終わりかけた世界のその口へ、一息つけるあたたかさを

みたらし団子

第1話 食べる決断が出来て偉い!

「ゔぁ〜!」

俺は、ここ一時間半の間、ずっと背負っていたバカ重いリュックを、穴の開きそうなオンボロ畳に、「穴よ、開くなら開いちまえ!」と言わんばかりに投げ捨てる。


鈍い重い音が響く。…床は抜けなかった。


「もうダメだ……もうヤダ……もう限界だ……」

靴を脱ぐ気力もなく、かと言って、靴で部屋に上がり込もうとも思えず、そのままドアの前で倒れ込む。


さながら、猫のごめん寝、いや、おっさんのごめん寝はただの土下座だった。


そして、勢いよく、床にへたり込んだので大変、近所迷惑。鈍い重い音がまた深夜のオンボロアパートに響く。


「……」


しばらくすると、少し落ち着くと共に、自分は何をしているのだろうという若干の悟りを開き始め、徐に靴を脱いで、玄関に置く。


しかし、靴を脱ぎ終わると、今度は急に涙が込み上げてきて、冷蔵庫から安物のカップ酒を乱暴に取り出すと、畳にどかんと腰を下ろし、冷たい容器を手に、ちびちびと口をつけ始める。


――今日は、酒の回りがいやに早い。


「……うっ……バカ、バカ!バーカ、バーカ!

みんなで寄っれらかって、あんらに仕事…押し付け…やがって……!俺が一体、何したってんら…よぉっ……!」


床に拳を叩きつける。痛い。畳のささくれたところが自分の手にめり込む。


「さっきっから、うるせぇぞ!何時だと思ってんだ、この馬鹿野郎!」

住み始めて一年と少し、何度、顔を合わせども、挨拶すら返された事のないアパートの隣人の第一声は、怒鳴り声だった。


なんだか、世界の全てに拒絶されているような、そんな気がしてきて、周りの空気が酷く重く感じる。一人だけ、Gが強くなったような。


俺は、そのGに反抗する気も起きず、むざむざと負け、そのまま地面に横向きのまま倒れ込む。


「はぁ…」

外気で、すっかり冷たくなった手足を温めるように、ぎゅっと足を抱え込み、目を瞑る。


もうヤダ。ダメだ。俺なんて。


「……」

涙が頬を伝い、汚い畳に染み込む。


ぎゅるぐるる……


「?」

――それは、俺の腹の音だった。


こんなに寒くて、寒くて、死んでしまいそうな、涙が頬を伝うような夜でも腹は減る。でも、動きたくない。物を口に入れたくない。


腹は俺の気持ちとは裏腹に依然、「君はお腹が空いている、何か食べなさい」と警告を鳴らし続ける。


「……」

ぎゅぐるる


「……」

ぎゅぐるるるる


「………はぁ…」

鬱陶しく、かつ、粘り強く鳴る腹の音を抑える為にも、一息置くと、ぐっと太ももに力を入れて、膝に冷たくなった手を置き、グンと立ち上がる。


と、隙間だらけの、この家に冷たい冬の夜風が入り込み、涙で濡れた頬をくすぐる。寒い。


「はぁ……」

凍える体を手で擦って、やかんを取り出し、カルキの匂いがする水道水を蛇口から直で注ぎ込む。


「…うっし」

このくらいか、と蛇口を閉め、疲れはてた腕にはあまりに重いやかんを、ぐっと力を入れ、コンロの上にゴトンと載せる。


俺は、悴んだ指でコンロのつまみに触れ、カチッと右に捻ると、チッチッチッチと音を鳴らしながら、火が灯った。


沸騰するまでの間、コンロの前にかがみ込んでコンロの揺れる火を眺める。


ここからの景色は、心地よいと共になんだか自分の子供の頃を思い出す。


「おかーさん、ご飯!」

「はいはい、どーぞ!」

…うちは母子家庭で貧しかったが、いつも母の作ったご飯だった。今思うと、フルで働き、俺の飯を作って、洗濯、掃除……。母はいつ寝ていたのだろう。


そんな事をぼやーっと思い出すと、俺を現実に引き戻す音がぴーっと湯気を、吹き出しながら、鳴り響く。


俺は、右に傾いたコンロのつまみを左に戻し、火を止めた。


そして、先程、乱暴に投げ捨てたリュックを漁り、飲みかけの麦茶のペットボトルと戸棚から、日本の国民的カップ麺『赤いきつね』を取り出し、残地物だった木の古い机にトンっと静かに置く。


