ハル・シオンと暗の道 -8

 世界を作りあげたのは、何人かの魔女だと伝えられている。

 始まりの魔女が世界の誕生を歌い。太陽を讃え。月を生み出し。炎と笑い。ひとつひとつの生まれを歌で言祝いだ。

 ほとんどの魔女は人間である体を捨て、神と同じくらい遠くに行ってしまった。ただ、数えられるくらいの魔女は地上に残り、さらに死を待つ人間の体を持っている御柱が、一人だけいる。

 はじめて人を殺し、穢れのない世界に罪をもたらした、罪を司る、クトル・アシェ・テフラ・レルジ。赤い唇が三日月のように笑った。


「仕方ないわ。わたくし、お城から出たのは三七二年と二か月ぶりなのよ」


 さあ座って。朗らかな声がわたしを促す。黒い薔薇のように、御柱さまのスカートが広がる。立ったまま口を開く。


「長い話しって、どのようなものでしょうか」

「座ってと言ってるのよ」

「いいえ。けっこうです、御柱様」


 御柱様が大きなとんがり帽子を外して、膝の上に乗せる、その仕草まで上品だった。小さな頭が、かすかに揺れる。


「おはしら様なんて、仰々しく呼ばないで? あなた、足を痛めていたでしょう。座りなさいな」


 口元だけで笑って、拒否する。確かに足は痛いけど、お互いにこの出会いは祝福できないものなのだから、座ってはならないと思った。座るほどの長話をしたくないという意思表示でもある。

 紫の瞳がじっとわたしを見つめる。相手が話し出す前に、自分から口を開く。


「それでは、なんとお呼びいたしましょうか。不勉強なもので、わたしではわからないんです」

「そうね、あなたの年ごろだったら、おばあちゃんがいいところでしょうね。グランマと呼んで」


 分厚い布で、膝の震えは覆い隠されているだろう。指先の震えは? 手袋でどうにか隠れていればいいけど。ただ、そんなもので、誤魔化されてくれるような人ではないだろう。深呼吸を挟んで、声を震わせないように細心の注意をはらう。



 ぴくっと、御柱様の、形のよい眉毛が動いた。馬鹿なことしてるわ、と冷静な自分がささやく。本当は、こんな、わたしなんかが喧嘩を売れるような人ではないのだ。


「御柱様。よろしければ、わたしの弟をなんの断りもなく連れ去って、怪我までさせた事情を教えてください。わたしたちの保護者は旅団で、旅団の長はわたしの母ですが、わたしも母もなにも知らされてません。御柱様といえど、人攫いは許されることではないと思いますけど」


 御柱様の弾けるような笑い声が、空洞に響き渡った。ぎゅっとホウキを握りなおす。手のひらにかいた汗で、手袋の中が滑る。魔女であるわたしからすれば、彼女は母より母であり、逆らうことなんて許されることではないのだ。

 きっと魔女であった大叔母が、わたしの今の言葉を聞いていたら頬を叩かれていただろう。礼儀と節度がなにより魔女に必要だと、耳にタコができるくらい言い聞かせられたものだ。


「あなた、そんな勇気をこんなところで使うものじゃないわ」


 御柱様の言葉は笑っている。


「素晴らしい姉だわね。弟を守るために、柱に逆らおうとするの?」

「……逆らいたい、とは思っていませんが」


 せいぜいわたしも笑うことにしよう。


「だって、わたし、お姉さんですから。守るのが当然だと言いたいわ」

「でもね」


 声色が変わった。つんととんがった顎を、上品に人差し指で支える。赤い唇で笑う。しわを寄せながら笑う。優しいおばあさまを装うように席を勧める。それはすべて、彼女の趣味の範囲であって、相手を支配するのは簡単なのだ。

