8 国家陰陽師

待ち伏せ

「窮屈だけど、我慢してね」

 佑子が後部座席に向かって声をかけた。


 横に寝かせるスペースはないから、意識のない志穂を窓側にもたれかかるようにして座らせている。頭をクッションで押さえながら支えているのは涼子だ。紫苑はシートベルトに固定しないといけないから、二人にとってはかなり狭い。


「町に入ったら、知り合いのいる病院に向かうわ。それからすぐに手術ね。涼子さんはその間に、入院に使うパジャマとか下着とかを買ってきて。私のバッグに財布が入っているから、勝手に使っていいわ。入院の準備とか、したことある。スリッパとかコップとかも買うのよ」


「大丈夫です。祖母の付き添いをしたことがありますから。でも、志穂の家族には連絡をしなくてもいいんですか」


「鬼神のことを隠したまま? どうせこれから警察の隠蔽工作が始まるわ。中途半端な情報が漏れると、困るのは志穂さんよ。あなたも事態が落ち着くまでは余計なことを話さないで。話していいタイミングが来たら、私か兄さんが指示するわ。わかったわね」

 佑子は前に向き直ると、車のキーを回した。エンジン音と振動。ハンドルを片手で操作し、方向転換ができる場所までそのままバックする。


「ゆっくり走らせろよ」


「誰に物を言ってるの。私は医者よ」

 神三郎の言葉は、涼子に軽くいなされた。


「とりあえず鬼神の組織が足の切断面のフタになってるけど。剥がれてくれば、じきに出血が始まるわ。包帯で押さえてるけど、どれくらい保つかしら。誰かさんの銃撃のせいで体力もかなり奪われてるしね」


「大丈夫そうか?」

 神三郎は体をひねって後部座席の志穂を見た。意識はまだ戻ってはいないようだった。顔色も青白い。


「弱いけど、とりあえず呼吸は安定しているわ。すぐに病院に運べば大丈夫。名医に任せておきなさい」


「頼むぞ」

 神三郎はフロントガラスに向き直った。涼子との約束もあるが、この子はどうしても救いたい。今までに十三人の鬼神を狩ったが、まともに助けられた宿主はいなかった。今回助けることができたら、それが初めての成功例になる。

 車をUターンさせてからすぐに、黒い影が進行方向を遮った。


「ちょっと待て。佑子、車を停めてくれ」

 八咫烏だ。自分の式神を間違えるわけがない。

 もともと横の窓は開けっぱなしだった。神三郎は車が停止するのを待たずに、窓から上半身を乗り出す。


「どこに行ってたんだ。何があった」


 大きなカラスは羽ばたきながら、ゆっくりと赤いボンネットに降りた。

「偵察です。別に頼まれてもいないのに、全くどこまで人が良いのか。自分でも不思議ですな。この先一キロ程行った場所で、車二台が道を塞いでいます。一台は安物の国産車、一台は黒い外車でした。あのハンドルのようなエンブレムは記憶にあります。確か、ベンツでしたかな」


「行きに、私たちを尾行しようとしていた車ね」

 佑子はそこまで言ってから急に眉を逆立て、キッと八咫烏を睨みつけた。


「爪を立てたまま脚を動かさないで。いい、傷になったら殺すわよ」


「おお、こわ。それと国産車に乗っていたのは、わしらも見知った男でしたぞ。佑子殿の貞操を狙っておる不届者です。後で佑子殿に叱られるとでも思っていたのでしょうな。どうにも困ったような顔をしておりました」


「小室のことか。そうすると、ベンツに乗っていたのは陰陽師だな。何人乗っていた。その中に式神はいたか」


「二人です。どちらも人の姿をしていました。なにぶん一人は車から出て来ませんでしたから、式神かどうかまではなんとも」


「小室の車に乗っていたのはひとりだけか」


「はい。相変わらずヨレヨレのネクタイをしておりました。いつもと同じ紺の縞柄です。佑子殿を意識して髭だけは剃っていたようでしたが、一人暮らしの男というものは、どうにも間が抜けておりますな」


「余計なことはいいわ。どうするの。尾行してたくらいだから。鬼を殺しました、褒めてください。じゃ、たぶん収まらないわよ」

 佑子は神三郎に迫った。


 昨日の小室の話では、上からは鬼神を生け捕りにしろと命令されているらしい。どうせ連中には無理な話だが、民間人に勝手に殺されたとなれば、国家公務員の面子は丸つぶれだ。

 神三郎は決断した。


「仕方ない。そこまでは一本道だ。ケガ人も抱えてる。まっすぐ行くしかないだろう。俺が話をつけるから、おまえはこの子たちと先に病院へ行ってくれ。俺と紫苑は後で小室にでも送ってもらう」


「オーケイ。じゃあ、揉め事は探偵さんに任せたわ。八咫烏さん、お役目ご苦労様。さっさと私の視界から消えて頂戴」


「なんという冷たいお言葉。わしは神三郎殿のために身を粉にして働いてきたのですぞ。あんまりではないですか」


「お礼は言うわ。ありがとう。車を動かすから、フロントガラスに頭をぶつけないようにしてね。そうね。もし首を折って死んだら、お墓を作ってあげる」


 八咫烏は慌ててまた、飛び立った。佑子はそれを確認してからギアを入れ直し、アクセルを踏みこむ。


「相手は誰だと思う?」

 視線は動かさないまま佑子が聞いた。


「さあな。昨日までは小室も知らないようだった。まあ、会ってみてのお楽しみだ」

 

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