第20話『カナラズウマイ!』(連続33話)




 仲居部屋に集合してからは、『忙しい』ただそれだけだった。


「正中線を保ちながら移動。臍から動き、足がついてくる感じで」


 天羽小雪は仲居頭の蘭子の点呼が終わると、二人を前にそういった。


「剣士とは言え、婦女子。バタバタとはしたない動きはしてはいけません。なにより、今の貴女たちはこの至天館の従業員ですからね。無様は許しません」


 配膳に追われるときも――。


「戸田さん。重心がしっかり踵で支えられているのはいいのですが、動くときは楚々と。踵から動き、かかる体重の両足への配分は、半々。つま先は緩く、ややあげて。そう、それ。急がずに、速やかに」


 料理の並べられた膳を、ふたつみっつ重ねて運ぶ月旦を見かけたときも――。


「肩と腕を伸ばしただけで、釣るようにお膳を手に乗せているから疲れるのです。疲れるから体を反らせて腹と胸に乗せようという態勢になるのです。胸を締め、剣を持つように体全体で運び持ちなさい。足は良い。だが正中線を崩せば体重の配分は後ろに偏る。押されれば倒れますよ」


 同じく飲み物のケースを運ぶ勢花に――。


「周囲を見ようとしたら、あごは引かない。おとがいはやや上げて。そう。耳と鼻の線が水平にのるように。そう。車を運転するときと一緒。目を楽にすればするほど、視野も広くいちばん周囲に気を配れるわ」


 さらにはそれらに気を取られたふたりを見て――。


「気にしすぎ。昨日のほうが良い動きだったわねえ……」


 と笑う始末だった。

 そんなこんなで、宿泊客の昼食の時間。

 交代で入った昼休み、月旦と勢花は仲居部屋の長机の前で、椅子に深く腰掛けながら賄い飯に手を合わせ「いただきます」と箸を取る。


「無理……! と言いたいけど」


 ご飯の盛られた茶碗片手に、おかずである鯖の煮付けを頬張り、勢花は嚥下するや口火を切った。


「蘭子さん見た? あからさまにそれっぽい動きで配膳してるの。ああお手本見せられたらねえ……」


「確かに」月旦ももぐもぐと白米を飲み込みながら頷き「道場の外で構えず日常の中で行えと言われると、確かに。むむ」とサトイモの煮付けをつまむ。


「常在戦場というわけではないのでしょうが、つまり、基本ができていないのでしょう。剣を以て人を斬る動きの中でないとできない程度の体捌き。ひどく偏っているわね」

「達人は立ち居振る舞いからわかるってやつかな」

「……創作の中の話だけじゃないのは確かね」

「ん~」


 二人揃っておかわりをよそる。


「わたしってほんとにドタ子のままなのねえ……」

「重心が落ち着いてるのはいいことよ。あとは意識して、無意識に動けるようにするだけ」

「それが難しいのよねえ」

「反復こそが奇蹟の練習法と、誰かが言ってたわね」


 月旦がたくあんを載せたご飯を頬張るや、一声掛けて蘭子が入ってきた。


「おなかすいた~……って、おひつ、もうこんだけ?」


 おひつの中に残った白米の量が思ったより減っていて目を丸くする。


「ふたりともけっこう食べるのね? いいことだ、うんうん」


 満足げに蘭子は頷き、自分の茶碗にご飯をよそる。

 手元にあった薬缶からお茶を彼女のグラスに注ぎながら、勢花は「いやあ~」と曖昧に笑う。


「知らない土地で、知らない仕事と、新しい術を覚えて、頭も体もいっぱいいっぱいでしょうに。食欲わかない子が多いのに、たいしたものよ。昨日は遠慮してたみたいだし」


 ばれていたようだった。

 昨日今朝と、さすがに遠慮したのか、すでにこの昼食には空腹の極みという事態に陥っていたのだ。

 ふたりだけということもあり、無意識に遠慮がなくなっていた様子だった。


「どう? こっちのご飯は」

「米美味いっす」


 ブロッコリーに醤油を掛け頬張る勢花が、寸刻おかずに答える。


「新潟は米所――ってだけじゃないけど、わりと美味しいお米使ってるのよ。あとこの辺りはブナと赤松が多いから、木炭を使った料理も美味しいのよ」

「味付けは、凄く好みです」


 月旦はこの、やや濃い味付けの料理が好きだと思った。


「いわゆる信州寄りの味付けなんだけど、政さん凄いっしょ。お客さんを見て味付けは加減するけど。いいよね、健康志向なんのその! って感じの、塩と味噌と醤油のストロングスタイル」