 優しい言葉であるうちに従うべきだろう。本来ならば。


「その子は、わたしの後継ぎに相応しいのよね。きっとその子ならできるの」

「じゃあ、しかるべき手段を取るべきです。この子は七歳です。まず旅団の長に話しを通してください」

「旅団の人は苦手なの。嫌よね、決まりに縛られた人たちって、嫌いだわ。……あら、ごめんなさい? あなたを嫌っているわけではないのよ」

「……いえ。わたしも旅団のあり方は、どうかしてると思います。でもそんなの、個人的な感情です。そんな理由で、わたしの弟をさらったっていうんですか?」

「そうよ」


 菫のにおいが強くなった。思わず息を止めたわたしに微笑みながら、言葉を重ねる。


「ええ、そうよ。だって、もうわたくしに重ねられる罪はありはしないのよ。いくら悪いことしたって関係ないわ」

「そんなの……」

「自分勝手で結構。それがわたくし」


 ほんの一瞬の鋭い眼差しに怯えた自分に舌打ちをしながら、話しをそらすべくお茶の葉が入っている缶を取り出す。


「コップはお持ちでしょうか」

「あら、あなた、本当にわたくしにお茶をいれてくれるつもりなの?」


 御柱様の声が本当に驚いた様子だったので、手が止まった。ティーバックも二つ出してしまったし、わたしは使わない角砂糖も用意しているのに。


「駄目ですか?」

「いいえ? でも、好きでもない人にお茶を出すなんてもの好きだと思うわ」

「まあ、そうですけど。でも、こんなに寒いですし。……いらないなら、いいんです」

「いえ、ぜひ頂くわ」


 ぱちん、と御柱様の指が鳴ったら、手元に見慣れないティーカップが現れた。青白い陶器に紫の花が描かれている。高価なものだろう、ちょっとの衝撃で割れてしまいそうなくらい繊細な作りだ。

 道具もないし、こんな良い食器で相応しいお茶なんかできやしないのに。沸騰したお湯に直接ティーバックを入れて抽出して、カップにそのまま注ぐ、雑な淹れ方をした紅茶を差し出す。


「たいしたものではないですけど。お砂糖はおいくつですか」

「ふたつ」


 銀紙に包まれた角砂糖を差し出す。自分の水筒に余った分を全部入れて、少しの水で鍋を洗ってから、もう一度お湯を沸かす。レトの食事を作らないと。

 パンと水は与えられていたらしいので、重湯の類である必要はないだろう。黄色の固形食をお湯に溶かす。とうもろこしのポタージュはレトの好物だし、体もあたたまるので、これでいい。

 チーズもあったらたんぱく質もそろって、良い食事になるんだけど。ないものねだりしても仕方ないので。匙と一緒にレトに渡す。ぎゅっと唇を噛み締めたレトが受け取る。


「ちゃんと冷やしながらゆっくり食べるのよ。寒くない?」

「だいじょうぶ」

「眠くなったら言いなさいね」

「うん。……ねえさん、ありがとう」


 いいのよ、と答えて、御柱様を見下ろす。焚き火がしわと高い鼻に複雑な陰影を作っている。水筒のお茶を一口。いつも通りの味。紅茶の苦みが、頭を少しすっきりさせてくれた。

 あなた、と御柱様がわたしを呼ぶ。お互いに名前を呼ばないのは、魔女と魔女のマナーだった。


「あなた、旅団の総領娘と言っていたけど、旅団はいまだにあるのね。百年もしたら、なくなると思っていたわ」

「……何度か、断絶しかけたと聞きますが」


 昔はもっと小さな集団だったという。その名残でわたしたちの名前はないままだ。


「なんとか、血はつないだので。直系の血は、濃くしたり、薄くしたりですが。わたしたちの魔法も滅びてはいません」

「それは良いこと。いけないわね、外に出ないと、世間知らずになるわね」


 その言葉に、わたしは笑って、首を小さく傾げる。


「そんな嘘を仰って。わたしを試すおつもりですか?」


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