第34話 仇
自分の部屋の中央に座り込み、知章は目を閉じて精神を統一する。
自らの内に宿る御霊の存在を感じ取りながら意識を集中すると、神の魂が語りかけてくるような錯覚を覚える。
もっと力が欲しいだろう。与えてやるぞ。神になれるぞ。強くしてやる。
その声を聞いてはいけないと、御霊を宿したばかりの頃に父からくどいぐらいに言い聞かされた。その声に惑わされたら、もう二度と戻ってこれないと。
「我々は神を封印した御霊を身に宿すことで神威の力を使うことが出来る。この力は自分の力ではない。神の力なのだよ。だから、慎重に使わねばならぬ。神は必ずしも、人間の味方ではないのだから」
前世で父に言われた台詞を、今でもはっきり覚えている。
父は危惧していた。復讐心に凝り固まった息子が力を求めて神に食われるのを。
知章は思う。今、自分は十六歳。前世で死んだのと同じ年齢だ。もしも、前世で十六歳で死ななかったら、もっと長く生きていたら、憎しみが募って神の声に惑わされていたかもしれない。
だが、どうだろう。もしも、それで本当に天狗を殺せるとしたら、自分は——
流れる思考を遮るように廊下から軽い足音が響く。
「あーあ。また閉め切っちゃって。こんな暗い部屋にいたら健康に悪いわよ。傷も治りきっていない癖に!」
両手に盆を持った蕨が入ってくる。
彼女は殺風景な知章の部屋に華やかな騒々しさと温かい食事をもたらした。だが、そのどちらも知章の神経を苛立たせるものでしかなかった。
「ほら! 今日もどうせ朝ごはん食べてないんでしょ? しっかり食べなきゃ元気にならない……」
「五月蝿い!!」
知章に荒々しく一喝され、蕨はびくりと身を震わせた。
「出て行け! 目障りだ!」
知章は立ち尽くす蕨の方を振り向きもせずに、憎々しげに吐き捨てる。その背中にはっきりとした拒絶と怒りを感じて、蕨は泣きそうになった。
だが、ここで泣けば余計に知章を苛立たせる。それだけは充分にわかった。
蕨は入ってきた時と同じく盆を持ったまま身を翻した。走り出したい気分だったが、それを抑えて早足で廊下を歩いた。温かい食事が冷えていく。けれど蕨の心はそれ以上に冷えていた。
堪え切れぬ涙を流しながら曲がり角を曲がると、すぐ目の前の壁にもたれかかって清宗が佇んでいた。思わず立ちどまった蕨に、すべてを見ていたように言う。
「いい加減に知章につきまとうのはよせ。あいつは天狗を殺すことしか頭にない」
蕨はむっとして怒鳴った。
「なによ! 知章がこのまま一人で苦しんでいても放っておけって言うの? 清宗は前世では知章の親友だった癖に、どうして生まれ変わってからは知章に冷たいのよ!?」
蕨になじられて、清宗は気だるげに息を吐いた。
「私は前世から変わっちゃいない。今でも……」
清宗は一度言葉を切って、束の間沈黙した。それから、空を眺めて静かに言った。
「親友で、本当の弟のように思っていた。あの頃の知章のことはな」
あの頃の、まだ平家の栄華が揺るぎなく、なんの不安もなかった幼い日。清宗と知章は毎日大概一緒にいた。仲の良い従兄弟同士。実の兄弟のようだとよく言われた。
馬に乗って野山を駆け巡るのも弓の訓練をするのも勉強から逃げ出すのも、いつも一緒だった。あの日が来るまでは。
遠い追憶を空に思い浮かべる清宗の横で、蕨は独り言のように呟いた。
「知章が変わってしまったのは、あの天狗のせいよ。あいつ、出来るならこの手で殺してやりたい……なんで父上達はいつまでも源氏の連中を放っておくの。今すぐ全部殺してしまえば、知章は苦しまなくて済むのに」
暗い怒りに打ち震える蕨には、天狗さえいなくなれば知章は解放されるという思いがある。
清宗は、蕨と違ってそう簡単にはいかないと考えている。
忘れられない光景がある。
血に染まった板の間。引き千切られた着物地。むせ返えるような瘴気。人間の欠片。
「母上っ! 母上っ!」
親友の悲痛な叫び声。辺りに散らばっていた大きな黒い羽。
あの日以来、友の笑顔を見ていない。
「清宗だって、天狗が憎いでしょ? 能宗の目はあいつが……」
賛同を求めてくる蕨の言葉に、血溜まりの中に倒れていた小さな弟の姿を思い出す。いつも自分達の後を付いてきたがった弟は、あの時も兄とその親友を探して知盛の屋敷に赴き、惨劇に居合わせてしまったのだろう。
その後数日間、高熱を出して生死の境をさまよった弟と、一言も喋らず何も食べず引きこもる親友の間で、清宗はどうしていいのかわからなかった。
弟は命は取り留めたものの左目は光を失い、引きこもった部屋から出てきた親友は憎しみ以外の感情を失くしていた。
今生では清宗の方がずっと年上に生まれてしまったこともあって、知章との関係は希薄なものだ。歳が近く生まれた能宗は何かと知章を構うが、知章は干渉を煩わしそうに顔を歪めるだけで心を開く様子はない。
おそらく、天狗を倒さない限り元の知章には戻らない。本人に戻るつもりがないだろう。
されば、自分に出来ることは一つだ。
清宗は空を見上げたまま、大切な者達の行く末を思った。
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