十一話目

「新田さ、そういえばあれ続けてんの?」

 オーダーを終えた藤野が、俺にそう聞いてきた。

「ん、あれって?」

「合気道。やってたじゃん」

 懐かしい名前だと思った。そういえば、やっていた。

 高校、大学。

「んー、やってねぇよ。大学卒業して行かなくなった」

「え、まじか。意外。なんかお前、そういうの続けるイメージがあったからさ」

 その頃の俺は死んだんだよ。喉まで出て来た言葉をグッと飲み込んだ。

「確かに。俺も続けると思ってたなぁ。小説を書くことも、読むことも、ゲームも、マジックも。全部今やってないからなぁ」

 そんなことを言うと、目を引ん剝くような表情で。

「マジで!?」

 と返された。

「そんな声出すなよ。店だぞ」

「いや、それはそうだけどさ……。えぇ、じゃあ何? お前、今何か趣味あるの?」

「趣味……は特には。生活が忙しくてさ」

 喋ってて、自分はやはり死んでいると実感させられる。

 知識欲というものを失えば、人間は猿にも劣る。俺は今、猿以下だ。あの時から、俺は欠陥品に近いというのに。

「……何かお前、らしくなくなったな。丸くなった、じゃないけど。なんか、変わってるよ。あの頃とは」

 つまらなくなったな。そう言っているように聞こえた。

 ただ、暗にそう言われているように感じても、俺のどこも何ともならない。それは、俺に向上心というものが消え去ったからだ。人にどう思われようが、何ともならなくなったからだ。

「まぁ、そうかもな。趣味とか続けるにはさ、今の日本は生き辛いよ。明日も見えない、不安しかないこの世界はさ」

「そういうところは、相変わらず理屈っぽいのな」

 そう言って藤野は笑った。

 告白した時を思い出した。藤野に。

 人生で初めて、人に告白をした瞬間だった。そして、初めて彼女が出来た瞬間だった。

 なんで別れたのかは、忘れた。きっと、どうでもいい

 ことで喧嘩したのだと思う。今思い返せば、吹き出してしまう程にどうでもいいことで。

「なぁ、藤野」

「……んー ?何だよ」

「俺達がさ。今も付き合ってたら、どうなってたろうな?」

 こんな言葉が自分から出てくるなんて、思ってもいなかった。何を言っているのだろう。言った後に自分で驚いた。

「……何だ。あの新田尋でも、センチメンタルになることがあるのか?」

「いや、悪い。忘れてくれ」

「何だよ気持ち悪い。別に悪くなんかねぇよ。そーだな、私とお前がもしもずっと付き合ってたら、か。どーなってたんだろうな」

 少し考えたあと、藤野は笑いながら口を開いて。

「いや、やっぱどっかで別れてんだろ。分かんねぇけど。どっかで別れてるから、あの時別れたんだよ」

 そう言った。

「……まぁ、確かにそうか。一度こじれた関係なんて、戻る訳無いしな」

「そうそう、そういうことだよ」

 女性は賢い。そう思った。

 女の人と男の人には、人生というものを生きていく上で、決して埋められない差というものが存在していて。

 多くの場合女の人の方が、男の人より賢い気がする。

 それは勉学的な意味ではなく、人生を生きる上で、という意味で。

 生活をしていく上で、男の人は女の人の尻に敷かれることが、尤も事を円滑に進められるのではないかと思う。

――俺が、ボトルネックなんだ。そう気付いた。

 アイツは俺と長くいるから毒されているだけで、俺から離れれば時間はかかるものの、いつか。また高貴な女性に戻るのではないか、そう思った。

 男は、弱い。俺はもう、恐らく駄目なんだ。

 今から、あの頃の自分に戻れる気がしない。戻れなければ、自分に生きている意味は無い。

 ただ何もせずに無気力に生きている人生など、生きている意味が無い。資材を浪費するだけなら、死んだほうがましだ。

 ただ、女性は違う。子孫を残せる。それは、人類の一つの目標としてとても重要で。

 彼女の遺伝子は、どこかに残してほしい。俺は、何故か強くそう思っている。ずっと彼女と付き合っていたのに、今になってそう思った。

 しかし、その相手は俺ではない。俺と彼女が今の状況で、子供なんて作って良い訳が無い。

 俺がいなくなれば、彼女は回復し、いつか素敵な男性と巡り合い、遺伝子を残せるのではないか。

 多少、その可能性があるならば。少しでもそうなるかもしれないなら。

 絶対に、今の状況よりかはマシな筈だろう。

 あぁ。時は、一分一秒を争う。

 俺は今、気付いた。自分がやるべき最後の仕事を。自分に見いだされた、最後の救いを。

 こんな無意味な人間でも人類に貢献できるのか。

 外を見る。雨は止んでいた。

 窓に映っている俺は、死んだ顔をしていた。

 そりゃそうだろう。

 もう、全部めんどくさくなったんだから。

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