第22話 少年達の朝
台所から聞こえる鼻歌に、義経は首を傾げた。頼朝の声ではない。
覗いてみると案の定、そこでおさんどんしていたのは藤九郎だった。
「あ、義経様。おはようございます」
「……おはよう。兄さんは?」
色々言いたいのをぐっと堪えて一つだけ質問すると、「殿はおでかけです」と返ってくる。
兄がおでかけなのは構わない。しかし、何故代わりにお前がいるのだ。と、義経は心の中で突っ込んだ。
この藤九郎という男、頼朝の部下なのだが、昔からちょくちょく義経と範頼の前に姿を現す。ふと気づくといつの間にか兄弟の団欒に混ざっていたり、知らないうちに頼朝の側に侍っていたりと、神出鬼没で得体が知れない。
範頼も、台所を覗いて藤九郎の姿を認めると嫌そうな顔になる。
義経も範頼も、頼朝から特に信頼されている様子の藤九郎にはどうも苦手意識があるのだ。時々、二人にしかわからない思い出ネタとかで頼朝を笑わせているのも、一番の理解者のような面で頼朝の世話を焼こうとするのも、愛想の良い顔を見せておきながら義経と範頼に対してはしっかり警戒しているところも、なんか気に食わない。
確か、今生では頼朝より三つか四つ年上だと聞いたような気がするが、平日の朝から他人の家で魚を焼いている暇があるのか。自分の家庭とか作ったらどうなんだ。
(兄さん、どこに行ったんだろう……?)
魚の焼ける香ばしい匂いを嗅ぎながら、義経は兄不在の物足りない朝を過ごしたのだった。
同時刻。とある山中。
ドオォォォンッ
大地を揺るがす轟音を立てて倒れた木が地面を抉る。
逃げ出した鳥達がぎゃあぎゃと喚いて他の木々に飛び移る。だが、立ち並ぶ他の木々も次々と倒れていき、続けざまに轟音と土煙が立ち昇り視界は煙る。
「あっはっはっはははははっ!!」
轟音の中に混じる哄笑。一人の少年が立ち並ぶ木々に次々と拳を当てていく。なんの武器も持っていない。素手で木の中心を打つ。それだけで、しっかりと根を張って聳えていた大木があっけなく折れ、倒れ、地面に重なっていく。
数十本の木々を倒しながらも、まだ力が有り余っている様子の少年は、握った拳を振り上げて木を倒し続ける。
木を倒し続ける弟の姿を少し離れたところで見守りながら、通盛は青い空に立ち上る土煙を空恐ろしい気持ちで眺めた。
ここは平家の所有する山の奥。平家の第二屋敷と呼ばれる別邸がある私有地である。木を何十本倒したところでどこからも文句は出ないが、大層な自然破壊であることには違いない。
だが、弟、教経の宿す御霊を考えれば、これぐらいの破壊活動は大目に見てしかるべきだ。
彼が宿すのは乱の御霊。
乱とは戦。戦とは力。すなわち——乱の御霊とは、戦場を荒れ狂う力そのもの。乱が巻き起こす混乱。戦が生み出す荒々しい暴力。それが教経の身に宿る神の本質だ。
乱という力の御霊をその身に宿す教経は、時折こうして力を発散させる必要がある。そうしなくては、身のうちから湧き上がってくる力を抑えきれずに暴走してしまうだろう。暴走して精神が壊れれば、教経の意識は御霊に食われてしまう。
八百万の神の御霊の中でも最も強力な神の魂を宿す器となった弟は、前世でも今生でも平家一の強者と目されている。
実際、平家の屋敷の中で教経に敵う者はいないだろう。
しかし、強大すぎる力を持たされた弟のことが、通盛には時に哀れに思えた。
前世でも若い命を散らした弟は、今生ではまだ十三歳だ。余計な力や前世の記憶など持たずに生まれてくれば、普通の子供として生きられただろうに。
百本近くの木を薙ぎ倒して辺りを更地に変えた教経は、ようやく落ち着いたのか拳を納めて荒い息を整え始めた。
辺りには既に鳥の声もなく、静かな空間に一人立つその姿は頼もしくもあり、反面ひどく脆いものにも見えた。
顔を上げた弟に近寄ろうと通盛が足を踏み出した時、
「うひゃー、すっごい」
明るい声が響いて、山奥にやってくるにはそぐわないスカートと革靴で、ひょいひょいと倒木を軽く飛び越えて現れた人物がが教経に近寄った。
「
「教経様、おはざーっす」
ビシッと敬礼する菊王丸は、そばかすが特徴のショートボブの女の子、に見える。
「なんか用かよ」
「イエース! 源頼朝情報を手に入れたので、一言ご報告をと思いまして」
頼朝に関する情報と聞いて、教経の肩がぴくっと動く。
平家は常に間者を放って頼朝の動向を逐一探っているが、集まってくる情報は大抵ろくでもない。頼朝の趣味は実録心霊ドラマ鑑賞だとか、弟の調理実習に勝手に参加して「あのイケメンは誰だ」とクラス中を騒然とさせて後で弟にしばかれていたとか、およそ戦闘で役に立つ類のものではない。
「頼朝がどうしたって?」
「ええ。それがですねぇ。こないだ源頼朝が、なんと! 女子高生に襲われていたんですよ!」
得意げに胸を張って報告する菊王丸の頭を、教経が割と本気で殴った。
「ひっどーい! こんな可愛い子に手を上げるなんて、教経様ってば野蛮ー」
「やかましいわ! 女装男が!」
見た目だけなら確かに可愛い少女に見えなくもない。だが、部下の菊王丸は前世も今生も歴とした男だ。教経に手加減する理由はない。
「あーん、通盛様! 教経様がいじめる〜っ」
わざとらしく泣き声をあげた菊王丸が、少し離れたところで見守っていた通盛に駆け寄って縋り付く。
通盛は無表情のまま何の反応も示さないが、教経には少し困っているように見えた。
無口な兄に代わって叱り飛ばしてやろうと息を吸い込みかけた教経より先に、山の中に今度こそ正真正銘の少女の声が響いた。
「ちょっと菊王丸! なんであたしを置いて先に行っちゃうのよ! それと、通盛さんから離れなさいよ! 通盛さんはいい男なのよ! 人類が保護すべき芸術なんだから!」
はあはあ息を切らしながら登ってきた
「と、徳子……」
「教経も黙って見てないで通盛さんを助けなさいよね! だいたい、なんであたしに何の断りもなく第二屋敷に来てんのよ! 昨日から家にいないから菊王丸を捕まえて白状させたんだからね!」
怒りの矛先が教経に向いて、徳子は顔を真っ赤にして文句を並べ立てる。
教経は徳子に迫られながらじろりと菊王丸を睨んだ。通盛の背後に隠れてこちらを窺う菊王丸は、へらへらした表情で飄々としている。教経と通盛兄弟の忠実な配下であるはずの男だが、時々何を企んでいるのかわからない。
「徳子、落ち着けって」
「落ち着いているわよ! でも、アンタがあたしを置いていったのは許せないのよ!」
置いていく、という言葉に力を込めて言う徳子に、教経は言葉に詰まった。
徳子に何も言わずに来たのは、ただ単に見せたくなかったからだ。御霊の力を奮う己の姿を。
徳子もそれはわかっている。わかっているからこそ腹立たしいのだ。
たじたじで徳子を宥めようとする教経の姿を通盛の背後から見守りながら、菊王丸はふっと苦笑いのような表情を浮かべた。
にわかに賑やかになった山中に、ほどなく鳥の声が戻り始めた。
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