第11話『そこ?』(連続33話)
翌日である。
「無理」
またこのパターンかと、月旦は突っ伏す勢花の胸を興味深く見ながら、その縦横無尽に形を変える
「2と5は、似てるわね」
「どこがよ~」
「7セグ表示だと鏡写しでしょう」
開いた通知票、見事に月旦は5が揃い、勢花は2が揃っている。
「首の皮……一枚ね」
慣例として、赤点のままであると5段階評価の1は真っ赤なインクで押印される。開いた瞬間にそれがないことと、返却された答案の得点がギリギリ及第点であったことが勢花を安心させた。
安心させたのだが、返却された通知表を親に見せることを考えて絶望に打ちひしがれている様子であった。
「見事に、一学期と二学期も、主要教科はオール2なのね」
「さすがにオール5の委員長さまっすね。ああああああああああ、お父さんに怒られるゥ~!」
「見た目は2で変わらずとも、これからは上がるのみよ。お父さまお母さまには、わたしからも、これからは成績の心配はないとお伝えして上げるわ」
「ど、どゆこと?」
「これからは、わたしが勉強を見てあげます」
「無理」
がっしとばかりに机にしがみつく勢花。彼女の拒否も聞かず、月旦はため息をつく。ともあれ、縁あって共に歩むと決めた今、後顧の憂いなく活動するために、彼女の前途は照らさねばならぬと心に決めた。
もしかしたらわたしは教えたがりのウザい奴なのではないかと思ったが、月旦は「自分はそういう奴なのだろうから気を付けよう」と生真面目に思うのみである。
「も~! 7セグってなに」
「そこ?」
立ち上がる月旦。
「帰るのォ~?」
勢花が首だけもたげて聞いてくるのに、月旦は黙って頷く。スっと机の中から出したのは、剣術部活動予定表だ。クリアファイルに入れられたそれには、週間予定や活動内容などが大まかに書かれている。
「これを出したら、帰ろうかと。帰り、タコヤキでもいかがですか?」
「
「いかが?」
「行く!」
がばりと起き上がる勢花は、鞄を引っ掴むと、別に携えてきたリュックサックを担ぎ目を輝かせる。
「荷物多いのね、勢花さん。少しずつ持って帰っていれば良かったのに、なんていう言葉は要りませんね」
「ちょっと選択科目で残してた課題とかね~。描いた絵とか棄てちゃおうかと思ったけど、改めてみると愛着あるし、上手い下手じゃないんだよな~こういうの」
「ああ、そのビームサーベルみたいに突き出てるのは美術で描いた絵ね」
「そそ。あと、体操着とジャージと、グローブと、あとなんだっけ」
「体育の授業があったのって結構前でしょうッ」
一歩引く。
「大丈夫だって、まだ腐ってないし」
「……まだ、ね。しかしグローブって野球の? なんでまた」
「え、キャッチボールするかなぁ……って思って」
良く分からない受け答えだった。
ともあれ、荷物が多いことには変わりがないらしい。画材一式も入っているとなればリュックひとつは必要なのだろう。
「ささ、タコヤキいきましょ~ぜ」
「その前に、職員室。これ出さなきゃ」
「あ、そっか。……で、月旦ちゃん」
「はいな」
「ビームサーベルってなに?」
「そこ?」
学年末が滞りなく締めくくられた職員室の空気は和やかなものだった。
赤点追試に足を引っ張られている一部教師を除き、新年度への足並みの確認という感じだった。
その中で、社会科教師たちの机が集まる一画――社会科島でひと息ついていた柳は、ニコニコ顔の松下に頭を撫でられながら難しい顔をしている。
「七子ちゃん、ほんとありがとう! あたし、こんな気持ちで迎えた期末って初めて!」
「松下先生、その、おやめになって下さい」
椅子に座った柳七子の顔をさらに抱きかかえるように、松下は絡みついてニコニコと安堵の表情をこすりつける。
黒髪ロングヘアーの童顔である松下は、柳と同じ大学のひとつ上の先輩であった。同じく向陽高校に着任したあとも、公私ともに交友を続けている。
柳の頭の上がらぬ人物のひとりである。
「新しい部活、もうハンコ押しちゃったからね~!」
「そ、それは重畳。その、あの……」
「なに? 今日は仕事片付いたらそのまま飲みに行くんじゃないの?」
「そら行きますが……まあ、その、良いです」
唯々諾々と撫でられる柳も、一安心したことには変わらなかったからだ。生徒会への提出書類も昨日のうちに確認したし、返ってきた承認書類をさらに確認もしてある。来年度から、辻月旦部長率いる剣術部が動き始めることは決定したも同然なのだ。
そのとき。
ひと息ついた松下がその胸から柳を解放したときだった。
「よろしいかしら、柳先生、松下先生」
白髪混じりの、小柄だがすらりとした女性教諭。年の頃は、五十代半ば。数学教師の
「こ、これは田島先生」
