第30話『では、一手、ご教授――』(連続33話)


 ***



 日曜日。

 向陽高校春休み最終日である。

 剣道部と柔道部顧問による見極めが、本日、畳敷きである柔道部を利用して行われる。

 剣道場で行われないのは、柳の意向であった。

 剣道着と防具、そして竹刀を手に、すでに準備を終えた東郷重美と毬谷円佳は、上座に座す田島教諭と柳の脇に控えるよう、迎え撃つ西側に並んで座している。

 東郷重美の胸は高鳴っていた。

 竹刀ダコと拳ダコが馴染んだ手を何度も握りしめては、開く。

 剣道着に着替え求道館の更衣室を出てからと言うもの、装着した胴を跳ね上げるかのように高鳴る鼓動に息も上気する。

 すぐに面を着けられるよう手ぬぐいでまとめた髪も、興奮で逆立つかのようだった。


 下手しもてに座る毬谷円佳を伺うと、新しく誂えた防具ではなく、使い慣れたものを道場からわざわざ持ち込んでの力の入れようだった。キっとばかりに引き締まった鋭い眼差しは、遠く体育館そばの女子更衣室で着替えている剣術部のふたりの注がれているのだろう。

 こちらは殺気が立ち上ってくるかのような気迫に満ちている。諸田一刀流剣道の血であろうか、この毬谷円佳という少女も、心の中に鬼を住まわせているのだろう。

 力と権威に敏感な環境で過ごしている東郷重美に、毬谷円佳という少女は、非常に大きい爆発力を秘めた火薬のような存在に思えている。

 危なく扱いには注意が必要だが、頼もしい。

 火が付いたあとに燃え尽きてなくなりそうな部分だけが、心配であった。

 そのとき、格技棟の先から足音が聞こえてくる。

 体育館の方からである。


 室内履きの音から察するに――と思惑が浮かび上がったときには、すでに剣術部顧問の松下邑子が一礼し、求道館の上がりかまちから畳の上へと上がっていた。

 いつものスーツ姿の松下は、「お待たせしました」と田島たちに目礼し、東方の上座へ正座する。

 彼女に目をやっていた四人は、音もなく現れた二人の気配に、すっと目を道場入り口に向ける。


「お待たせしました」


 ふたり同じく一礼し、姿を現したのは、果たして、剣術部のふたり――辻月旦と、戸田勢花である。


「――ほほう?」

「なんだと」


 剣術部のふたりは異様な風体だった。

 異様ではない。

 むしろ、自然な風体に、異様なものを帯びている。


「お気になさらず。あれが、剣術部の練習着です」

「馬鹿げている」


 松下の言葉に、弁えぬ円佳の声がかぶる。

 しかしそんな円佳の文句も、彼女らの腕に刻まれた赤黒い痣の数々を確認するや、飲み込まざるを得なくなる。

 夏のセーラー服に、帯。そして一振りの刀が差されている。素足、素手、普段のままである。

 しかし、滑るように、月旦たちは堂々と、そうであるように彼女らの前へとやってくると、鞘ごめの刀を右手に持ち替え、己が右に置くように正座をする。

 倣うような勢花。彼女は辻月旦を睨み付ける円佳の視線に、さもあらんと納得する。そして、彼女ではなくじっと自分を見つめる東郷重美のそれを受け、静かに目礼をする。


「揃ったようですね」


 高校の健全な活動の見極めという行事としては、異例の少なさだろう。もはや建前もなく、『名門』の牙が向けられようとしている。そんななか、しかし月旦は静かに微笑む。


「では――」


 生徒方は膝を返し正面に向き直ると、一礼。教師方はそれを受けると、次いで生徒同士が向き合い、一礼。


「よろしくお願いします」


 意地が呼応する。


「ではまず、辻流の形演武をご覧頂きます」


 先んじて松下が流れを作るのは、主導を得るためではなく渡さぬためである。


「辻さん、お願いします」

「はい」


 正座から、立ちあがった。

 そのとき、田島と東郷はじめ、違和感に気が付く者がいた。

 正座から立ち上がる。

 その動きが、おそろしく滑らかであったからだ。

 まるで、頭の頂に糸がついていて、スっと真上に引っ張り上げられたかのようだった。


「では」


 月旦が柔道場の試合線、八メーター四方の中央に移動し、改めて座すと、田島と剣道部員は西方に、松下と勢花は東方へと移動する。柳は剣道部の後方下手に移る。

 勢花の心は、高鳴れども揺れてはいない。

 月旦の心も同じだろう。

 あの日あのときから練鑽し繰り返してきた形を、ただ一巡、繰り返す。これまでのように。これからのように。

 刃引きの刀を差し、片膝のあぐらをかく。戦国以前の、古い座り方だ。

 薄光の差し込む道場に、しんとした空気が流れる。物音しわぶきひとつ響かぬなか、スっと柄頭を畳に付け、一文字腰に抜き、正面に向き直り、ゆっくりと正中線にそって振り上げ、斬り落とす。


