6月 ジューンブライダル

【5月深夜の出来事】


 春は五月晴れと共に姿を消し、ねずみ色の雲とジメジメした梅雨がやって来た。


 大学の対面講義も始まり、週の半分はキャンパスへ通うようになったけど、みんながそうなので構内はガランとしている。

 高校生の頃、先輩から聞いた部活や同好会が配る勧誘ビラの吹雪や、勧誘の食事会(という名の飲み会)は、今や伝説化したようだ。


 6月に入り、彼女は朝早く出掛け夕方遅くに戻ってくる。

 もうすぐ夏至で陽も長くなったが、夜遅く少し疲れた顔をして合宿所へ戻ってくることもある。

 アルバイトでも始めたのかな?

 彼女の実家は大きなお屋敷だったから、お小遣いには不自由していないと思うけど。


 建物は古いけど家賃と光熱費が無料タダの合宿所生活で、僕はアルバイトもせずに時々大学へ通い、あとは合宿所で小説を書いたり、敷地に置いてある誰のものか分からない古びた自転車を勝手に借り出して、23区の僻地に残る自然を楽しんだりしている。

 小説家志望としては理想の環境。

 彼女のトラブルに巻き込まれない限りはね。


 先月、あやかし騒ぎが収まった日の夜、真夜中にまた彼女の電話で起こされて『今度は何事!』とノックもせずに彼女の部屋へ入ってみると、薄暗い部屋の中で『バサバサ』とたくさんの何かが飛んでいる羽音がする。

 扉の横にある室内灯のスイッチを2度押しして、照明をつけるとたくさんのコウモリが部屋の中を飛び回っていた。


 その夜、彼女は机で小説を書いていたらしい。

 エピソードが一区切りついたので、バルコニーに出て夜の雰囲気を味わってからベッドに入ろうと思い、部屋の明かりを消し掃き出し窓を開けた途端、コウモリの群れが飛び込んで来たとのこと。

 信じ難い話だが彼女の部屋に入った時、たくさんのコウモリが部屋の中を飛び交っていたのだから信じるしかない。


 頭を庇いながら床に伏せている彼女を見つけ、飛んでくるコウモリを避けながら、彼女の手を引いて部屋の外に出て扉を閉めながら廊下に転がり出た。

 扉の向こう側(彼女の部屋)では、コウモリが大賑わい。

 コウモリのお祭りか何かの日だったのかな。


 しばらくして彼女は我に返り廊下に座ったまま足を投げ出して、今の状況を説明してくれた。

「あんなにたくさんのコウモリがこんな都会(彼女はココに住み始めた時『僻地』と文句を言っていなかったっけ?)にいるなんておかしいでしょう? 叔父さんが「もう大丈夫」と言っていたけど、まだ何処かにあやかしが潜んでいるのかも知れないよ」


 以前はどこかの会社が入っていたこのオンボロビルの廊下はグレーのリノリウム材が貼られている。施工されてどれくらい年月を経たのか分からないほど、あちらこちらが傷んでおり何かが現れてもおかしくない雰囲気ではある。