「惚れます」


 トリ腿の照り焼きを頬張り勢花も頷く。


「たまに鹿肉取ってくるし、政さん」

「あ、しってる! 美味しいお肉だ!」

「そうなの。美味しいよね~、こう塩ふって七輪で網焼きにしてさ~」

「ウマイ! ソレ! カナラズウマイ!」

「勢花さん、日本語になってないわよ」


 三杯目をよそいながら、月旦はため息をつく。


「あ、わたしも」という蘭子と、そっと差し出す勢花にもよそい直すと、美事におひつは空になった。


「ほほほ、健啖ね。それでこそ、これからの大和撫子」

「女将さん」


 蘭子が仲居部屋ののれんを潜った小雪に会釈と共に席を空ける。

 ふたりが何も言わなかったのは、単に白米とおかずを頬張っていたからだ。まだもぐもぐと気まずそうに咀嚼している。


「ゆっくり食べなさいな」


 小雪もけらけらと笑っている。

 もしかしたら、わざとこのタイミングで姿を現したのかもしれない。


「うちは男ばかりだったから、懐かしいわ」


 思い出すかのように小雪は息をつき、蘭子の空けた席に着く。女将といえども、昼食は仲居部屋で簡単に取るのが習わしだった。


「死んだ夫はそれほどじゃなかったけど、二人の息子はよく食べたわあ……」


 あ、やっぱり夫さんには先立たれているのかと、女子高生二人は何となくご飯と一緒に飲み込んだ。


「お先に頂いております」


 今度は月旦が小雪のグラスにお茶を注ぐ。


「ああ、ありがとう。新しいおひつは次の休憩のときに持ってくるでしょうし、わたしはそのときでいいかしらね」

「すみません」


 もぐもぐしながら勢花は頬を赤らめる。もちろん、よく噛んで飲み込んでから謝った。


「ぷっ」


 またも小雪はけらけらと可愛らしく笑う。


「聞こえたけど、政さんの話?」

「鹿肉のことですよ」


 蘭子は猟銃を構えるように宙空に手を添えると、「ターン!」と声に出さず引き金を引く。


「害獣指定だから、たまに出張るわよね政さん。…………」


 と、小雪はお茶を飲みながらチラリと月旦に視線を送る。その思わせぶりな視線に、大根の煮物を頬張っていた月旦はモグモグしながらじっと考える。


「――あ、まさか、うちに送られてくる鹿って」

「そう、政さんが送ってるの。兄が、あなたのお祖父ちゃんが好きでねえ。鳳子さんも好きだったから、こっそり管理業者の送り状で送ってたみたいなのよね」

「天羽師範――女将さんの指示で、ですか?」

「ううん、ちがうわ。政さん、ああ見えてあなたのお祖父ちゃんとはちょっとした因縁があってね。わたしが嫁いだあとだから……もうかなり前よね。ふたりとも若かったわほんと」


 思い出し笑いに、またけらけらと、本当に少女のように笑う。

 そんな小雪の話を信じるならば、板前の政は祖父と個人的な繋がりがあり、祖父の好物の鹿肉を親族である小雪に黙って送り続けていたという。加工と郵送の一手間として業者を挟むことで小雪にばれぬよう、心がけていたらしい。しかしその交流は早いうちから小雪に察知されていたらしい。


 月旦の母、鳳子は慣例で知り合いから送られてきている物と思っていたかもしれないが、その実は、縁故ある妹の嫁ぎ先の、その板前であるところの、祖父の竹馬からの贈り物だったのだ。

 祖父光太郎が手帳に妹の嫁ぎ先を記したように。

 その妹である小雪が光太郎との縁故を残すために。

 疎遠であった親戚は、板前の政という糸によって、辛うじて繋がっていたというわけである。


「政さん、歳はまだ六十手前くらいでは? 祖父との間に何が……」

「詳しくは知らないけれど、十代の頃、兄と剣呑な仲になったとか。直江津の漁師と新興のヤクザが諍いを起こしかけたとき、命を助けたことがきっかけで杯を交わしたとか交わさなかったとか」


「いまどき盃ですか?」と蘭子は口にするが、すぐに「ああ、昭和も昭和のまっただ中か」と頷いている。


「いまでも盃やるよね? ね? 月ちゃん」


 あのときの公園でのことを思い出しお新香をコリコリと頬張りながらにこにこする勢花に、月旦も味噌汁を吸いながら微かに頷いている。

 はぐらかすにしては、あの公園でのあれは、彼女の心の中でひどく神聖なもののように位置していたからだ。


「……政さんの背中には、それっぽい『墨絵』とかなかったけどなあ」


 ふとしたことで伺った政の上半身の記憶を辿り、蘭子はポツリと言う。その時代のその手のスジの者だとしたら、己の背中をキャンバスとして高確率で描いている『作品』のことである。

 でしょうね、と小雪も笑う。


「直江津の港に出入りする大網元を暗殺するために雇われたスナイパーって話よ? 狙撃をくぐり抜けた光太郎兄さんが、間違いを犯す前に倒したとか。結局、漁夫の利を得ようとする他の組との抗争と、血の気の多い漁師たちとの闘いになる寸前、リンチ死されそうになっていた彼を助け出し、大立ち回りの末に、こう、全員叩きのめして平和を取り戻したとかなんとか」


 お茶をひとくち。小雪は続ける。


「以来、過去を消すために名を捨てた政さんを至天館の板前として『後を頼む』と兄は東京に去り、政さんは恩義に感じ今も愛用のライフルで兄の好物の鹿肉を送り続けているというわけ」


 親戚づきあいが極端に少ないことの理由。

 祖父が剣術を教えたがらない、残したがらない理由。

 その全ては、そんな過去にあったのか。

 月旦は絶句した。


「もちろん嘘なんだけど」


 ケラケラと笑い、小雪はあっさりと白状した。


「小話はおしまい。ふふふ、間違っても政さんに言っちゃ駄目よ? 『またですか』って笑われるから」


 お茶どうも、とグラスを洗い場に置き、小雪はのれんを潜って廊下へと消える。その背中を見送りながら、三人は食事を終えた食器を重ねながら、黙ってため息をつく。


「ここ長いけど、今の話初めてだわ。きっと新ネタか何かね。今日このためだけに考えていたに違いないわ」

「あたし信じちゃったもの……。『デューク政』みたいな」

「ともあれ、鹿肉の出所が分かって良かったわ。うちを代表して御礼を言わないと」


 気が良い感じに抜けた。

 午後もこのリズムで、慌ただしく乗り切らねば。

 ふたりはフンムと鼻を鳴らし、食器を抱えて洗い場へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る