第21話 義経と郷子
何度目かの寝返りを打ち、義経は眠ることを諦めて目を開けた。
ぼんやりと天井を眺めながら、今日の出来事を思い返す。
知章の怒り。頼朝の表情。いずれ知ることになる、天狗と自分の関わり。
あの後、頼朝の態度は完全にいつもと同じに戻っていた。義経がよく知る気のいい、ブラコンの兄そのもの。
だが、義経は確かに天下人源頼朝の真の顔を垣間見た。
その頼朝と、普段の頼朝の、どちらを信用していいのかわからない。
悶々とした思考を持て余して輾転反側していると、窓ガラスがこんこん、と軽い音を立てた。
寝ていれば気づかないような音だったが、義経はベッドから降りてカーテンを開けた。
「郷子?」
窓の外、屋根の上に乗っているのは、隣の家に住む幼女だった。義経は慌てて窓を開ける。雨は止んだとはいえ、夜の空気は冷たい。
「どうした? こんな真夜中に」
幼稚園児はどう考えても寝ている時間だ。それ以前に、どうやって屋根に登ったのか。
慌てる義経に向かってにっこり笑って見せて、郷子は自分の背後を指差した。窓から身を乗り出してみると、隣の家と自分の部屋へ続く屋根との間に、縄梯子らしきものが掛かっている。
あんなものをいったいどこから調達してきたのか。いや、それ以前に、
「危ないだろう!」
落ちたらどうするつもりなのだ。雨上がりで屋根だって濡れているのに、滑って落ちたら。と憤る義経を暢気に宥めながら、郷子は窓から義経の部屋に入る。
パジャマではなくきちんとワンピースを着ていることからも、寝ぼけている訳ではなさそうだ。
「こんな夜中に、ごめんなさい」
郷子はちょっと申し訳なさそうに眉を下げた。
「いや、それはいいけど……どうしたの?」
どうせ眠れていなかったのだから義経の方には問題はない。それより、こんな真夜中に幼稚園児が訪ねてきた理由が気になる。
義経の疑問を感じ取ったのか、郷子は微笑みを浮かべていった。
「なんだか、義経様が落ち込んでいらっしゃるような気がしたので」
妻の勘です。という郷子に、義経は図星を刺されてギクリとした。
「何か、あったのですか?」
「そんなことは……」
一瞬口ごもった義経だったが、じっと見上げてくる郷子に見据えられて思わず目を逸らした。こっちの方がずっと年上だというのに情けない、と自嘲する。
沈黙が流れた。郷子は義経が話すまで待つつもりなのだろう。静かな空間に、目覚まし時計の立てるコチコチという音だけが響く。
義経は観念して息を吐き出した。
「……たいしたことじゃないんだ。ただ、ちょっとわからなくなっただけ」
前世の妻といえど、今生ではまだ幼稚園児の郷子にこんな話をしてどうすると思いながら、息を吸い込んで天井を見上げる。
「僕の知っている頼朝兄さんと、前世の源頼朝って、本当に同一人物なのかなって……というより、何が同じで、どこが違うんだろうって……」
疑問を口にする義経に対して、郷子は少し考えるように小首を傾げてこう言った。
「でも、それは頼朝様に限ったことではないのではありませんか」
義経が振り向くと、郷子はにっこり笑った。
「誰だって、前世と今生では、完全に同じではありませんわ。時代も違えば立場も違います。あの時は許されなかったものが許されていたり、その逆だったり」
そう言う郷子は、どこまで前世のことを覚えているのだろう。まるで諭すような口調で語りかけて郷子に、義経は不思議な気分になる。
昔も、こんなことがあったような気がする。思い出せないが、不安な自分を郷子がこうして落ち着かせようとしてくれたことが、あるような気がする。
「頼朝様にも、きっと戸惑いがあると思います。あの方は、きっと私達以上に前世のことを覚えていらっしゃる。源氏の頭領として、私達を正しく導かねばという責任を抱えておられます。それ故、時に非情に見えることもあるかもしれません」
義経以上に頼朝のことを理解していそうな郷子の台詞を聞きながら、義経は頼朝の姿を思い浮かべる。
今生の救いようのないブラコンぶり。義経を見下ろす嫌悪の表情。いずれ嫌でもわかると突き放す口調。
どれが本当の頼朝なのかわからずに悩んでいた。でも、郷子の話を聞いているうちに、ぼんやりと理解し始めた。
全部、頼朝なのだ。ブラコン兄貴も、非情な天下人も。どちらも頼朝の真の姿なのだ。
義経はがりがりと頭を掻いた。郷子の言う通り、誰だって前世とまったく同じではないし、完全に違っている訳でもない。自分にはあまり前世の記憶はないが、それでも兄達や郷子のことを覚えているのは、きっと、それが一番大切な記憶だったからだ。
「郷子は、前世の頼朝様も、今生の頼朝様も信頼しておりますよ。だって、義経様とこうして巡り会えたのは、頼朝様が生まれ変わった郷子をみつけてくれたおかげですから」
三年前、よちよち歩きの郷子を「見つけた」と言って連れてきたのは頼朝だ。
どういう手を使ったのか、その後、郷子の家族が隣に越してきた。
それは、義経のために頼朝がやってくれたことだ。
(そうだ。兄さんは、何かを隠しているかもしれない。でも、それにはきっと理由がある)
おぼろげな前世の記憶よりも、これまで過ごした確かな十四年間の方が、信じられるに決まっている。
だからこそ、範頼だって前世で自分を滅ぼした頼朝を信頼して慕っているのだ。
(いずれ、わかる時がくると兄さんが言った。それを信じよう)
吹っ切れた義経は、郷子に向かってニカッと笑った。
「……もう寝なきゃ。夜更かしすると兄さんに怒られる」
それに応えて、郷子もにっこりと笑った。
ちなみにこの後、縄梯子は危ないので義経はきちんと玄関から郷子を隣家に送り届けた。
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