さすがに席を立ち背筋を正す柳に、松下も倣う。
柳の頭が上がらぬもうひとりの人物が、この田島である。
剣道部顧問の数学科教師。五十代半ばの諸田一刀流剣道の使い手。東郷重美に全幅の信頼を寄せ、また寄せられている女性である。
「格技棟の件で少し」
そう言った田島は松下にも促し、空いている椅子を引き寄せて座り直す。
「剣道場が使う
話を切り出す田島の語り出しは、静かであった。
柔道部顧問の柳は、剣道部顧問の田島と同様、部活動にかならず施設の利用というものが絡んでくるのを知っている。走り込みや筋肉トレーニングだけでは技術そのものの研鑽はできないのだ。
授業で使うときを除き、放課後の部活動で使う施設の利用権は、占有する施設の特異性に委ねられる。剣道場なら剣道部、柔道場なら柔道部、バスケットゴールやネットを誂えられる体育館は、バスケ部やバレー部に。体操部やダンス部なども折り合いを付け、分け合い、同居と棲み分けというバランスを取り合っているのだ。
「ところで松下先生」
「は、はいぃ!?」
田島に話を振られた松下はビクンと緊張を増し背筋を伸ばす。
「剣術部の顧問になられたそうで」
「え?」
ポカンとする。
「あら、松下先生が顧問になって、新しく剣術部ができたと聞いたのですが」
「い、いや、初耳――」
と、ポカンとしている松下の言葉尻を抑えて継いだのは柳である。
「確かに、剣術部顧問は松下先生と登録されています」
「嘘ぉん」
「本当です」
どうせ戸田勢花の赤点留年回避に酔いしれすぎていて、顧問に書かれた自分の名前に気が付かなかったのだろう。気が付いていたとて、件の確約の手前、拒否もできなかったのは、辻月旦の策略だろう。見返りのうちのひとつであったと言っても良い。
言葉を失った松下を多少あわれに思った田島だったが、コホンと咳払いし、続ける。
「剣術部の施設利用なのですが――」
「――!」
その言葉の色に、柳は気が付いた。
「柔道部は柔道場、剣道部は剣道場。剣術部は――剣道場と、柔道場の空き時間を所望していまして」
「剣道部は確か……」と柳は探る。
「月火、木金。水曜と土曜は、基礎練習」
柔道部も同じであった。
朝練は毎日あるが、部活動の一年間に於ける活動時間は決められている。公立のさだめである。
その決まりごとの隙間を突いて毎日活動する部活こそあるが、基本的にこの施設利用時間は、向陽高校において固く守られている。
「となると、剣術部は――水曜日ということになりますね。柔道場、剣道場の共通した空き時間は、水曜日の放課後。剣術部は、水曜日に剣道場か柔道場を使うことになる……と、このまま行けば、そうなりますが」
来た。
柳は身構えた。
「高校生の部活動として、剣術部の活動――竹刀木刀、および模造刀を用いての練習……という部分。その指導において、顧問の力不足が指摘されていまして」
「顧問の、力不足……?」ぼそりとこぼすのは、松下である。
「部活動の顧問は必ずしもその活動の経験者である必要はないのですが、活動内容が活動内容なので、松下先生の指導力いかんでは事故が起きる可能性があると指摘があったのよ」
「そ、それは、まあ、確かに」
剣術なんて少しも知らない松下にとって、生徒が勝手に何かやるのを見ている分には良いが、その尻を持つことに関しては、もちろん不安はつのる。
「つまり、施設の利用には、松下先生を顧問とする、部員二名の実力を示して頂けなければ、役員は納得しかねると言うことになりました」
――これが、二の手か。
柳は唸った。
「役員とは……?」
「教育委員会」
東郷重美の両親の影響力を感じずにはいられない。
いや、ブラフか。柳は眉をひそめる。
「校長も、健全な課外活動が行えることが立証できない限り、生徒が学内で竹刀や木刀、あまつさえ模造刀を手にするのは許さないとのことです」
「校長、ですか……」
応えたのは柳であった。
校長は役職こそ最高位だが、確か、この田島の後輩にあたると聞いたことがある。
策略。
というのは、やや乱暴だろう。
剣術が武道である以上、安全や指導には万全が期される必要がある。
そこを突いたのだ。
彼女たちの実力を確かめるという、ただそれを引き出すために。
「もちろん、道具の使用がなければ自由に使っても良いのですが」
田島が重ねて言うが、それでは意味がない。
部活という場において、それでは意味がない。
球技でボールを使うな。
剣道で竹刀を使うな。
術という意味では、柔道で立ち技寝技を組み合うなというようなものだ。
「三週間ほど、あります」
指を立てて、田島が言う。
「本日が、三月の二十日。春休み明けの始業式が、四月の十日。部活動が開始されるのは、土日を挟んだ翌週から。この、土日。本当に部活動として活動しうるかどうかを確認するため、形の披露と、試合をして頂くことになります」