「じゃあ、叔父さんのところに行ってみようか?」

 僕の言葉に彼女はうなずき、2階の叔父さんの部屋まで行ってみたけど、そこから新たなが問題発生した。

 1階フロアの吹き抜けがあるから2階は他のフロアの半分くらいの広さしかないけど、部屋の扉には全て [ PRIVATE ] のプレートが貼られている。

 合宿所に着いた最初の日、叔父さんが「2階は立ち入り禁止」の宣言をしたから、彼女も僕も2階の部屋には入ったことがない。

 あの叔父さんのことだから危ない(怪しい?)モノでも隠しているのかもしれない。

 気にしても仕方がないので、手前の扉からノックをしていく。

 僕が大きな音でノックをし、彼女は呼び出し役。

「叔父さん!私の部屋が大変なことになってるの。なんとかして!」

 順番に廊下の突き当たりの部屋までノックして行ったけど、何の応答もない。

「叔父さん、いないのかな?」

 叔父さんの部屋に行けば何とかなるかと思っていたけど、甘かった。

 お酒を飲んでいたから、何処かへ出かけるはずはないと思うのだけど。


「そうだ! 電話を掛けてみよう」

 彼女が上着のポケットからスマートフォンを取り出して呼び出してみる。

僕は叔父さんのメールアドレスは知っているけど電話番号を知らない。知っていても掛けることもないと思うけど。

 彼女がスマートフォンを耳にあてて、しばらく応答を待ってみる。

「出ないわ。コール音が聞こえるから、この世には居ると思うけど」

 あやかし研究家だから「あの世」へ行っていることもあるのかも知れない。


 2階廊下の奥で「どうしよう?」と、壁に寄りかかりしゃがんでいると、すぐ側の扉から、夜中に聞くと悪夢を見そうなおぞましい獣の唸り声が聞こえてくる。

 思わず彼女と顔を見合わせる。

「何? 今度はなんなの?」

 日頃、物事には動じない彼女の声が震えている。

 すると今度は、反対側の扉から甲高い類人猿の雄叫びが聞こえ、目の前の扉を『ドンッ! ドンッ!』と叩く音が響いてきた。


「逃げよう!」

 条件反射的に立ち上がり、彼女の手を引いて立ち上がらせ、2階から階段を駆け上る。

 3階の僕の部屋へ戻り、扉を閉めて鍵をかけた。

 息を潜め部屋の外の様子を伺う。

 カーテンの隙間から外の状況を確認し、扉に耳をあてて廊下の音を聞いてみる。

 しばらくそんなことを繰り返してみるが、部屋の外は夜の静寂に包まれ静まり返っている。


 そのうち彼女が「自分の部屋(の持ち物)が心配」と言い始めたので、慎重に扉を開けて廊下の様子を覗ってみると、部屋の外はいつもの古びた廊下のまま。

 用心しながら5階まで階段を上がり、彼女の部屋の前に立ち扉に耳をあてて中の様子を伺うと、部屋から逃げ出した時に聞いたコウモリが飛び交う音は聞こえてこない。


「開けるよ?」

 僕の声に彼女もうなずき、思い切って扉を開けると、そこは深夜に静まりかえった彼女の部屋。

 中に入り部屋のあちらこちらを確認してみるが、あれほどたくさんコウモリが飛んでいたのに獣臭くなく、床やベッドに糞も落ちていない。

 羽も落ちていないのは… コウモリだから当たり前か。


 彼女が部屋にある持ち物を確認してみると、荒らされた形跡もない。

「何だったのかしら?」

「何だったんだろうねー」

 そんな間抜けなやり取りをしたあと、彼女が眠くなったから寝るというので、僕も自分の部屋へ戻ることにしたんだ。

 彼女のそういう切り替えは早く、もうベッドに入っている。


 彼女の部屋を出ようとしたとき、掃き出し窓が開いたままなのに気が付いた。

「窓を開けたままだと、またコウモリが入ってくるかも」

「エムくんは私を脅かして『ひとりにしないで!』って、言わせようとしているの?」

 さっきまで震えた声を出していたのが嘘のように、ニヤニヤしながら聞いてくる。彼女が精神的に強いのはよく分かっています。

「コウモリより夜風にあたると、身体に良くないからね」

「そう? 気を使ってくれたの? ありがとう」

 窓を閉める時、雑木林の上空には赤みがかった満月に薄雲が掛かっていた。


 翌日、昨晩の騒ぎで遅い時間に目を覚まし、1階へ降りていくとホールで彼女がコーヒーを飲みながら本を読んでいた。叔父さんは出掛けたあとのようだ。

 今朝、彼女は叔父さんに会い昨晩のことを聞いてみると、お酒を飲んで寝てしまったから何も覚えていないとのこと。

 彼女が電話したことを聞くと、バイブレーションにして脱いだ服のポケットに入れたままだったので気が付かなかったらしい。

 話の筋は通るが、何か怪しい。

 オカルト同好会の自称現役なので、眉唾なのかもしれない。




【大きなケーキとの闘い】


 不思議で奇妙な5月が通り過ぎ、雨の6月がやって来て天気と同じようにドンヨリとした気分。

 何がイヤって、傘をさすのが面倒。

 なぜ21世紀になっても、雨が降ると傘をさすために片手が塞がるの?

 雨を避ける道具がいまだに、江戸時代から変わらない傘なのが不思議。

 もしかしたら人類はもう進化が止まっているのかもしれない。

 そんなことを考えながら小説の続きを打ち込んでいたら、傘を畳みながら彼女が玄関から帰ってきた。


「なんだかイヤな天気ね、雨が降ったり止んだり。どちらかにして欲しいのだけど」

 彼女らしいことを言いながら濡れた傘を傘立てに押し込み、ホールに入って来ると、片手に持っている大きな紙袋を掲げ「ハイ、お土産」と、ソファの前にあるラウンドテーブルに置く。


「どこかへ行ってきたの?」

「さて、どこでしょう?」

 彼女がテーブルに置いた白い大きな紙袋には、真ん中に煌びやかな丸い印が入っているが、見たことのないマーク。袋から仄かに甘い香りが漂ってくる。

「ケーキ屋さん? それにしては袋が大きいけど」

「ブッブー、ハズレです。エムくんには、まだ縁遠いところ」

 僕には縁遠くても行って来たということは、今の彼女には身近な場所なのか?


「よく行くところ?」

「そうね、最近よく行くわ。スケジュールが入っているし」

 スケジュールが入るから、最近帰りが遅いんだ。

 遅くに帰って来る理由が分かり、それはバイト先の都合だと思うけど、どこへバイトに行っているのだろう?

 甘い香りのするお土産はケーキだと思うけど、ケーキ屋さんではないと?

 さて、どこだ?


「分かりません」

 早々に降参する。叔父さんが居たら「そんなことにも想像力が働かないようなら、小説家は諦めた方がいい」と言われそう。叔父さんが居なくてよかった。


「それではヒントを出します。これから答えを間違えるたびに私の言う事を聞いてもらいます」

 彼女が美少女スマイルを浮かべながら、思いついたように自分都合のゲームを始める。間違えることが前提なの?

 笑顔で言われると断りづらいけど、言っている内容はいつもの通り彼女のペース。


「正解すれば良いことがあるの?」

 彼女は僕の答えがハズレることしか考えていなかったようで、腕組みをして人差し指を顎にあてる。

 考え事をするとき、そのポーズをする人を初めてリアルで見た気がする。

 あれはテレビや映画の中だけの仕草かと思っていたら、実際にそれをやる人が身近にいたとは驚いた。彼女は女優を目指しているのか?


『思いついた!』という心の動きを、目を大きく見開いた表情で表し、口にする。

「エムくんが正解したら、その袋の中のものを思う存分食べることができます」

 それは嬉しいけど、彼女は最初にそれを「お土産」と言ってテーブルに置いたよね? 条件付きのお土産とかあるの。


「では、ヒントを出します『6月』」

 6月? 今月は6月ですが何か? 梅雨だし、雨だし、ジメジメしているし。

 雨のことしか思いつかないけど、6月限定のバイトとかあるのかな?

 雨の日にケーキのお土産? なんだろう? 難しい。

 黙って考え込んでいる僕を見て、彼女がニンマリとする。

「ブッブー、ハイ時間切れ。あとで一つ、私の言う事を聞いてもらいます。次のヒントはこれ! これを見れば、エムくんでも分かるでしょう?」


 彼女が得意げに自分のスマートフォンの画面を僕の目の前に突き出す。

 ディスプレイの中の彼女は後ろ姿で、振り向いたポーズを取っている。髪をアップにしてデコルテと背中を広く見せたオレンジ色のドレスを着用し、ウエストが絞られ裾が大きく広がっている。

 彼女ってスタイルも良いんだなぁ、眼福眼福。

 ディスプレイの中の彼女をじっと見入っていたら、彼女がスマートフォンをサッと引っ込めた。

「何?いつまでもジロジロ見て。とっておきのヒントを出したのだから正解を答えてください」

 彼女のドレス姿に見れて、答えを考えるのを忘れていた。

「えっとー、それウェディングドレスだよね? 花嫁修行? それとも結婚式の予行練習?」

 少し残念だけど、彼女の家柄と美貌を考えたら仕方がない。もしかすると実家が許婚いいなずけを決めているのかもしれない。


「エムくん、何言ってるの? 私はまだ大学に入ったばかりで、文壇デビューもしていないのよ(そう言えばまだ彼女の小説を読んだことがない)。結婚なんていつでも出来るわ。これで二つ言う事を聞いてもらいます」

 なるほど、こうやって少子高齢化が進むのか。


「じゃあ、フォトモデルとか?」

 一瞬、彼女が『ほぉー』という表情をする。

 当たり?

