十二話目

 音佐千鶴は、自室のドアノブをゆっくり回した。鍵は開いているようで、すんなりと扉は開いた。

「ただいま」

「おかえり」

 無機質な二人の挨拶。供に晩御飯はどこかで食べて来たようだった。

「……尋、何してるのよ改まって」

 新田尋は、リビングに置いてある机の椅子に座っていた。その机には対面するように椅子が二つ置いてあり、二人が部屋で晩御飯を食べる時には、ここで食べるのだろうという事が分かる。

「いや、話が有ってさ」

「話? 何?」

 いつも互いに干渉しないのに、今日になって話とはなんだろう? そう千鶴は思い、尋の対面の椅子に腰かけた。

「……別れないか」

 そうやって腰かけた千鶴は、すぐその言葉を聞き返すことになる。

「…………は?」

 その応答には、困惑と怒りもかなり混じっていて。

「別れる、って言ったの? 私と、貴方が?」

「そう。別れよう」

「…………」

 千鶴は、座ったばかりの椅子から立ち上がり、そして尋の座っている椅子の横まで行き。

 その椅子を後ろに倒した。

「勝手な事言わないで! 今更私達が別れられる訳ないでしょ!? こんな関係をずっと続けて、今更別の人とやり直せる訳ないでしょう!!」

 椅子ごと倒れた尋に馬乗りになり、千鶴は怒鳴りかける。それは、俗にいう癇癪という奴だった。

「じゃあ、死のう。一緒に」

「へ…………?」

「別の人とやり直せる訳ないっていうけど、俺達の関係もやり直せる訳ないだろ? こんな関係。捩じれまくってるんだから。だから、心中しよう。俺と、心中出来るか?」

 千鶴の動きが止まった。

「俺は、死にたい。自分に、生きている意味が感じられない。もう、疲れた。お前が俺と別れられないなら、心中してくれ。いいだろ? お前も、死にたいって言ってる奴に死ぬなっていうくらい野暮な人間じゃないだろ」

 千鶴は、何も言わない。二人の間に、沈黙が生まれた。

「…………私は」

 しばらくの沈黙の後、千鶴が口を開く。

「貴方という人間に、太宰と同じかそれ以上の価値を見出せない。……好きにしたら、死ぬのも」

 疲れ切った声でそう言い、尋の体の上からどいた。

「悲しいもんだな。五年付き合った男より、文章でしか触れた事のない男の方が良い男なんて」

「…………」

 尋は立ち上がり、ゆっくりと外への扉に手を掛けた。

「……最後に、何か言っておくことはあるか?」

 千鶴は、ゆっくりと。

「さっきまで、ずっと好きだったわよ。今はもう、興味もないけれど」

 そう言った。

 しばらくした後に、扉が開く音がした。

 扉が、開く音がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

光の無い闇も、ありませんか。 鵙の頭 @NoZooMe

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