案内人

 結局、警察無線では自分たちと関係がありそうな情報は拾えなかった。

 ドルン、ドルン……。エンジンの音が次第に小さくなっていき、ゆっくりと車が停まる。今までの荒っぽい運転が嘘のような静かさだ。


 佑子は風を取るために少しだけ開けていた運転席側の窓を、ハンドルを回して全開にした。窓枠に腕をのせる。この人は、こんな仕草までカッコいい。

「車はここまでね。降りましょう。そこに案内役のカラスさんがいるわ」


「それよりも先に、妾の腰の位置を直せ。こすれて痛いのじゃ」


「わかっているわ。涼子さん。紫苑のベルトを外してあげて」

 自分と紫苑のシートベルトを外してから、涼子は車の外へ出た。木々に囲まれているので、昼間だというのに薄暗い。車一台がようやく通れる幅しかない砂利道はここで終わっていて、その先には踏み固めただけの土の道が続いている。

 車を見下ろす場所にある太い木の枝に、見覚えのある片目のカラスが止まっていた。


八咫烏やたがらすさん、おはようございます」


「おお、昨夜の娘か。息災だったか」

 心なしか声が弾んでいるようだった。佑子も車から出てくる。


「へえ、意外だわ。あなた、この変態カラスにも好かれたのね。鬼神に好かれる才能でもあるのかしら」


「変態とは失礼な。わしは神三郎殿の忠実な式神ですぞ。昨日から働きづめでトイレに行く時間もなかったくらいです。そうだ。ちょうどいい。その車のボンネットにわしのふんを落としてもよろしいですかな。わしは自分の便を眺めて、健康状態を知るのです」


「いいわよ。その代わり、羽根をむしって焼き鳥にするから覚悟して。今までの付き合いに免じて、食べる前に念仏くらいは唱えてあげるわ。どう、魅力的な提案でしょう」


 八咫烏は羽根を縮めた。

「やれやれ、という奴ですな」


「おい、佑子。そんなバカどりなどどうでも良い。妾をいつまで放っておくつもりじゃ」


 神三郎が苦笑している。この人たちは不思議だ。見ていると、人と鬼との違いが気にならなくなってくる。本当は沢山の物を背負っているはずなのに、辛そうな顔は全く見せない。


「姫様、わしも手伝いましょうか。手はありませんが、このクチバシで。うなじから肩まで、そうっと痒いところをこすって差し上げましょう」


「痴れ者め。妾の肌に触れて良い男は神三郎様だけじゃ。首を引き抜かれたくなければ、黙って枝に止まっておれ」


「おお、怖い怖い」

 涼子は思わずクスリと笑ってしまった。あ、いけない。今はそれどころじゃない。恥じ入って、顔をうつむける。


 神三郎が笑いかけてくれた。

「うん、それでいい。これから友達を救いに行くんだ。心に余裕がないと、助けられるものも助けられない」


「でも、私だけ……」


「あの子に必要なのは鬼を退ける勇気だ。悲しい顔よりも、笑顔の方がずっと効果がある。そう思わないか」


 涼子は、ハッとした。

 あの時に見た志穂は絶望していた。鬼に体を与えて人を殺した。それがどれほど恐ろしいことか。涼子には想像することしかできない。

 自分なら、どうだろう。同情して泣いてくれたら。いや、それを見たらかえって死にたくなる。叱ってくれたら。たぶん罪を償うために死のうと思う。でも、笑いかけてくれたら。もしかしたら、自分も笑いたいと思うかもしれない。もう一度、精一杯に生きてみたいと思うかもしれない。


「そうですね」


「さあ、紫苑も準備ができたようだ。行こう。君の友達はきっと君のことを待ってる。心の底で、助けて欲しいと叫んでいる」


「私たちはサポートするだけ。志穂さんを救うのはあなたよ」

 佑子に続いて、紫苑も車から出てきた。


「鬼神を恐れる必要はないぞ。安心しておれ。神三郎様と妾が、そなたを必ず守ってやる」


「ああ、そうだ。涼子さん。後ろのトランクにある紙バッグにバスタオルが入っているから、持って行ってくれる。

 兄さんに助けられた時、志穂さんの服が引き裂かれて落ちていたんでしょう。たぶん、あの子はまだ裸よ。あの変態カラスが嬉々として監視を引き受けたんだから、間違いないわ」


「失礼もいい加減にしてほしいですな。わしはただ神三郎殿の命令に従っただけですぞ。まあ、うなされていましたからな。たまに人間の姿になる瞬間もありましたが……。ちらりと見ただけでしたが、乳も尻も中々のものでしたぞ。胸などこう、お椀のように盛り上がって。それに秘所の毛などは筆先のようにふんわりとして、切なげに湿っておりました。あれはきっと、もう男を知っておりますな」


「描写してくださいって、誰が頼んだの。もういいわ。やはり、あの子は裸ね。涼子さん。Tシャツと下着。ショートパンツもあるから、それも一緒に。いい、自分が興奮してはダメよ。感情をぶつけても仲直りができるのは、余裕のある時だけ。それだけは忘れないで」


「はい」


 涼子は、しっかりとうなずいた。まず、自分が冷静にならないといけない。佑子の言う通りだ。

 志保を救えるのは自分しかいない。自己満足でそう思いたいわけじゃない。本当にそうなんだ。そのために、みんなが本気になって力を貸してくれている。


「志穂、待っててね」

 涼子は小さくつぶやいた。


 志穂と会うのが怖い。鬼と対決するのはもっと怖い。でも絶対に逃げない。涼子は自分の心の中でそう決めていた。

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