「惜しいなぁ、当たってはいないけどニヤピン賞くらいかな。正解を申し上げます。先月からブライダルモデルを始めました」

 ブライダルモデルとは何ぞ? 花嫁モデル? 僕が不思議な顔をすると、彼女がスマートフォンで『チャットGPT』に『ブライダルモデル』と入力して結果を見せてくれた。


『ブライダルモデルとは、結婚式やウェディングドレスのショーなど、ブライダル関連のイベントに出演するモデルのことを指します。ウェディングドレスやフォーマルドレスを着用し、ランウェイを歩いたり、写真撮影に参加したりします。ブライダル関連のイベントでのプロモーション活動にも携わります。ウェディングドレスの美しさや魅力を引き出すために、ポーズや表情の練習をします。ブライダルモデルになるには、一般的に身長や体型などの基本的な条件が求められます。また着こなしや、ポーズ、表情などのスキルが必要です。プロのブライダルモデルになるには、モデルエージェンシーに登録するなど、プロ意識を持って活動することが重要です』


 なるほど。チャットGPTさん、分かりやすい説明ありがとうございます。

 彼女ならトレーニングをしなくてもブライダルモデルをこなせそう。彼女には日本舞踊の名取りの叔母さんがいて時々習っていたみたいだし、小さな頃からバレエ教室に通っていたそうだから。


「それでプロを目指しているの?」

「まさか、この世界はプロでもこれだけでは食べていけないのよ。テレビやショービジネスの世界も覗いてみたいけど、顔バレしたら実家に連れ戻されるから、ブライダルモデルだったら大丈夫かなと思って応募してみたの。すぐに採用されて基礎的なトレーニングを受けたけど、特に目新しいことはなかったわ」

 なるほど、彼女らしい行動と結果です。友人として誇って良いのかな?


 でもチョット気になる。

「イベントのプロモーション活動に出演したら、顔が広く外に出るのでは?」

「私は式場で行われるブライダルショーに絞っているから大丈夫。結婚予定のカップルさんが観に来るだけだから」

 なるほど、それなら不特定多数の人が来場するわけではないから平気かな。


 彼女のバイトの内容はだいたい分かったけど、お土産のケーキは?

「ブライダルショーでケーキの本物を出したりするの?」

「普段はそんなことまでやらないわ。今日行ったショーの会場で挙式を挙げる人がこだわって、入刀まで観たいと言うから頑張って用意したみたい。今どきにしては珍しく派手な挙式を上げるそうよ」

「それで入刀したケーキを持って帰ったの?」

「そうなの。新婦になる方がエージェンシーの中から私を選んでくれて一日、披露宴シミュレーションのようなショーを務めさせてもらったら、記念にケーキを持って帰るように言われたの。全部は持って帰れなかったけどね」

 それはそうだろう。どこまでが本物でどこからがハリボテなのか分からないけど、ウエディングケーキは大きいからね。フーン、そうなんだと言う相槌を打っていたら、彼女が何かを思い出したかのように美少女スマイルを浮かべ始めた。その表情は好きだけどイヤな予感。


「エムくんは2回答えを間違えました。でも初めてなので罰ゲームは軽いものにしておきます」

 彼女の言うことを聞くのではなかったの? 罰ゲーム確定?

「せっかく頂いたウエディングケーキなので、残してしまうと作ったパティシエが可哀想だし、バチが当たって婚期を逃します。ちなみに今日叔父さんは帰って来ないそうです。帰ってきても叔父さんは甘いものが苦手なので戦力にはなりません。従ってこのケーキはエムくんが完食することになりました。細かいことは問わないので頑張って食べて下さい。このケーキを作ったパティシエのお話によれば賞味期限は今日中だそうです。私は体型管理がモデルエージェンシーとの契約に入っているので食べられません」

 オイオイマジかよ?

 テーブルに置いてある袋から箱に入ったケーキを取り出してみる。

 大きな箱を開けると真っ白なショートクリームたっぷりのウエディングケーキが姿を現した。

 直径が50センチ近く、高さが20センチ以上ありそうだけど、彼女はどうやってこれを持って帰ったのだろう。

「ねっ! ここに入刀した跡があるでしょう。みんなが注目していたから真っ直ぐナイフを下ろすのが大変だったんだから。新郎役の人は体格が立派だったけどナイフを持つ手が震えていたの。仕方ないから、私が『ギュッ』とナイフを握って押さえ付けたわ」

 うん、彼女らしい逸話いつわ。彼女が自分の披露宴で、お披露目すると受けそう。

『ナイフを握り締めて新郎を押さえ付ける新婦おんな


 そんなことを考えていたら、彼女は薄いミントグリーンのコートを脱ぎながら階段で5階へ上がっていく。食事は外で済ませ、シャワーはあとで使うから、それまでは自分の部屋に籠るとのこと。新しい小説のネタを思いついたそうだ

 ホールに残された僕と巨大なホールケーキ。

 そろそろ夕食の時間だけど、今日はケーキと格闘しなければならないようだ。




【不思議な披露宴の予行】


 今年の梅雨は長雨が続き、関東地方でも滅多に青空を見ることはない。

 3階の自分の部屋から外を見ても濡そぼつ雑木林だけなので、吹き抜けのある1階で小説を書くことが多い。

 先日と同じように雨の中、彼女が傘を畳みながら玄関から入ってきた。

 髪に小さな雨粒がいくつも付いている彼女の顔を見てみると、何だか浮かない表情。バイト先で何かあったのだろうか?

「おかえりー、外は雨足が強いの?」

「ええ、結構降ってるわ。クルマで送ってもらったから、あまり濡れなかったけど」

 モデルエージェンシーはクルマの送迎もしてくれるの? 彼女は売れっ子モデル?


 いつもの美少女スマイルは浮かべずに、まとわり付いた雨粒を払わないまま彼女はキッチンへ行き冷蔵庫から牛乳パックを取り出してグラスになみなみと注ぎ飲み始める。一気に半分ほど飲んで一息つき、残りの半分も一気に飲んで大きくため息をつく。

「ふーっ、少し落ち着いたわ」

 何が落ち着いたの?