「試合……?」
柳は田島に先を促す。
「うちの――」田島の――「剣道部員が、剣術部員と立ち会います。基礎の形を確認したのち、二名ずつの試合を行おうと思います」
「なるほど、それが目的でしたか」
柳の言葉に、田島は応えずに微笑むだけだ。
「田島先生。二名ずつ。……剣術部は、辻と、戸田の二名。剣道部からは?」
「東郷と、毬谷を出す予定です」
そう来ましたかと、柳も苦笑する。
そう言うことですか。
そう言うことです。
柳と田島は、理解した。
「松下先生」
「は、はいぃ!」
「お伝えした通りです。見極めは、あなたと、わたしで行います」
田島の静かな声色に、抗いがたい気配を感じ、松下は「あぅ」と唸るだけで精一杯であった。
「わたしの管轄である柔道場の使用も掲げられている以上、わたしも見極めには立ち会いたいのですが」
「良いでしょう」
田島は頷き立ち上がる。
「では、失礼いたします」
満足げに去って行く田島の背中を見据えながら、ふたりは唸る。
「七子ちゃん……」
「なんでしょう」
さぞかし驚いていることだろう松下を気遣う柳だが、彼女が顔を覆って呻いたのは、果たして。
「わたし顧問だったの?」
「そこ?」
「ぶえええええええええええ、ひどいよぉ! 顧問なんて聞いてないよぉおおおおおおおお! めんどくさーい!」
職員室に入るや否や、松下は月旦が何かを言う前に抱きつき、鼻水混じりの涙顔をその胸に押し付ける。
「ちょ、松下先生」
あっけにとられる月旦と、なぜかうらやましそうにむっとする勢花。
松下は構わず、ひざまずかん勢いで
「ハンコ押しまくりの認可受けまくりだったわけですが」
「ふぇええええええ」
本気で泣いてる、アラサーに両足を突っ込んだ担任に、言葉もない。
となりで眉間を揉んでる柳がこれを引きはがそうとするが、なかなかに頑固である。
「すまんな、辻」
「い、いえ」
「ふえええええええ」
「これなんなんすかね?」と、勢花も呆れた顔だ。
ベリっとばかりに松下を引きはがした柳は、ふたりに向けて「ちょっといいか」とばかりに顎をしゃくる。
「ふええええ」
未だに泣く松下をどうするか思いあぐねたが、引き摺っていくことを決めた柳は、四人で職員室先の階段の昇降口までやってくる。
「辻がシレっと松下先生を担任として登録していたことはともかくとして、だ」
「そこ重要でしょう~!」
わめく松下を無視し、柳は咳払い。
周囲を見回し、人気がないのを確認し、先ほどの一件を伝える。
「試験……試合ですか」
月旦が腕を組みつつ、顎に手を当て考え込む。
「まさか、尚武堂の一件がここまで後を引くとは」
「尚武堂の一件? 話してみろ」
月旦は「実は」と、ことの成り行きを説明する。先日の学年順位発表の場で伺った一連の遣り取りの間を埋める事柄に、柳は合点が入ったとばかりに三度ほど頷く。
「やはり東郷の差し金と見て間違いはないだろう」
「意趣返し? という感じではなさそうですが」
「単純に、興味があるのだろう。……が」
柳は続ける。
「毬谷円佳。諸田一刀流剣道、毬谷道場のあの子は、その限りではないように思える」
「毬谷さん……」
勢花はうつむく。
自分をかばうために、尚武堂で起こしたあの騒動のことを思うと、彼女の心中にはチクリとしたものが蠢く。
「結論を言おう」
柳はふたりを見据えて言う。
「剣術部が剣術部として活動するには、基本的な型稽古の披露と、剣道部との立ち会い稽古をする必要がある……ということに尽きる」
「条件は、それだけ……ですか」
月旦は静かに佇み、言う。
それを受け柳は頷く。
立ち会い。
東郷重美と、毬谷円佳。
「戦うんですね……」
絞り出すような勢花の言葉に、三人は視線を注ぐ。
うつむき加減であった彼女だが、キっとばかりに上げた顔は、しかし悲壮さは見えず。むしろ、静かな佇まいであった。
「自分をしっかり見てもらえるなら、望むところです」
「勢花さん……?」
「剣をとってる自分を見てくれるのなら、何でもします、わたし!」
柳も、松下も、月旦も、彼女の言葉にはっとさせられた。
彼女は一度、剣を奪われかけたのだ。
もう二度と、奪われまいとしているのだ。
「仕方ないわね」
顔を拭いた松下が、やれやれと言わんばかりにため息をつく。
「松下先生――」と月旦。
「松下先生」と、柳。
「ま、松下先生」これは勢花だ。
松下は三人を見回し、頷く。
「みんな」
「何でしょう」
代表して月旦は尋ねる。
「顧問、やってあげるわ!」
「そこ?」という三人の声は、同時であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます