第21話『どこでその話を?』(連続33話)
午後の仕事も半ばを過ぎ、夕食の仕込みを終えた板前の政を呼び止め、月旦はお茶へ誘った。
見込みのある弟子に後を任せた政が月旦たちのぶんのお茶菓子――どら焼きを手に仲居部屋ののれんを潜ると、そこには月旦ひとりがチョコンと座わって待っていた。
「どこでその話を?」
鹿肉の一件を、送ったことに関することのみ話して、月旦は政を誘ったのだ。どら焼きを彼女の前に置いて、開口一番がそれであった。
「今朝方、流れで」
「仕方のないおかただ。あれでしょう、女将さんですか。仕方がないなぁ本当に」
勢花たちもいるかと思ったので余分に持ってきたどら焼きを卓の中央に置き、反対側へと座る。
じっと見れば見るほど、昭和の映画に出てきそうな渋い白髪混じりの短髪顔である。歳はそれでも六十手前と聞いているが、十は若く見える。しかしそのやや浅黒い顔に刻まれた皺の数々は歳以上に彼に風格というものを与えている。
「女将さんにばれていたのは知っていた……ということでしょうか」
「うすうす、ですが。まあ光太郎さんも亡くなりましたし、そこまで周囲に秘密にしておくことでもなかったですから」
「ともあれ、折に付けて大変ありがとうございます。先日頂いたものも含めて、家族で美味しく頂きました」
「ご挨拶出来ませんでしたが、鳳子さん、先日いらっしゃったそうで」
「御面識が?」
「ええ、知っている、というくらいですが――」
といい、ハハと笑う。
そのもの凄く自然な、しかし思わせぶりな笑いに、彼女はやや考え込む。やはり、この政という人には何かあるのかもしれない。
「祖父とは、その、どのような?」
「昔。本当に昔に、少しありまして」
そうか、それを聞きたかったのかと、政は茶を喫しながら頷いた。
「――ベトナム戦争がようやっと終わった、梅雨を迎えようとしていた季節の頃です」
「え、ベトナム」
思いのほか意外な単語が出てきてオウム返しに聞く。
「ええ。中国との国交は正常化してたあたりですから、よく覚えています。まだまだ日本海側は大陸に面してる関係で、その手の人間にはそれでもかなりの緊張を強いる時期でありました。密漁や拉致、新興勢力の台頭、気が抜ける時期ではありませんでした」
掌の中、湯飲みの中の茶に映る天井を見つめながら語る政の瞳は、それを見てそれを見ていないような、遠くを見るような目であった。
「佐渡を臨む新潟で、学校もろくに行かなかったわたしは、案の定、人様に顔向けできないことに手を染めていました。ひどいことをたくさんしてきました。カタギの人に手を上げたことはありませんが、それでも暴力の世界に身を置いていたことは確かです」
悔恨の気配漂う述懐に、月旦も息を飲む。
小雪に聞いたことが思い起こされる。
あれは本当にあったことなのでは、と。
「……そ、その」
「はは、光太郎さんのお孫さん――月旦さんでしたか。あなたにこんなことを言うのは年寄りの勝手な罪滅ぼしになるのかもしれませんが――」
訊くタイミングを逃した。
「鉄砲玉ってぇ、やつだったんですよ。――外国から日本の仁義を侵す奴らがやってきましたし、その漁夫の利を得ようといろんな奴らがやってきました。佐渡、そして対馬、日本海はまさに戦場でございました」
仁義。
月旦はゴクリと喉を鳴らした。
「――っ。はは、驚かせちゃいましたね。倉庫で奴らの幹部が集まって、いわゆる裏談合をする情報を聞いて、仕掛けに行ったんですわ。いや、そのときに下手を打ってしまい、胸に一発、もらっちゃいまして」
右手の親指と人差し指を立てた拳を、クイっと上げる。
拳銃のことだろうか。
「波止場の倉庫街で誰に知られることもなく死んでいくはずだったわたしを助けてくれたのが、光太郎さんでした」
「祖父が? な、なぜ祖父はそんなところに」
「わたしらの騒動に、目に余るものがあったのでしょう。薄暗い倉庫に集まった荒くれ者たちを総て叩きのめして、わたしを闇医者に連れて行ってくれました。身内ともども、頭の上がらない御仁でした」
「あのお祖父ちゃんが……」
「恐ろしいお方でした。懐に物騒なものを呑んでいる連中ばかりでしたが、十人ばかりを順番に、こう」
「……き――斬ったのですか?」
ゆっくりと、首を振る政。
「いえいえ。五人ずつが互いに注意を向けている中、おびき出すようにひとりひとり、声もなく。恐ろしい手際でした」
月旦の想像では、真剣はないにしても、木刀片手に正面から乗り込んで、縦横無尽の立ち回り……と思っていた。
「全員倒すこと、生き残ることが目的だったのでしょう。銃を出してきたときは物陰から現れ、こう、エイヤっと腕を打って、そのあと鎖骨を叩き折っていました。容赦のないお方でした」
「ぼ、木刀ですか?」
「いえ、その倉庫にあったこのくらいの支柱パイプです」
両手を広げる政。その長さはおよそ五十センチ。片手で扱えば脇差しほどだろうか。それにしても、容赦がないと思う。脳天を小砂利のように打ち砕いて殺傷たらしめなかったのは、容赦ではなく単なる配慮だったにすぎない。
「わたしも意識が朦朧としておりました。助け起こされたときに、身内の医者を伝えるのが精一杯でした。その後、なんやかんやとありましたが、ゴタゴタが落ち着いたあと、体を壊したわたしは身内から離れ、光太郎さんの計らいでしばらく身を潜めたあと、この至天館へと来ました」
「なるほど……。――え?」
頷きながらも、月旦は少し違和感を覚える。
「至天館に来たのは、政さんが先だったのですか?」
「ええ。わたしがいるのが縁で、当時ここの番頭さんだった旦那さんと、女将さんが出会ったのですから」
「ん~?」
時系列が、よく分からなくなった。
「本当に色々あって、以来、返せぬ恩義を鹿で返してるといった塩梅です」
語り終えた政は、くいと呷ってから湯飲みを置く。
「どら焼き、わたし手を付けていないので。よかったらご友人と、蘭子に」
目礼し席を立つ政に、月旦も腰を上げて一礼する。
「貴重なお話、ありがとうございました。その……」
言葉を濁す月旦に、のれんを潜りながら政はハハハと笑う。
「構いません。嘘ですから」
「嘘なのかよ!」
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