 彼女はコップにまたミルクを注ぎ、空になった牛乳パックを “trash” に入れる。紙パックだから “garbage” ではなく正解。


 急になぜ横文字?と、思うかもしれないけれど、これは叔父さんが持っているこだわりの一つ。

 普通、台所のゴミ箱って一つだよね。

 合宿所(叔父さんの家)では2つに区別しないと叔父さんに怒られる。生ゴミっぽいものは“garbage”、それ以外のゴミは “trash”缶に入れることが、合宿所のルールになっている。

 ビルが出来た時から外に置いたあるであろう大型の金属製ゴミ用コンテナには一緒に入れてしまうのだけどね。

 叔父さんの不思議ルールの一つ。


 彼女はコップを持ったまま、向かいの一人掛けソファに疲れた様子でゆっくりと腰を下ろす。

「エムくん、聞いてくれる?」

 困った顔をした彼女が、MacBookで小説を書いている僕の顔をじっと見ている。

 彼女がそんな顔をして僕を見るのは珍しく、いつもの美少女スマイルを見たいから喜んで相談に乗ることに。書きかけの原稿をセーブしてMacBook を閉じ、彼女の方に向き直った。


 彼女が深呼吸をしてから今日のバイト、ブライダルモデルのお仕事で不思議な出来事に遭遇したことを話し始めた。

 この前、秋に挙式予定の新婦になる人がブライダルモデルの中から彼女を選び、披露宴のシミュレーションとして新婦役を務め、そのお土産のケーキが僕の罰ゲームになったことの続編らしい。

 シミュレーションの様子を収めたビデオを両家のご両親が見たら、クレームが出たそうだ。彼女が悪いわけではなく、進行や手順やらが気に入らなかったようだ。それでもう一度やり直しをする事になり、今日はリハーサルも兼ねて彼女が全部やるわけではなく、挙式予定のカップルもところどころやってみることになったのだと。

 ただし新婦は代理の人。

 新婦は監査法人に所属する会計士で多忙なため、今日の予行演習には来られなかったらしい。通常であれば6月は顧客企業の決算監査も終わり株主総会を待つだけだが、担当している企業の財務諸表に問題があることが分かり、それが総会通知書を送付したあとなので監査法人のシニアパートナーと顧客企業の担当部長が対応を検討中で、現場でいち担当の新婦はほとんど家に帰れていない。

 仕方なく今回は、新婦の従姉妹いとこが新婦役を演じたらしい。


「何だか大変そうだけど、仕方ないよね」

 そんなに忙しい人が結婚式を迎えられるのだろうか。

「大変なのはそこじゃないの」

「どういうこと?」

「その従姉妹が人ではないの」

 人ではない?


 リハーサルとは言え、犬や猫がバージンロード(Wedding Aisle)を四つ足で歩いたら面白いよね。想像したら笑いそうになり、彼女を見ると真剣な表情のままなので、気持ちを切り替えて聞いてみる。

「先月のあやかしのようなもの? だったら披露宴どころではなくて大騒ぎになるはず」

「それがならないの。誰もその従姉妹の人を何とも思っていないみたい」


 その結婚式場はLGBTだけではなく、あやかしにも門戸を開いている進んだ式場なのだろうか?

 彼女の眼差しが笑っていないので、まっとうな質問をしてみる。

「会場にいる他の誰にも見えないものが、見えてしまうと?」

 ソファを座り直し、ちゃんと彼女の方を向いて聞いてみる。


「そうなの。新郎と新婦代理の従姉妹が披露宴の高砂席についているのを見ると、従姉妹が人ではないの」

 彼女は先月の一件であやかし属性が強くなったのだろうか。

「先月、児童公園で出たり消えたりした黒づくめのあやかしが新婦に変わったとか?」

 叔父さんの説明によると、この世に妖はたくさんいるらしいからね。


「そうじゃないの。新婦の格好をしているのは、キツネなの」




【小説家養成合宿所】


 たぶん、半年前の僕なら、彼女の言うことを全く信じなかったと思う。

 6月の梅雨時にキツネの嫁入り? お話としてはベタ過ぎる。

「それで、お狐さまは何か変なことをしたの?」

 お狐さまが、わざわざ披露宴のリハーサルに出てくるくらいだから、何かあるよね。

「新郎と一緒に式のリハーサルをこなしていたわ」

 なんと、真面目なお狐さま。ブライダル業界への参入を考えているのかも知れない。


「それなら良いのでは? 本番ではホンモノの新婦が出てくるのだから」

「結婚式は神式で赤坂の日枝神社で挙げられるそうよ」

 あそこの神社。お稲荷さんではないよね?

 それなのに、なぜキツネ?


 披露宴のリハーサルにお狐さまが参入した理由について彼女と話をしていたら、ビルの外でクルマの止まる音がして、叔父さんが帰ってきたと思ったら後ろからユリさんも入ってきた。

 叔父さんはともかく何故ユリさんも一緒なの?


「ユリちゃん、久しぶり。そっかー、土曜日だものね。叔父さんのクルマに乗せてもらったの?」

 今まで少しうつむき加減だった彼女の顔が、パァーッと明るくなる。

 ユリさんは彼女のお気に入り。


 今日は土曜日か。大学に入ってから曜日の感覚が薄れている。このまま4年間過ごすと、卒業してから会社勤めをする自信がなくなりそう。やっぱり小説家を目指すしかないのかな? 甘い考えなのは分かっているけど。

 たった3ヶ月で社会性を失いつつある僕と比べて、叔父さんと一緒にホールへ入ってきたユリさんの格好は制服姿で学校帰りに合宿所へ寄ったのか、社会性を全身に纏っている感じがする。


「学校で試験があったのでご無沙汰しています。今日は絶対、合宿所へ行こうと思い、高校から直接こちらに来ようとしたのですが電車の接続が悪くて… 駅からバスも無く仕方なく歩いていたら、叔父さんが見つけてくれて助かりました」

 ユリさんからそう言われ、叔父さんも満更ではない様子。

「見つけるも何も、この道を歩いているのは、合宿所に用事のある人くらいだからな。そう言えば…」

 叔父さんは僕たち3人を見て、何かを思い出したようだ。


「久しぶりに研修生が3人集まったから、講義でもやるか」

 今まで、叔父さんから小説家になるための講義とかあったっけ?

 トラブルがあった時には何か言ってくれたけど、アレって小説を書くときのアドバイスなの?

 僕が訝しげな顔をしていたら、向かいに座っている彼女が挙手をする。

「叔父さんの講義も良いけど、その前にちょっと聞いて欲しいの。叔父さんはオカルト同好会のOBですよね?」

「学生の時からオカルト同好会に所属しているがOBじゃないぞ、仲間もみんなバリバリの現役さ。先月、ジャングルジムからお前のことを助け出しただろう?」

 叔父さんは彼女に恩を着せたいようだ。

 彼女をあやかしから助け出したのは確かだけど、妖退治道具の怪しいピアスで、彼女も僕も大変な目に遭ったのは覚えているのかな?


