もう一人の鬼神
「うるさい、うるさい。言うな。黙れ」
「いくらでも言うてやる。お主は女を力でしか支配できぬ恥知らずの愚か者じゃ。それも自分の力ではない。先祖から受け継いだ物でしか自分を飾ることができぬ。最低の屑じゃ」
「黙れ。式神崩れの半端者め。それ以上言うと、本当に許さんぞ。くうっ、そうだ。まだ奴がいる。後悔するなよ。俺にも力があることを教えてやる」
「そんなものがあるなら、見せてみるがよい。抵抗できぬ
「よくも言ったな。もう我慢がならん」
二条の声は震えていた。小室の手を振り払い、よろめきながら立ち上がる。
「小室の顔を立てて許してやろうかとも思ったが、もう辞めだ。
二条は自分が乗ってきた車に向かって叫んだ。
「おい、新入り。何をしている。聞いているんだろう。この無礼な女の式神を殺せ。命令だ。早くしろ」
二条に呼応して、ドアが内側から開いた。中からゆっくりと、スーツを着た男が出てくる。
鬼神だ。神三郎は一瞬で判断した。
人の姿をしているが、雰囲気でわかる。筋肉質の体に短く整えた黒髪。背は神三郎を優に超える。
そして何よりも威圧感がある。さっき倒した鬼神や、青い式神の比ではない。厳しい修行をして手に入れた感覚が教えてくれている。強い。こいつは間違いなく強い。
「本当にいいのかい、二条の旦那。勿体無かったって、後で愚痴られても困るぜ」
「構わん。早く殺せ。それと風天、そいつを押さえておけ。いくらキサマが朽ちかけたゴミでも、その程度ならやれるだろう。ご初代様に恥をかかせたくなかったら、少しは役に立ってみせろ」
女の式神がまた、動いた。
紫苑の首を狙い、当然のように止められる。ただし、これで紫苑の右手は封じられた。この式神は決して弱くはない。頭を押さえた手が少しでも離れれば、紫苑は間違いなく殺される。
「すみませぬ」
青い式神が漏らした声が聞こえた。
「よい。式神が主人の命令に抵抗できぬことくらい、妾も心得ておる。それとこやつは、見知った顔じゃ。神三郎様、済まぬな。妾も、ここまでかもしれぬ」
「逃げろ。命令だ」
「神三郎様を捨て置いて、逃げられるものか。妾は常に神三郎様と一緒じゃ」
覚悟の表情を見て、神三郎の心臓が冷えた。長い間、忘れていた感覚だ。それが恐怖だったのかもしれない。
このままだと紫苑が死ぬ。
どうする。神三郎は瞬時に頭を巡らせた。二条を捕らえて脅す。駄目だ。どうせ自分が人を殺さないことを、奴は知っている。紫苑に女の式神を殺すように命令する。それも駄目だ。紫苑は誇り高い。自分の命が危険でも首を横に振る。それに仮に一対一になっても紫苑が勝てる保証はない。
神三郎は思い浮かんだ最後の選択肢を選んだ。このまま紫苑に駆け寄り、自分が盾になる。二条に人間を殺す度胸はない。警察の人間も見ている。二条が止める前に殺されるかもしれないが、それで間違いなくこの場は収まる。
が、体が浮いた。
何があったのか。理解するまでに一瞬の間があった。
足を払われた。防御も取れなかった。恐ろしく速い。神三郎の研ぎ澄まされた感覚が、現実をスローモーションのように引き伸ばした。地球の重力が浮いた体をゆっくりと捉えていく。
やがて神三郎の体が地面に叩きつけられ、勢いで何度も跳ねた。小室が自分の名前を呼ぶのが聞こえる。
「本当に殺していいんだな。女の式神は貴重なんだろう。後で困ったことになっても知らないぜ」
神三郎の足を払った鬼神は、二条に念を押した。神三郎のことは無視したまま、何事もなかったように歩き続けている。
「くどいぞ。責任は俺が取る。早く殺せ」
「だ、そうだ。悪いな」
男の鬼神は、青い鬼神の背中に触れるくらいの近さで足を止めた。その先には紫苑がいる。
ギリギリのタイミングで、肺に空気が戻った。
よし、いける。神三郎は血の混じった唾と一緒に言葉を吐いた。陰陽道に伝わる
そしてその間に、上着の下に隠した拳銃を抜いて鬼神を撃つ。巫術を込めた弾丸が六発。それで止められるかどうか。全弾ぶち込んでみればわかる。
だがその男は涼しい顔をして、神三郎を振り返った。
「なるほど、大した術だ。体が鉛になったような気がする。二条の旦那とは大違いだ。だがそれなら、鉛を動かすことを考えればいい。残念だな。俺には効かんよ」
くそっ。神三郎は悪態をつきながら、銃を抜こうとした。
強い。それも桁違いだ。
神三郎の術で動きを止められなかった鬼神は、今までは紫苑しかいなかった。だが、紫苑でも動きはかなり鈍った。単純にそれだけの比較なら、この鬼神は紫苑よりも強い理屈になる。
「辞めときな。撃ちたければ撃ってもいいが、それで止められないことくらい、あんたにもわかっているはずだ。俺があんたなら、戦うより見ることに集中するね。俺もできれば、大事な瞬間を雑音で邪魔されたくない。どうだい、頼めるかな」
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