八話目

「私と、付き合ってくれませんか?」

 雨音が、全く聞こえなくなった。

 彼女の綺麗な声が、まるで直接脳内に流れ込んでくる

 ように、するりと私の頭の中に届いた。

「……え?」

「私と、付き合ってくれませんか。

 今の彼氏と別れて……。いや、別れなくてもいいです。私と、とにかく私と……。付き合ってはくれませんか」

 依然、雨音は聞こえない。彼女の声しか聞こえない。

 突飛だと思った。次いで、しくじったと思った。

 なんだか今日は、昔のことを思い出しすぎたらしい。

 知らぬ間に、彼女の前でも感傷的になっていた。弱みを見せてしまった。その弱みは、彼女の付け入る隙になってしまった。

 そんな気は、無かったのだ。本当に。貴方に私の弱さを見せようだなんて。助けてほしいだなんて。一つも思っていなかった。貴方と関係を続けたいなんて、一つも。

 だってそれは。新しい不安を自分の内に持ち込んでしまうことになるから。人と付き合うということは、その人の幸せだけでなく、不幸まで共有することになる。

 もちろん今の私に、そんな余裕なんてあるはずが無いから。何も考えないということに慣れてしまった私に、そんな重荷など背負えるわけがないから。

「……私は別に。安らぎを求めてこういうことをしているだけだから。勝手に、こちらに踏み込んでこないでくれるかしら」

 再び、雨の音が聞こえだした。

 その音は先ほどより幾分か優しく、これがにわか雨だということを示していた。

 じきに、この雨は止むだろう。まるで口裏を合わせていたように。こちらのタイミングを見計らっていたかのように。

「……そう、ですか。そ、そうですよね! すみません……」

 彼女の顔が沈む。歪む。誰かに叱責されたのかのように、この場にいられないと訴えかけるように、体が震える。

 そんな姿まで可愛いのね。貴方って本当にズルイ子。

 駅行きのバスがやってきた。時刻表に書かれていた時間より少し早く。

「あら、バスが見えたわ。別に、告白とかが悪いって言っているのでは無いのよ。ただ私が、そういう人ではなかったってだけ。じゃあね。貴方との時間、楽しかったわよ」

 嘘偽りのない言葉を並べて、席を立つ。

 私の別れの挨拶に返ってくる言葉は無かった。

 ねぇ、また人を傷つけたわ。私はこんなこと、したくなかったのだけれど。貴方と付き合ってなければ、こんなこともしなかったはずなのだけれど。

 一度、楽というものを覚えてしまったら、人間どうにもならないものね。嫌になるわ。全く。

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