「ハイハイ失礼しました。それでは現役のオカルト研究家の方へお聞きします。披露宴にお狐さまが現れることってあるの?」

 いきなり『披露宴にお狐さま』を聞かされて、叔父さんとユリさんが『キョトン?』とした顔をするので、彼女はアルバイト先で遭遇した内容を説明した。

 僕は一度聞いた話なのでキッチンへ行き、みんなのコーヒーを入れてホールのテーブルへ運ぶ。

 彼女の説明がひと段落して、叔父さんが口を開く。

「お狐さまって神様の使いだろう? 人では無いとはいえ神様は専門外だからなぁ」

 叔父さんが張り切って関わってくるのかと思ったら意外な反応。神様も怪も日頃、この世に居ないと言う意味では同じだと思うけど。

 今回、オカルト同好会から前回のピアスみたいなアイテム提供は期待薄。


「でも、そんなこと、あるかも知れません」

 彼女が少しガッカリしていると、意外な伏兵ユリさんが口を挟む。

 そういえばユリさんの通う高校は、神道学部のある大学の附属高校。

 その高校の偏差値は高いから、最初からエスカレーターで大学進学を希望する生徒は少ないらしい。

 

「その方達が執り行う結婚式と披露宴の場所は有名な所ですよね?」

「ええ、ホテルの挙式パックもある有名なところ。日枝神社で挙式を上げて、ホテルがウェディングを執り行うの。あのカップルは挙式パックを選ばずに豪勢にやるみたいだから、ホテルがオペレーションをしても披露宴はホテル内ではなくて別の場所で行うと聞いているわ」

 彼女の話を聞いて、ユリさんが考え込む。神社に何か関係あるのだろうか?


 僕たち3人がユリさんを見ていると、学生カバンからノートを取り出してページをめくり、自分でうなずいてから話し始める。

『「日枝神社」の神使は「神猿まさる」とよばれる猿だとされています。御祭神である大山咋神おおやまくいのかみが山の神であることから、山の守り神とされる猿が使いとして重宝されたのだとか。そのため本殿脇には狛犬ではなく、夫婦の「神猿像(狛猿)」が置かれているんです。この“さる”という読みから転じて、「魔がる」「まさる」として魔除けや勝運の信仰を集めてきました。また、音読みが「猿=えん」に通じることから商売や恋愛のご縁を運んでくれるとも考えられています』

 ユリさんは一気に読んでノートを閉じ、一息つく。


 3人が不思議な顔をしてユリさんを見ていると、本人は喋りすぎたと思ったのか慌てて、恐縮する。

「今書いている小説の舞台が神社なので、神道学部に進学した先輩からいろいろと教えて頂いています」

 なるほど、真面目なユリさんらしい。小説を書くときはちゃんと物語の背景を調べてから書き始めるタイプのようだ。


「それで披露宴会場の近くに、稲荷神社はありませんか?」

 ユリさんが僕たちに聞いてくる。

 ふと見ると叔父さんはうたた寝を始めている。ユリさんの説明途中で寝てしまったようだ。


 彼女がメモを取り出して、そのカップルの披露宴予定会場の建物を確認し、スマートフォンで調べてみると遠くないところに稲荷神社がある。日枝神社と比べるとこぢんまりしている。


「あるけど、稲荷神社が近くにあると何かマズイの?」

 分からないから聞いてみたのだが、彼女がすぐに突っ込んでくる。

「エムくん、鈍いなぁ。狐と猿よ? 犬と猿以上に仲が悪いはずよ。お猿さんのいる神社で挙式を挙げてその雰囲気を纏いながら、稲荷神社の近くで披露宴を挙げたら、お狐さまも癇にさわると思わない?」

 なるほど犬猿ならぬ狐猿の仲?


「稲荷神社で挙式させるために、その従姉妹に憑依したのではないのか?」

 寝ていたと思っていた叔父さんが、急に喋り始めるからみんな驚く。

 狸寝入りをしていたのかも知れない。


「でも、今日のお狐さまは真面目にリハーサルをやっていたのよ」

 現場にいた彼女が言うのだから間違いない。

 やはり、お狐さまは稲荷神社総出で、ブライダルビジネスを始めようとしているのではないか。


「今日のリハーサルではそうだったかも知れないが、そんなに簡単に憑依出来るのなら本番で披露宴を台無しにするのも簡単だろう?」

 さすがキツネ、狡賢い。狸寝入りをしていた叔父さんの想像だけど。

 彼女のバイト先の事なので、合宿所のメンバーで何とか出来ないか(出来ないけど)を話していたら、彼女のスマートフォンにコールが入ってきた。

 彼女はソファを立ちキッチンへ行き、話し始める。


「ハイ、そうなんですか? それで…、また私がですか? …ハイ分かりました。来週の土曜日ですね? ところで友人が… ハイそうです。ありがとうございます。それでは失礼します」

 彼女が微妙な顔をしてホールに戻ってくる。

「またリハーサルをやるそうよ。今度は両家のご両親も出席するそうよ」


 彼女がかいつまんで説明する電話の内容は、今日のリハーサルの様子をネット中継で見ていた両家、特に新婦側から不満が出たらしい。映像に変なものが写っていると。一千万円以上掛かる挙式費用は支払い済みで、メンツもあるので全体を取り仕切るホテル側が再度両家に集まってもらい大リハーサルをやることとなったらしい。

 今度のリハーサルは新郎新婦とも双方の両親と一緒に披露宴の様子を見るようで、新婦役には新婦になる会計士がお気に入りの彼女に指名があり、その依頼がたった今、来たところである。


「それで、今の電話で受けることにしたのかな?」

 叔父さんが念押しする。

「今日、従姉妹さんの憑依を見たからどうしようかと思ったけど、依頼された両家は知る人ぞ知る名家だから、断ったらエージェンシーの面目上、ブライダルモデルを辞めざるを得ないわ。このお仕事は始めたばかりで面白いから続けたいの。友人もリハーサルを見てみたいとお願いしたらOKが出たから、来週はお狐さまと勝負するためにみんなで式場へ乗り込むわ」


 いつの間にか僕も、リハーサル会場へ出向くことになったようだ。

「俺は金曜日から海外出張だから無理だな。エムくん、よろしく頼むよ」

 叔父さんによろしくと言われても、どうしろと? 神さま相手に何が出来る?

 急に不安になって来た。今まで彼女といろいろなトラブルに遭ってきたけど、神さま相手は未経験。神仏相手に事を起こしたくないなぁ。


 僕の不安げな表情を見たからか(たぶん気にしていないとは思うけど)、ユリさんが寄りかかっていたソファを座り直し背筋を伸ばして彼女に聞く。

「所長(所長ってだれ?…叔父さんのこと?)が来られないとサポートがエムさんと私だけになるので、一人連れてきて良いでしょうか?」

 ユリさんの友達? 女子高生を増やすと、お狐さまに勝てるの?

「さっき、話をした高校の先輩で神道学部に進学したレイさんは神主になるために修行中ですが(大学で修行するの?)、実家が代々神主で、高校の頃から歩くパワースポットと言われている先輩です。それに好奇心が人一倍強くて今の話をしたら、必ず来てくれると思います」


「やっぱり、ユリちゃんがいてくれて良かったわ。これで安心してリハーサルに臨めます。安心したらお腹が空いちゃった。来週、叔父さんは来てくれないから、今晩は何かご馳走して下さい」

 急に美少女スマイル満開の彼女。

 よほど、お狐さまが不安だったらしい。

「そうだな。じゃあ寿司でも取るか」

 今日の叔父さんは太っ腹。

 金曜日から海外出張と言っていたから、出版会社の経営が順調なのかも知れない。


 そのあと、ユリさんは先輩のレイさんに今までの状況を電話で説明し、お狐さま対策の話をしていると、大きな鉢盛のお寿司が到着し彼女が作ってくれたお吸い物と一緒にお寿司を堪能した。叔父さんはいつものように缶ビールを飲み始め、棚からワインボトルを持ってきたけど、またコルクスクリューが見つからず、コルクを無理矢理押し込んでいた。そろそろコルクスクリューを常備しておいた方が良いと思うけど。


 少し酔ってきた叔父さんが、ユリさんに今書いている小説の中身を聞いている。

 ユリさんは少し恥ずかしそうに、カバンからノートを取り出して説明を始めた。


 物語の舞台は神様と妖と人間が共存する古代と、それに影響を受け始める21世紀社会。主人公たちが両方の世界を行き来しているうちにトラブルに遭い、それを解決していく物語。

 ユリさんは今、お狐さまに憑依された女子大生のエピソードを書いているところ。だから稲荷神社のことに詳しかったんだ。登場人物の設定やストーリーの説明をするうちに、憑依された女子大生が絶体絶命になるところまで話をしたものだから、それを聞いていた彼女が青ざめる。

「ユリちゃん、もう分かった! それ以上の説明はいらないから!」と、説明をやめさせた。

 今日リハーサルで見たお狐さまがよほど怖かったようだ。


 アルコールが回ってきた叔父さんはいい気分。

「ユリちゃんの物語、筋がいいね。登場人物の個性をもう少し際立てて、結末まで二捻りくらいさせれば(二捻りも、どうやるんだよ)読者が食い付くよ。異世界転生モノも最近は食傷気味だけど、今さら現実世界の物語を書いても読者は付いてこないし、そのあとメディアミックスに展開しようとしても地味になるからなぁ」

 叔父さんが久しぶりに編集長目線でアドバイスをする。僕がそんなもんかなぁと思っていたら、ユリさんと彼女は真面目にメモを取っている。『継続は力なり』を久しぶりに思い出した。

 その日は珍しく、本来の小説家養成合宿所の雰囲気で夜遅くまでプロットの立て方、キャラクターの設定、世界観の表現方法など小説家を目指す僕たちには為になるヒントをもらい、みんなで話が出来て有意義な時間が過ごすことができたんだ。

 ココ(合宿所)に来てから3ヶ月経とうとしているけど、初めてのことだと思う。




【突然の代役】


 それから披露宴の本番リハーサル当日までは何事もなく、前期試験に代わるレポートを書いたり、新しい小説のドラフトを考えたりしているうちにリハーサルの土曜日を迎えた。その間、彼女は相変わらず朝早くから出掛けていたが、夕方は早く戻って来て5階の部屋に籠もっていた。

 

 土曜日の朝、アラーム無しで目を覚まし、ホールへ降りていくと彼女にしては地味目な白いシャツとグレーのスカート、ジャケットの上下を着て、エージェンシーから配布された書類を読んでいた。式場での着替えや新婦になる方に会ったときのことを考えているのかも知れない。

「エムくん、おはよー。(おはようございます)朝食はテーブルの上にあります。あと1時間経ったら出発するから準備しておいてね」

 まだ朝の8時ですが、そんなに早く出掛けるの?と思いつつ、彼女にはリハーサル前の着付けも必要なことを思い出し、そそくさとテーブルに着き朝食を食べ始める。


 テーブルの上には、おにぎりと卵焼き、御味御汁。

 今日も美味しいけど、イベント毎に(最初が銀座、次が骨董通り、そして今日)同じメニューが繰り返されるのには疑問が沸く。

 彼女にとってこの3点セットは何か意味が(勝負の日とかが)あるのかも知れない。今度聞いていみよう。

 朝食を食べ終わり片付けをしていると、彼女が「そうかー、そうなるのか」と言いながら書類を持って階段を上って行く。

 お狐さまのことが何か分かったのだろうか?


 彼女の言ったとおり、僕たちは1時間後に合宿所を出発した。

 ユリさんと先輩のレイさんとは、式場の最寄り駅で集合する予定だ。

 バスと電車を乗り継ぎ最寄り駅に着くと、ユリさんとその先輩が待っていた。

 ユリさんの横には初めて会うレイさんという背の高い女性が立っている。

「レイです。よろしくお願いします」

 レイさんが透き通った声で挨拶をするので、彼女と僕も挨拶を返す。

 レイさんは身長が170センチを越えるスラリとした体格で、とにかく肌の色が白い。お面を被っているように見える。神主を目指しているから髪の毛は染めていないが、切れ長の目のメイクは濃い。

 見た目、大人びていて睨まれると怖そうだが、聞いてみると僕たちと同い年。

 僕が知らない修行を積んでいるのかも知れない。


 何度か式場に通っている彼女が先頭に立ち、会場へ歩いていく。

 遠くからでも目立つ白亜の建物だけど、ニュースやネットでは見たことはない。

 入口に係の人が立っており、彼女が挨拶をして僕たち全員の名前を記帳簿に書き込み、4人分のパスカードを受け取って建物の中へ入っていく。

 結婚披露宴を行う会場にしてはセキュリティが厳しいが、普段は何に使っている建物なのだろう。

 建物1階のロビーでユリさんたち2人と別れ、彼女と僕はスタッフエリアへ進んでいく。

 なぜ僕もスタッフエリアへ行くのかって? 昨日彼女から急なお願いをされたんだ。


 前の晩、シャワーを浴びてから寝ようと思い3階から階段を降りたときのこと。

 叔父さんは海外出張に出掛けており、彼女がホールのソファで電話をしていたんだ。

「ハイ、そういうことでよろしいでしょうか? ハイ、伝えておきますのでお任せ下さい。よろしくお願いします」

 通話が終わったようなので、ホールに降りると彼女が僕の方を向き「ちょうど良かったわ。今、エムくんに話をしようと思っていたの」と、美少女スマイルを浮かべる。イヤな予感。

 これからシャワーを浴びて寝ようと思っていたので、面倒な話は聞きたくないところ。

「えっとー、なに? 込み入った話?」

「全然、全く。一言で済みます。エムくんには明日、新郎役を務めてもらいます」

 どういうこと? なんで僕が?

