第33話 炎
全成のことで頼朝に食ってかかった日以来、範頼は心の中に鬱屈したものを抱えて過ごしていた。
あれから既に三日経つが、この三日間頼朝は何やら忙しそうにしていてあまり顔を合わせていない。今朝も頼朝がおらず藤九郎が朝食を作っていた。
不満と不審を抱え、大学の授業にも身が入らない範頼に対し、義経は特に悩む様子もなくけろっとしている。
「頼朝兄さんが何を考えているかなんて僕は頭が悪くてわかんないし、そのうちきっと話してくれるよ」
義経はそう言う。
範頼だってそう信じようとしているのだ。でも、どうにもすっきりしない。
何故、頼朝は範頼と義経に何も教えてくれないのか。考えると、いつも同じ答えに行き着く。
範頼と義経は、前世で頼朝に疑われ滅ぼされた。
同じ弟でも、全成は頼朝に流刑にされたりしなかった。
だから、ではないのか。だから、全成のことは今生でも部下として信頼しているのではないのか。
「やあ、こんにちは」
悶々と考えながら家路を辿っていた範頼は、突然声をかけられて驚いて顔を上げた。いつの間にか、目の前に五十歳ぐらいの男が立っていた。
「学校帰りかな?」
「あ、はあ……」
親しげに笑いかけられて、範頼は面食らった。男はパリッとしたスーツ姿で、まるで海外ドラマに出てくる敏腕弁護士のような雰囲気を持っている。あまりにも自然な態度に一瞬知り合いかと思うが、よく見てもやはり知らない男だった。
「梅雨が終わって暑くなってきたね。君は暑いのは苦手かい?」
男は笑顔を浮かべたままでそう尋ねてきた。範頼は心持ち身を引いた。
道でも訊かれるのかと思ったら、唐突に天気の話を持ち出されて戸惑った。
「あの……?」
「ああ、ごめんねえ。いきなりでびっくりしたろう。僕は暑いのが苦手でね。だから、君もそうじゃないかな、と思ったんだよ。そうだったらいいなぁって」
男は訳のわからないことを言う。よく見ると、男の右目の下にうっすらと傷跡があった。
「本当はまだ会うべきじゃないんだけれどね。君が余りにも悩んでいるから放っておけなくて出てきてしまったよ」
範頼は咄嗟に警戒した。男の口ぶりは、まるで範頼のことをよく知っているかのようだ。悩んでいることを見抜かれている点が、範頼に警鐘を鳴らした。
警戒心を露わにした範頼を気にする風もなく、男は続ける。
「悩まなくとも平気さ。君にはちゃんと大きな力が宿っているのだから。あの男がそれを奪いさえしなければ、僕は君にもっと早く会いに来れたのに。そして、君も自由に力を使えただろうに」
身を翻そうとした範頼を制するように、男が一気に間合いを詰めてきた。不敵な笑みを浮かべて顔を覗き込んでくる。
「自分の中に力が宿っているのを感じるだろう? 思い浮かべてごらん。暗闇の中に灯る小さな火を。小さな火がどんどんどんどん大きな炎になっていくのを。炎が焔となって闇を払い地を焦がし水を沸き立て枯らす様を」
男が語る炎の描写に、範頼は眉をひそめた。何だというのだろう。何故、炎を想像させようとするのだろう。
炎。
範頼の脳裏に、一瞬、何かが燃える光景が過ぎった。大きく力強い、すべてを焼き尽くす炎。
しかし、範頼はそんな炎を見たことがなかった、範頼が炎に近づくことを頼朝が許さなかったからである。
家にはマッチやライターすらない。頼朝は可愛い弟達が火傷しないように!と言い張るので、昔はブラコンの一環だと思っていたが、高校生ぐらいになるとどうも義経と範頼では頼朝の態度が違うことに気づいた。
義経には甘いし心配もするが比較的自由にさせている。対して範頼には、火に近づかないように行動を制限することもある。
何故そんなに火にこだわるのか、一度聞いてみたことがある。
「お前は、炎の御霊の持ち主だった」
そう言われた。頼朝が御霊の話をしたのはそれが初めてだった。その時まで、範頼は御霊が何なのかを忘れていた。
言われてみればうっすらと、戦いの記憶が蘇った。だが、それはひどくぼんやりとしていて、自分がどんな戦い方をしていたのか、はっきりとは思い出せなかった。
範頼が炎の御霊の持ち主だとしたら、むしろ火は範頼の味方ではないのか。
火に近づけさせまいとする頼朝の行動の説明にはならないと訴えたが、頼朝はそれ以上御霊について語らなかった。
御霊の話をすると頼朝が不機嫌になることがわかって、聞くのを諦めた。その時はまだ、平氏の刺客ごとき御霊なしでも叩きのめせると思っていたから。
でも、今は力が欲しい。平氏の刺客よりも、源氏の、頼朝の部下の、他の弟達にも負けない、強い力が。強い御霊が、欲しい。
どくん、と全身が脈打った。
(……熱い)
至近距離にあるはずの得体の知れない男の顔が霞んだ。その存在が遠くなる。意識がぼうっとする。目の前に、炎が見える。
「そら、思い出せ。お前の前世の姿を。炎を操って戦場を駆けた記憶を。炎の御霊の真の力を」
男の声が遠く聞こえる。
炎が燃えている。体が熱い。何か、何かが身の奥底から込み上げてくる。誰かの声が聞こえる。この声は、この声は……
瞬間、空気を切る音が響いて、自身の深淵を覗きかけていた範頼の意識を一気に現実に引き戻した。
目の前にいたはずの男が飛びすさって離れている。男と範頼の間を、二人の若者が刀を携えて立ち遮っていた。さらに二人の若者が現れ、男の背後に回って包囲する。
「え……?」
何事が起きたのかついていけず混乱する範頼をよそに、男は四方から向けられる殺気を鼻で笑い飛ばした。
「ふん。佐々木兄弟か。頼朝の狗どもが。炎の御霊の守護、ご苦労なことだな」
「え……」
男が口にした頼朝の部下の正体に、範頼は唖然とした。範頼の混乱を見て取ったのか、佐々木定綱が一言説明した。
「殿のご命令により、身辺を守護しておりました」
範頼は唖然としたまま立ち尽くした。
佐々木兄弟に刃を向けられた男は余裕の態度を崩さず、一度、範頼の顔を見ると不敵に笑った。
「まあいい。今回は顔が見たかっただけだ。また会おう範頼」
そう言うと、男は強く地面を蹴って背後にいた佐々木兄弟の頭上を飛び越えその向こうに着した。そのまま身を翻して逃走する。それを佐々木兄弟のうち二人が追いかけていく。
「範頼様。ご無事ですか」
残った定綱と盛綱が気遣わしげに尋ねてくるが、その声は既に範頼の耳には届いていなかった。
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