 声ではなく、気配が引き締まった。

 術理そのものを看て取ろうとする視線で見れば、それはどう見えたのか。

 彼女を討ち取る隙を伺おうとする視線であれば、それはどう見えたのか。

 重美と円佳のそれらは多種混合し、有象な雑念を引き起こす。

 異質な形だった。

 そもそも、抜刀する術理に関して、重点が置かれたことがないといってもいい。

 そして納刀。

 ゆっくりと、静かなものだ。


 丁寧であるが、遅く見えないのは、一連の動きの速さが一定で滞りがないからだ。

 九つある形をみっつまでこなしたとき、居合い――文字通り座した姿勢からの抜刀斬り付けになった瞬間である。


「ふっ――」


 低く鋭い呼気一閃、瞬時に重心を上げた月旦はビシリと刀身を振り止めていた。

 その一瞬の抜き打ちは、抜いた瞬間にはすでに振り止められていたとしか見えない鋭いものだった。技のおこりを消した、冴が見える。

 この形に関しては、もうこれだけと言って良いほど修練を重ねていたものであり、天羽小雪をして『良い』と頷かれたほどのものだ。


 東郷重美も、「間合いを外して篭手を狙うしかないか」と内心舌を巻く。

 毬谷円佳は、「抜かせてしまえば」とにべもない。


 ただ静かに見守る勢花の心には、また違う感慨が浮かんでは消えていくのだ。


「ああ、月ちゃん楽しそうだな」


 という、温かい気持ちがたびたび去来する。

 きっと、誰かにここまで見て貰うのは、初めてなのではなかろうか。特に身内――柳や松下含む、月岡に行った人間の他に、言うなれば『対手』を前に、こうも技を披露するのは、もしかしたら初めてなのではなかろうか。

 ここに彼女の祖父である光太郎が居たら、なんというだろうか。


「なっちゃいねえ」


 と、嬉しさを隠せずに苦笑するだろうか。

 緩急を付けた抜き打ちを決め、横納刀。

 愛刀山月を静かに納め、鞘ごめに外した刀を右手に持ち替え、一礼する。


「なるほど」


 田島が、静かに頷いた。


「荒削りですが、光るものは見受けられます」

「ありがとうございます」


 聞こえようによっては、上からの物言いだが、その意図まで察すると譲歩に受け取れる。

 そう言わなければ、このあとの腕試しに行くことが出来ないからだ。そう言わせたことにより、まずは一本。先手を取ったことになる。


 ただそれは「旨味がありそうだ」ということ。

 すなわち「さてどうやって喰ってやろうか」と品定めされているに過ぎないのを、彼女たちは知っている。


 東郷重美は、さて――と思う。

 毬谷円佳は、辻流など、価値無しとみなが思い知るように叩きのめさんと、あらん限りの闘志を燃やす。


 辻月旦は、準備は整ったとばかりにひと息つき。

 戸田勢花は、最後の一手がどうなるかと、緊張に身をこわばらせた。


「術理のほうは良しとして、次は動きを見ましょう」


 田島の言葉に、緊張が交錯する。


「双方から一名ずつ、試合形式で行います。ルールは……そうね、剣道ルールを基本に判断しましょう。よろしいですね?」


 と、こちらは松下に向けての言葉だ。

 顧問としての面子を立てる形だが、田島の話の流れを感じるに、「それがいちばん分かりやすい」からというのが伺える。それは松下にも分かっていたし、そう来るであろうと構えていた。なので、「はい」と頷き、あとは二人に任せることにしたのだ。


 剣道という土俵において、剣術を利用できる一面を見せてみなさい――という、挑発にも受け取れる。しかし、だからこそ、剣術にも技の振るい用ができうるというものであった。

 リスクの多寡は、もはや個々人には計れない領域にある。


「主審はわたしが。副審は――必要ないでしょう」


 田島の言葉に、全員が頷いた。

 贔屓をするような人物ではないという信頼が見て取れる。


「――そちらは、防具は?」

「要りません。存分に」


 田島の問いに月旦は簡潔に答える。


「道具はこちらの刃引きの刀ではなく、木刀を使わせて頂きます」


 返された条件に、田島も頷く。


「――随意に。こちらは防具と竹刀を以て行いましょう」

「寸止め致しますから、ご安心を」


 そんな月旦の言葉に、フンと鼻を鳴らしたのは円佳である。

 ちらりと月旦は伺い、「そちらは存分に打突しても構いませんよ」と付け加える。

 火に、油である。

 面を着け、篭手をはめる。


「では初めは――毬谷円佳」

「はい」


 睨み付けた視線はそのまま、試合の開始線へと赴く。見ていろ、辻月旦。お前が拾った戸田勢花をお望み通り打ちのめし、嫌と言うほど分からせてやる。

 田島に促され、松下は頷き、剣術部側の呼び出しをする。


「では――辻月旦さん」

「はい」


 柳を含む、剣道部側に衝撃が走る。

 ここに至って、なお、田島を含め、毬谷円佳と戸田勢花が戦い、大将戦である東郷重美と辻月旦が対決する。

 皆が皆、そう思っていた。

 そうであると、信じていた。

 根拠もなく、そうであると。

 木刀を片手に月旦は円佳の正面開始線に立つ。

 正面に礼。

 互いに、礼。


「では、一手、ご教授――」

「辻ぃいッ――!」


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