 僕がハテナ顔をしていると、向かいのソファに座るよう指し示し説明を始めた。

 彼女が大きなケーキを持ち帰った日に新郎役を務めた男性モデルが、今回も新郎役を務める予定が体調不良で出られなくなったらしい。急な話でエージェンシーから彼女に、誰か代わりが出来そうな人がいないかと訪ねられ、僕に白羽の矢が当たったらしい。

 話によると男性モデルの条件にとりあえず僕は収まるとのこと。

 モデルの条件は(1) 身長175~185cm (2) 髪の毛が有り、多汗症や貧血で無いこと(刺青不可)(3) 一般的社会人としての身だしなみやマナーが身についている (4) 年齢23歳以上37歳以下、等々条件があるようだ。

 年齢が足りないと思うけど、彼女によると僕は老け顔だから大丈夫とのこと。僕はそんなに老けて見えるの?

 披露宴の段取りを聞くと新郎役がやることはあまりないらしい。

「まあ、それなら」とこの時、安請け合いしたのが拙かったのかも知れない。


 スタッフエリアへ行くとその先はモデルエージェンシーの女性用と男性用の控室があり、彼女が「あとでねー」と手を振って控室に入って行った。

 僕が男性用控室に入ると着付けとメイキャップスタッフが控えており、言われるがママにしていると新郎が出来上がった。衣装は薄いグレーのタキシード。

 主役は新婦なので、あまり目立たない服装が良いのかも知れない。

 リハーサルが始まるまで時間があり、1階へ降りていくとユリさんとレイさんがソファに座り、神妙な顔をして打合せをしていた。

 近づく僕に気が付いたユリさんが、声を掛けてくる。

「ボーイさん、おみず下さい」

 僕が『ハァ?』という顔をすると、レイさんが笑い出す。

「エムさん、ごめんなさい。その服が似合ってて、思わず口にしてしまいました」

 ユリさんには着用したばかりのタキシードがボーイ姿に見えるらしい。

 森村誠一はホテルマンをやりながら小説家を目指したので、考えても良いのかも知れない。勤務時間が厳しそうだけど。


 レイさんに気になったことを聞いてみる。

「どうでしょう? この建物には変なモノが居そうですか?」

 僕の質問にレイさんは何も知らない子供に噛んで含めるように教えてくれる。

「本やTVで、霊的な話が出てくると『ココに居そう』とか『何処かへ行ってしまった』とかもっともらしい事を言うけど、そんなことはあり得ません。少し考えてみれば分かるけど霊的なモノは物質ではないでしょう?(僕「言われてみればそうです」)どこかに現れるとか消えるとかはないの。精神的なモノがそこに居る人たちに影響を及ぼすかどうかなの。今のところ、この建物の中には霊的なモノから影響を受けている人はいないわ」

 なるほどー、良く分かりました。

 そのあともレイさんからその方面のレクチャーを受けていたら、着付けをしてくれたスタッフが僕を呼びにくる。

 披露宴の大リハーサルが始まるようだ。

 ユリさんとレイさんは陰から見ているとのことで、僕は式場へ向かうことにした。




【披露宴バトル】


 スタッフについて行くとそこは式場の入場口、彼女は付き添いの人が衣装の裾を直す中、パールホワイトのウェディングドレスを身に纏っている。

 僕が来たのに気がつき、彼女が「どう?」と緊張した微笑みで聞いてくる。

 見取れてしまい「綺麗だよ」と、思わず口を衝いて出てくる。自分で言っておいて『これだと本当の新郎新婦だよ』と自己ツッコミをする。

「そんなこと言っても、何も出ませんからね」と、いつもの美少女スマイルを浮かべる。緊張が少し解れたのかもしれない。


 進行係の方から披露宴の開始が告げられると、扉の隙間から漏れ聞こえる会場に流れ始めた曲は” Marry You/Bruno Mars.”

 入場口が『バンッ』と開き進行係の方から促され、彼女が僕の腕に手を掛け披露宴会場に入場すると拍手が湧く。拍手の多くは動員されているスタッフの方々。

 僕たちが座る高砂席までのルートは、照明で指示されているので分かりやすい。

 入場口からはるか遠くに僕たちの所定位置となる高砂席が、豪華な花飾りと共にセットされている。

 粗相をせずに(途中で歩みが早くなったらしく、彼女から腕をうしろに引っ張られたけど)高砂席に着くと、両家の方々が新郎新婦共々高砂席に近いテーブルに座っている。

 本番では一番うしろの席だから、今日は特等席。


 リハーサルには実際の招待客を呼んでいないので、ホテル側が集めたダミーの出席者を会場内に配置して披露宴が進行する。TVやビデオで見たことのあるテンプレートに従った披露宴の進行。特に問題は無さそう。

 来賓挨拶や祝辞も形だけでホテルマンが行い、すぐにお色直しの時間になった。

 僕のタキシード姿は変わらないけど、彼女と一緒に会場を退出する。

 一応、僕たちが主役だけど、新郎新婦ってこんなに暇なのかな?

 しばらくするとお色直しを終えた彼女が、今度はロイヤルブルーのウェディングドレスを纏って入場口に着き、窓際でボーッとしていた僕は慌てて隣に着く。

 彼女には派手目で綺麗な服が良く似合う。新郎役の特権で彼女の姿を上から下までよく見てみる。今日は彼女から文句を言われないはず。

 すると… アレッ! このイヤリングは?

 最初はドレスに合わせて大ぶりのパールピアスをしていて、ドレスを変えてピアスも変えたのは分かるけど、そのピアスは先月騒動を起こした『呪いのピアス』では? 天色あまいろに光る石のついたピアスがドレスに映えているから装いとしてはおかしくないけど…


