

「え? そうなの?」

「その、魔術の修行で忙しくて……」


 メイタロウが言いよどむと、何故か先生は嬉しそうに目を輝かせた。


「じゃあ選手として出場する気になったのね」

「え?」

「いやあ、何年ぶりかしら。またあなたとスオウの試合が見たかったけど、よくよく考えたらそれは……」

「せ、先生。僕はもう行きます。選手として大会に出たかったけど、もうエントリーを締めきってるでしょう?」


 慌ててその場を逃げる。去っていく背に、先生の声がかかった。


「メイ! 個人の部は午前中でエントリーを締め切ってしまったけど、ペアの部はまだ選手を募集してるわよ!」

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