十話目
電車に乗る。家からは少し遠い。あと一時間くらいはかかるだろう。向かい合わせになっている四人掛けのシートの一番奥に座って、窓を眺める。この時間帯の電車は、恐ろしいほどに空いていた。
電車がトンネルに入った。窓に私の顔が映る。私は、私を見つめていた。
もう、この顔は、昔の自分に見せることは出来ない。
あの頃は、私は幸せになると信じて疑わなかった。この人と、結婚して幸せな家庭を築くんだろうなぁと思っていた。
子供は何人くらい欲しいだろうとか、苗字があの人と同じものになったら嬉しいなぁとか、そういうことばかり考えていた。私は、その時幸せだった。
間違えたのは、入り口だろう。それか、時期か。
私と彼が幸せになる世界線も、あるのだろうか。そんなこと、今を生きている私には分からない。もしもの話など、考えるだけ無駄だと、分かり切っている。
現状に、満足している。そう、思っているから。私達は互いに死んでいる。
そういう、顔をしている。綺麗な、綺麗な顔を。
「……音佐さん?」
映る自分の顔を眺めていたら、自分の後ろに見覚えのある顔を見つけた。その顔も私を認識したようで、話しかけてきた。
「……折本君、だったかしら?」
高校時代に、良く喋っていた友達だった。とても懐かしい。
「やっぱり音佐さんだ。久しぶりだね!前、失礼していい?」
「いいわよ」
大学を卒業してから一度も会ってないから、二年振りになる友人との再会だった。
「本当に久しぶりだねこんなところで。音佐さんは、買い物の帰り?」
私が持っている紙袋。中に服が入っているそれを見て、友人は私にそう聞いた。
「そうね。私は買い物の帰り。折本君は?」
「俺は、バスケの帰りだよ。まだ続けてるんだ」
そうだ、思い出した。折本君はバスケがとても上手で、その評判は学校中で知らない人がいない程だった。
一度だけ、試合を見に行ったことがある。ドリブルで相手選手を抜いていくその姿は、確かに格好良かった。
ただ、それだけだった。格好良いだけ。あの人と同じで、折本君も。私が悩んでる時期に相談をしたことがあったけど、あの人と同じように話を聞いて、そして。あの人と同じように病んだ。
誰も。本当に人の悩みを抱える覚悟なんて出来ていなくて。その実、近づきたいから。付き合いたいから。抱きたいから。悩みを聞くという求愛行動をしているに過ぎない。
私にはどうしても、性欲が服を着ているようにしか見えない。そして、そんなこと考えながら生きていたくないから。
私は男の人と余り関わり合いたくない。面倒くさいし、穢れているから。生まれた時から、本能で。
「へぇ。まだ続けてるのね、意外だわ」
ガタンゴトンと、電車が揺れる。トンネルを抜けた。
誰も名前を知らないような、山が見えた。
「雰囲気変わったね、音佐さん。……まだあの人と付き合ってるの?」
自分に場違いな自信がある人は、他人の心にまでズカズカと入り込んでくる。この男は、変わっていなかった。
「そうよ。もう今年で五年目? 六年目? になるかしらね。ずーっと付き合ってるわよ」
「なんか、余り元気そうに見えないけれど。大丈夫? 昔馴染みのよしみだしさ、悩みなら聞くよ」
聞き飽きた。そんな言葉。形だけの優しさ。剥き出しの欲望。その言葉の先にあるのは、なに?
「悩みなんて、何もないわよ」
本当のことをいう。本当に、何も悩んでなんていない。
悩むだけ無駄だって気づいたから。とっくの昔に。
早く貴方も、気付いた方が良いわよ。人の悩み聞く前に、自分のことを幸せに出来ているのかどうか。
それが出来てないと、人のことなんて幸せにできる筈がないのだから。
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