青い鬼神

「俺は、貴様など認めていないぞ」

 二条は、サングラスを外して胸ポケットに入れた。神三郎を冷たく睨みつける。

 ほう、中々の色男じゃないか。神三郎は少し感心した。映画俳優だと言っても通用する。これで人相さえ良ければ、女が放っておかないだろう。


「貴様は式神を相続していない。陰陽師の歴史を考えてもみろ。式神の力があったからこそ、陰陽師は国家の中で重要な地位を占めることができた。御前会議に出席できるのも式神のある家だけだ。式神を持たない陰陽師など、ただの占い師と変わりがない」

 動揺を隠すように二条はまくし立てた。器の小さい男は、そういう時にこそ雄弁になる。


 御前会議か。懐かしい言葉だ。神三郎が聞いたのは、九十九の父の病床だった。

 代々の安倍晴明を座長とする会議で、陰陽師の組織的な意思決定機関だ。七百年前までは天皇陛下もご臨席されていたが、今は名代として上座に銀製の丸い鏡が置かれているらしい。


「忘れていないか。俺にはこの、紫苑がいる」


「そんなもの誰が認めるか。御前会議の出席条件は、式神を相続した家の当主だ。新しい式神など前例がない。それに聞いたぞ。貴様はこの式神に自分の左腕を食わせたそうだな。想像するだけでもおぞましい。吐き気がする」


「別に御前会議の参加資格が欲しくて陰陽師をやってるわけじゃない。でもまあ、それはいい。それで、俺と紫苑をどうするつもりなんだ」


「さっきも言っただろう。その式神を没収する。貴様は我々の命令に背いて鬼神を殺した。そんな危険な人物に式神を任せておくわけにはいかない。それが我々全体の意思だ」


「我々か……。随分と早い意思決定だな。今さっき鬼神を始末した話を聞いたばかりだと思うんだが。おまえはいつ、お偉方たちと連絡を取ったんだ」


 色白の二条の顔が赤くなった。

「うるさい。この件については俺に一任されている。俺の決定が御前会議の決定と同じだ。陰陽師の世界に貴様のいる場所などない。

 さあ、貴様の式神を俺によこせ。俺の前にひざまずかせて、この鬼神の真名しんめいと契約に使った言葉を教えろ。これからは俺がこいつを引き継ぐ。いいか、早くしろ。言うことを聞かないなら、貴様が過去にやった鬼狩りを犯罪として処罰してやる。それがどういう意味か、わかっているな」


 なるほど。新しい式神が欲しいのか。神三郎は合点した。顔を見ればわかる。際限なく力を欲しがる子どもと同じだ。まるで御前会議の意思のような言い方をしているが、たぶんそれも嘘だろう。それにしても……。

 神三郎は、ふっと息を漏らした。こいつはとんでもない勘違いをしている。


「何がおかしい」


「悪いが、それはできない。紫苑は本来の意味での式神じゃない。契約もしていないし、術で意思を縛ってもいない。他人に相続させるのは無理だ」


「何? 今、なんと言った」


「紫苑の心は自由だ。俺とは信頼関係だけでつながっている。紫苑は男の好みにうるさいぞ。つまらん男なら喰ってしまうかもしれない。おまえに紫苑の信頼を勝ち取るだけの自信があるのか。なあ、紫苑。どう思う?」


 意味ありげに問いかけると、紫苑はぷいと顔をそむけた。

「決まっておろう。妾はこんな不細工な男は嫌いじゃ」


「バカな。バカな、バカな。有り得るわけがない。契約で縛らない式神だと。鬼神は人間など簡単に殺せる力があるんだぞ。猛獣と同じだ。もし反逆されたらどうする。貴様はそれでも平気なのか」


「ああ、紫苑に殺されるなら本望だ」

 神三郎は本気で言った。もちろん、喰われてもいい。


「狂ってる。貴様は狂ってる。それに危険だ。首輪もついていない式神を生かしておけるか。そんな化け物は、今この場で殺してくれる。

 風天ふうてん、来い。こいつの式神を殺せ。この男も半殺しにして構わん。手も足もないようなカタワの化け物に、本物の式神の強さを教えてやれ」


 二条が叫ぶのと同時に、風が舞った。

 並みの者なら、目で追うこともできなかっただろう。だが神三郎は見ていた。青い肌をした鬼が弾丸のような速さで跳ぶ。一直線に。車のトランクから出た鬼は、瞬く間に紫苑に到達した。

 爪を伸ばした腕が紫苑の額を捉える。いや、捉えたように見えた。

 だが、その爪の先に紫苑はいなかった。空気を切り裂く音だけが虚しく響く。

 鬼は素早く首を捻って紫苑を探した。悪くない反応だ。しかし、それでも遅い。鬼の頭部が突然止まる。


 ぐぐっ。骨と筋肉が軋む音がした。


「どうじゃ、捕まえたぞ」

 紫苑が後ろに回り、青い肌をした式神の頭をつかんでいる。いつもは少女のような手が、何倍にも大きくなって青い鬼の動きを止めている。

 赤黒く変色した紫苑の右腕は、まさに鬼の物だった。ドレスの袖から伸びた赤黒い腕は服を裂きそうなくらいに太く、そして立ったまま地につきそうなくらいに長かった。


「動こうとするでない。頭をそのまま潰すぞ」


「どうしたんだ。どうやって、避けた」

 二条が、信じられないという顔をした。


「ふん、簡単なことじゃ。妾の方がこの式神よりも速い。それだけのこと。それよりそなた、女子おなごじゃな。服も着せてもらえず、哀れなことよ。そなたの主人は心を配ってはくれぬのか」


 動きを止めたその式神の胸は、確かに大きく盛り上がっていた。体の大きさは紫苑と同じくらい。さっき始末した鬼神と比べればかなり小柄だ。ただし、全身の肌の色が青い。

 九十九の父が使役していた式神もそうだった。鬼神は人間の世界では年を取らないが、少しずつ変質していく。戦闘用の擬態が固定化され、人に似た姿を保てぬようになる。


 風天という式神は青く変色し、頭髪もまばらになっていた。瞳は爬虫類のように縦に細い。眉は無く、大きく裂けた口からは長い牙がのぞいている。


「どうした、風天。何をしている。俺に恥をかかせるな。キサマは初代の安倍晴明様の式神だったのだろう。キサマはご初代様の顔に泥を塗る気か。ご初代様の式神は、素人探偵の式神にも勝てないようなクズなのか」


 ぶるるっ。二条の声に反応して、風天は水に濡れた犬のように体を震わせた。だが、紫苑の爪で固定された頭部だけはピクリとも動かせない。


「無駄なことをするでない。首がもげるぞ」


「うっ、ううっ」

 最初はただの嗚咽だと思った。だがそれだけではない。大量の涙が頬を濡らし、あごを伝わって地面に落ちている。


晴明せいめい様、申し訳ありません。晴明様……」

 その声を、神三郎は確かにそう聞いた。


 二条は唾を吐いた。

「何度言ったらわかる。詫びるなら俺に詫びろ。キサマはもう、俺の式神だ。ご初代様はもういない。死んだご初代様がそんなに恋しいなら、冥府にでも何でも会いに行くがいい」


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