番犬
八咫烏の情報は正確だった。
砂利道を一キロほど行った所で、二台の車が道を塞いでいた。ようやく二台の車がすれ違えるくらいの道幅だから、わざわざ横にする必要はない。進行方向のまま車を並べている。
男がひとりずつ、それぞれ別の車にもたれかかっているのが見えた。
こちらの車が近づいていくと、その二人の男は、ほぼ同時に吸っていた煙草を投げ捨てた。一人は地味な背広を着たがっしりとした体格の男。こいつは知っている。小室だ。そうすると、もう片方が恐らく陰陽師だろう。長身でスマートな体に黒いスーツ。帽子はかぶっていないが、濃い色のサングラスをつけている。
「紫苑と二人で外に出る。交渉で済むか、ケンカになるかはわからない。道を空けさせたら、そのまま先に行ってくれ。後でまた連絡する」
「あまり時間をかけないでね。今は安定してるけど。この車には、脚を切断したばかりの女の子がいるのをお忘れなく」
「わかってるさ。さあ紫苑、行くぞ」
「心得た」
向こうの車から十メートル程離れた地点で、佑子はゆっくりと車を停めた。
けが人を気づかってのことだろう。佑子の運転は驚くほど静かだったから、紫苑も今回は文句を言うこともなかった。黙って自分から車外に出てくる。
こちらが向かうよりも先に、小室が前に進んできた。
八咫烏の表現した通り、使い古してヨレヨレになったネクタイを緩く締めている。背は神三郎より少し低いが、柔道をやっているだけに肩幅が広い。
「神三郎、説明してもらうぞ。こちらの先生の尾行を撒いたらしいな。まさか鬼神のことで、勝手に動いてたんじゃないだろうな」
「俺がどこで、何をしようと勝手だろう」
小室は困ったように、ぐしゃぐしゃと頭を掻いた。
「おいおい。頼むよ。昨日じっくり話し合ったじゃないか。上の連中は現場に結果を求めてるんだ。いつもは勝手にやらせておいて、今回は手を引けとか、虫のいい話なのはわかってる。でも、俺たちにも立場があるんだぜ。今回は顔を立ててくれる約束だっただろう」
「悪いな。状況が変わったんだ。仕事の依頼があったんでね。最近、この辺りを騒がせていた鬼神は退治した。死体はこの道を登った先の小屋にある。
詳しい話は後でキチンとする。事情聴取でもなんでもつきあうさ。ただ、まずは車をどけて妹の車を通してくれないか。ケガ人の女の子がいるんだ。今は眠っているが、両脚を切断している。緊急オペが必要だ」
「なんだと……」
「ふざけるな」
突然、小室の声を遮るようにサングラスの男が怒鳴った。
「人をコケにするのもいい加減にしろ。この、いかがわしい探偵風情が。少しは役に立つかと思って今までは目をつぶってきたが、これからはもう、そうはいかないぞ。貴様の式神は俺たちが没収する。それと、鬼神を殺したのなら、取り憑かれた少女も一緒に殺したはずだ。貴様は殺人犯だ。小室、こいつを逮捕しろ。おい、聞いているのか。小室……」
男が目で追った先に小室はいなかった。もう佑子の車に駆け寄っている。
「すいません、二条さん。本当にケガ人がいます。脚もない。神三郎は無茶苦茶な奴ですが、つまらないハッタリは言わない男です。ごめん、佑子さん。すぐに車をどけます」
「ありがとう、感謝するわ」
「何を勝手なことをしている。その車に乗っている奴らはこの探偵の仲間だ。殺人の共犯者だぞ。おまえは国家に雇われた番犬だろう。勝手に逃がすなら、責任を取ってもらうからな」
小室は二条という男をキッと睨み返した。
「目の前のケガ人を放っておいて、何が国家ですか。警察官ですか。勝手に報告でも密告でもしてください。始末書でも何でも書きます。あなたはあなたで、自分の仕事をすればいい」
「くそっ。忠誠心のない番犬がどうなるか。後でゆっくり教えてやる」
二条が悪態をついている間にも、小室は無駄なく動いていた。こいつのこういう所はいい。やると決めたら迷いがない。
エンジンのかかる音がした。佑子の車と、少し遅れて小室の車。小室が窓から首を出し、車をバックさせる。佑子なら下手くそと言うだろうが、普通に見れば、まあ、及第点だ。
紫苑が作り物の手で神三郎を小突いた。
「神三郎様は気づいておるか。あやつの車のトランクが開いておる」
「ああ、式神が入っているんだろう。気を抜かないでくれ。それにしても、わからないのは助手席に残っている男だな。どうして出てこない」
「あやつも式神ではないのか」
「二条は安倍の分家だ。
現在まで残っている陰陽師の家系は神三郎の九十九家を入れて十三。それぞれが先祖から受け継いだ式神を使役していたが、九十九のように途中で式神を失う家もあり、現在まで伝えているのは八家だけだ。
そのうち初代安倍晴明の流れをくむ続く四家が最も格式が高いとされているが、複数の式神を持っているのは本家しかない。
「国から派遣されたお目付け役かもしれないな。まあいい。そのうちわかる」
二条という男は神三郎との距離を保ったまま動かなかった。紫苑を警戒しているのだろう。式神かどうかくらい、陰陽師ならわかるはずだ。
神三郎は改めてその男を眺めた。身長は百七十センチくらい。痩せ型だ。サングラスで目もとを隠しているが、まだ二十代だろう。髪を七三に分けて整えている。
神三郎はゆっくりと歩いて近づこうとした。
「待て、おまえだけだ。式神はそこに待たせておけ」
「怖いのか」
「当然の用心だ。手足のないダルマでも、鬼神なら人殺しの武器くらいにはなる」
「妾を愚弄するか」
「紫苑、言う通りにしよう。臆病者には敬意を払う必要がある」
皮肉を込めた口調とは裏腹に、神三郎は警戒を緩めてはいなかった。
二条は紫苑のことを知っていた。小室から聞いたのだろう。ただ小室も、紫苑が鬼神と戦っている場面を見たことはない。本当の実力は知らないはずだ。
「そこまでだ。止まれ」
三メートルくらい離れた場所で神三郎は制止された。面白くはないが、とりあえずは従ってやる。
佑子の車のエンジン音が遠くなっていく。視界の隅に、自分の車から降りた小室が走ってくるのが見える。
「おまえが、
神三郎が名前を呼ぶと、相手は驚いたようにビクッと体を震わせた。こっちは逆に、わざと余裕たっぷりの顔をしてやる。
「おいおい、そんなに驚くなよ。俺だって九十九家の跡取りだ。同じ陰陽師のお仲間じゃないか。二条と言えば名家だ。代々の当主が引き継ぐ名前くらいは知っているさ」
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