 彼女にピアスのことを聞こうとしたら、入場口が開き新郎新婦の入場行進が始まった。あとで聞いてみよう。

 そのあとも祝電披露や作り物の思い出ビデオが流されたりして、つつがなく披露宴が進み、クライマックスのケーキ入刀。

 運ばれくるケーキが大きい。リハーサルなのに全部ケーキで出来ている。

 隣に座る彼女の様子がおかしい、少し身体が揺らいでいる。早着替えをしたりして疲れたのかな。

 足元に何かあたるので下を見てみると、大きな金色の尻尾。

 彼女の顔をこっそり覗き込むといつもの美少女スマイルではなく、ニタリとしたキツネ顔。高砂席から会場にいる人たちを見ると誰も不思議そうな顔をしていない。


 司会に促されたので彼女と席を立ち、ケーキの前へ移動する。

 両家が見守る中、二人でナイフを持つと狐に憑依された彼女がナイフを振り上げようとするのを、僕は他の人から見えないように両手でナイフを持って抑えつける。

 狐に憑依された彼女は、負けじとナイフを振り上げようとして、腕だけではなく身体も震え始めた。

「新郎新婦の初めての共同作業なので、お二人は慎重なご様子です」

 司会者が微妙なフォローをする。

お狐さまに憑依された彼女と僕が、チカラ比べをしているだけなのだが。


 しばらく膠着状態が続くと呪いのピアスがキラキラと光始め、鼻の尖ったキツネ顔だった彼女の顔がいつもの美少女スマイルに戻っていき、ナイフに入っていたチカラがフッと抜け、ナイフがスッとウエディングケーキに入り、大きな効果音と会場からは拍手が湧き上がる。


「助かったわ」

ホッとした表情をする彼女の視線の先には、離れたテーブルにいるユリさんとレイさんがVサイン。何かやっていたんだな。

 披露宴はそのあと淡々と進み、僕たちは入口に立ち出席者のお見送り。

 今日は本番で見送る方の御両家の両親と新郎新婦も見送った。

「ご苦労さん。今回は満足したよ」

 今までクレームを入れていた新婦側の父親からも労いの言葉を頂き、ホッとして彼らのうしろ姿を見送っていると目の前の景色が薄れていった。





【お祓い】


 アレッ、神社にいるのかな?

「祓い給い清め給え。神ながら守り給い幸い給え(はらいたまいきよめたまえ。かむながらまもりたまいさきわいたまえ)」

 唱和する声が聞こえてくる。

 重い瞼をなんとか開けると目の前には、彼女とユリさん、レイさんが僕の顔を覗きこんでいた。

「エムくん!  大丈夫? 私のことが分かる?」

 披露宴でお色直しをしたロイヤルブルーのウェディングドレス姿のままの彼女が、必死な表情で呼びかけてくる。

「うん、きれいな花嫁さん」

 頭がぼんやりし、目の前の彼女を見たまま口にする。


「レイさん、エムくんはまだお狐さまに取り憑かれているのかもしれません。何か強い祈祷が、ないものかしら」

 ようやく周りの景色に目の焦点が合ってきた。

 見たところここは小さな控え室で、僕は壁際のベッドに寝かされており、身体の上には何本ものさかきが置かれている。


「今のエムさんの発言は、目の前の花嫁姿を見たからだと思いますけど」

 隣に立つユリさんが、ニマニマしながら彼女の脇をつつく。

「この建物に先ほどまで感じていた、お狐さまのチカラが感じられません。大丈夫だと思います」

 片手に大幣おおぬさ(お祓い棒)を持つレイさんがキッパリと言い放つ。

 披露宴会場で出席者のお見送りをしてからの記憶がない。


「そうなの? よかったぁ。エムくんがお狐さまに取り憑かれたまま、もう戻って来られないのかと思ったわ」

 ホッとする彼女の顔は、目元に描かれていたブライダルメイクが落ちて拭ったあとのように見えるのは気のせいかな?


 ようやく意識がまともに戻って来ると、事の顛末をレイさんが説明してくれた。

 レイさんは今週、リハーサル会場のこの建物と近くの神社を歩き回り、神様の様子を確認したらしい。何を確認したのだろう?

 彼女の説明によれば、変な神様は居ないものの、近くの大きな再開発で神様的な自然バランスが崩れている場所。

 世界的大運動会開催のために、まだ使える大運動場を取り壊して、大掛かりな新しい大運動場を作ったからかも知れない。

 そんなときに大きな神社で挙式を挙げ、ここで披露宴を執り行うカップルがいることが分かり(神様は何でもお見通し)、お狐さまにちょっかいを出させたのがことの発端。

 ちょっかいを出しても何回もやるので(今回でリハーサルは3回目)、使いのお狐さまも図に乗ったのかも知れない。

 レイさんは彼女が次のお狐さまのターゲットになることを危惧し、それを伝えると彼女が叔父さんに相談して呪いのピアスを使うことを思いついたらしい。あのピアスは『念』を入れる容れ物として作られており、レイさんはピアスを由緒ある神社へ持って行き神様が鎮まる祈祷を上げた後、披露宴で彼女がピアスを付けられるように準備をしていたそうだ。

 予想どおり、お狐さまが彼女に憑依したが、ピアスの効果で彼女は元に戻り『万事解決』と思ったら、披露宴が終わってからお狐さまが僕に憑依してきたのは想定外の出来事。

 倒れた僕に気が付いたホテル関係者が119番を呼ぼうとしたのを何とか抑え、この部屋に運び込み祈祷をして、ようやく僕の憑依が取れたらしい。


「それで、もう大丈夫なの?」

 憑依された身としては今後のことが心配。

「神様の使いですから。悪霊とは違い、祟ったりしません」

 神主になるレイさんが言うと説得力がある。

 安心したら身体が楽になってきた。神様付きがなくなりその分、身体が軽くなったのかも知れない。

 僕の上に置いてあった榊を片付けていると、着付けスタッフの方が扉を少し開けて様子を伺う。

 大丈夫なことを告げて彼女と僕は着替え室へ行き、自分の服に着替えて1階に降りていくと、ユリさんとレイさんは玄関から外に出て伸びをするように空を眺めていた。

 彼女と僕も外へ出てみると、午前中に空を覆っていたネズミ色の雲は姿を消し、白い入道雲と眩しい太陽が午後の遅い時間の気温を上げている。

「考えたら、今日は朝食を食べたきりよ。目の前にあんなにご馳走があったのに」

 それは僕も同じこと。一段高い高砂席で食事は食べづらい。

「今日はユリちゃんとレイさんにお世話になったから、ご馳走するわ。叔父さんから、もしもの時のお金も預かっているし」

 叔父さんもたまには気の利いたことをしてくれる。

「僕もお腹が空いたから賛成だけど、どこへ行く?」

 赤坂近くのお店は行ったことがないから分からない。

「お金は大事にしたいから『煉獄亭』。あそこなら叔父さんのツケが効くから出世払いよ」

 何の出世払いなのかは棚上げにし、タダで飲み食い出来ることに反対する人はおらず、僕たち4人は初夏を感じさせる夕陽を背に浴びながら、青山通りを赤坂見附駅に向けて歩き始めた。


 歩道に落ちる彼女の影に、尻尾が見えたのは気のせいだったのだろうか?



(ジューンブライダル:了)

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