そして、まだまだ湯気を吹き出している重いやかんをもう一度、腕と手に、ぐっと力を込め、持ち上げ、机へ移動。


取手の黒のプラスチックは、ほんのりと温かい。やかんの金属のフォルムから漏れ出る仄かな温かさに悴んだ手をかざす。


「…あったか…」

ぐるるる


…先ほどから、腹が減ったと主張の激しい腹のために、気持ち急ぎめにカップ麺の蓋を、ペリペリと剥がし、プラスチックの皿に水が中で揺れる重いやかんを持ち上げて熱湯が辺りに跳ねないよう、ゆっくりと注ぎ入れる。


とぽぽぽぽ。

その瞬間、湯気と美味い匂いが一気にふわっと立ち上がる。


「……!」

先程まで散々、口に物を入れたくないと駄々をこねていた俺は、いつの間に、どこかへ走り去り、打って変わって、ねぇねぇ、早く食べたい、早く食べよう?と急かしてくる。


そんな変わり身の早い心と、「だから言ったろ!」と少し自慢げに腹の音を鳴らし続ける体にちょっと待ってろと、戸棚まで行くと、買った時に付けてもらえるフォークを貯めているビニール袋から、フォークを一つ取り出し、机へと戻る。


……あと、10秒。

「……」


10秒がやけに長く感じる。

……1……0。


「ふぅ……」

フォークを包む透明の袋からパンっと突き出し、取り出す。


フォークの準備、よし。飲み物も置いた。

そしたら、手を合わせて、

「いただきます。」


フォークを皿に突っ込み、うどんを掬い上げると、一緒に湯気がふわっと立つ。


それは冷たくなった顔にヒット。冷たく、すっかり赤くなっている頬にあたたかさを感じる。


そして、掬い上げたうどんにふーっと息を吹きかけ、十分に冷まし、口に入れ……、


つるっ。

「あ。」

フォークからうどんが滑り落ち、スープの表面をぱしゃっと叩きつける。


その飛沫も顔面にヒット。


「あっつ!」

手で跳ねた場所を擦り、熱さを飛ばす。そして、もう一度、うどんをフォークで掬い上げる。


今度こそ。

「捕まえた」


また湯気がふわっと立つ麺にふーっと息を吹きかけ、冷ます。そして、口に入れる。まだ、少し熱いうどんが口の中をじんわりと温める。口に広がる温かさと、落ち着く優しいスープの匂い。


そして、お揚げ。フォークでお揚げをぎゅっと汁の中に沈め、押しつぶす。汁はキラキラと光り、油の旨みのような斑点模様がスープに広がっていく。


そして、ふんだんにスープを吸い込んだであろうお揚げをスープから引き上げると、予想を遥かに上回る魅力に、冷ます時間も勿体無く感じ、そのままの勢いで熱々を噛み締める。


「あっつ……!」

流石の熱さに、品がないが、口からお揚げを思わず出す。


「……」

口には舌のヒリヒリと口に少し残るお揚げの甘さ。熱くてもそれをもっともっと味わいたくて、今度は、少し息で冷ましてから噛み締める。


じゅわっ。

「美味い……」

思わず、笑みが溢れる。


そうして、熱さと甘さが入り混じった口を、お茶を口に含み、一旦リセット。


こうする事でまた改めて、お揚げとうどん、スープの味が楽しめるようになるからだ。


そして、後は一心に、全て平らげるまで食い進める。お茶を飲む。麺とお揚げ。お茶。麺とお揚げ。お茶。


……いつの間にか、麺とお揚げを食べ尽くし、皿には黄金色のスープが残る。


「……」

プラスチックの容器に触れるとまだ、あたたかい。それなら、と。


容器に手を添え、口をつけると容器を持ち上げ、ぐっと、スープを喉に流し込む。


喉をあたたかい甘いお揚げの油が溶け出したスープが通る。最後の一口をこくっと飲むと、容器は空になった。


「ふーっ……」

「……腹一杯」


――『こら!食べ終わったら、ちゃんとご挨拶しなきゃでしょ!』


独り言ちっていると、突然、よく言っていた母の言葉を思い出す。

「……」


「ご馳走様でした」

飲み込んだスープが胃に届いたのか、じんわりと優しい温かさが広がる。そして、温かさは胃から身体中へ。


「……」

畳へ、パタンと仰向けで倒れ込む。目の上に腕を置き、眩しい光を遮る。


不思議と口角は上がっている。

そして、静かに呟いた。







「明日も頑張ろ」

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