第20話 開幕準備



 自室で一人文机に向かって思案していると、前世の記憶がぼろぼろと蘇ってくる。

 些細なことまで覚えているというのは案外煩わしいものだ。

 残っている記憶の大小には個人差がある。強烈に残っている記憶もあれば、靄がかかったようにぼんやりとしか思い出せないこともある。

 頼朝の記憶が鮮明に残っているのは、忘れてはならぬことが誰よりも多いからだ。言い換えると、それは業の深さなのではないかと頼朝は自嘲する。


 真夜中だというのに蝋燭一本しか灯していない室内は暗い。その中でじっと動かない男の姿など、端から見たらさぞ不気味だろう。とっくに眠っているはずの弟達には見せられない光景だ。


 そんなことをつらつら考えていると、部屋の隅の闇の中から笑いを含んだような声が届いた。


「蝋燭では雰囲気が出すぎでしょう。LEDライトでもプレゼントしましょうか?」


 頼朝はちらりとそちらへ目を向けた。闇の中、一人の男が立っている。


「結構だ」


 そう答えると、くくく、と男が軽く笑う。頼朝は机に向かっていた体を男の方へ向けた。


「うちの兄弟は神出鬼没で困るな」

「ああ。義平さんがいきなり帰ってきたんでしたね。驚いたでしょう」

「当たり前だ。何も言わずに行方をくらまして、十一年も帰ってこないんだからな」


 確かに、義平に日本各地を巡る仕事を頼んだのは頼朝だが、あくまで日本各地を巡って帰ってきてくれれば良かったのだ。だというのに、義平は何故かそのまま海外へ出て行ってしまった。

 そうして一向に帰ってきやしない長兄に、よもや逃げたんじゃなかろうなと疑ってしまったこともある。


「しかし、義平さんが集めてきてくれたものは、確かに役に立ちますよ。あの方は兄上のことをとても大事に思っていますから、十一年も世界中を走り回ってくれたのでしょう」


 兄上、と頼朝を呼んだ男に、頼朝はふんっと照れ隠しで鼻を鳴らす。


「あの人は、単にじっとしていられない性分なだけだ」

「まあ、雷の御霊の持ち主ですからね」


 肩を揺らして笑う男に、頼朝は些か硬い声を向ける。


「そんな話をしにきたんじゃないだろう、義門よしかど。本題に入れ」


 からかうような口調の弟に話を促すと、義門は「失礼しました」と言ってわずかに居住まいを正した。


「義平さんの協力もありまして、ようやく調べ終わりましたよ」


 調査結果です、と言って、紙の束を差し出す。それを受け取って、頼朝は目を落とした。


「……確かだな」

「間違いはありません」


 義門は胸を張って言う。


「御霊を宿したまま死んだ者達の転生、すべて確認いたしました。源平の戦いに関わっている者ばかりではないし、必ずしも日本人に生まれ変わっているという訳でもありませんからね。苦労しましたよ」


 やれやれといった調子で肩を落とす義門。


「ご苦労だったな。お前は本当に優秀な弟で助かる」

「おや、そんなことを言うと他の弟達が嫉妬しますよ」

「本心だ」


 この同い年の弟はあらゆる面で頼朝をサポートしてくれている。範頼や義経には話せないことでも打ち明けられる、頼りになる存在だ。


「これで、準備は整ったか……」


 重い口調で呟いて、頼朝は手にした紙の束を蝋燭の火に近づけた。火が燃え移り、紙は焔を上げて室内を明るく照らした。

 炎が手に届く前に、頼朝は紙をぱっと放す。そのまま、机の上に落ちるはずだった紙の束は、空中で無から生まれた水の膜に包まれてその中でぽっと燃え上がる。水の膜の中で燃え尽き、机の上に落ちたのはわずかな燃え滓のみ。


「そろそろ、義経に真実を教え、範頼の封印を解くべきではありませんか」


 黙り込んだ頼朝に、義門が声をかける。


「兄上も、御霊が使えない振りをするのは大変でしょう」


 義門の台詞に、頼朝は無言のまま静かに目を閉じた。瞼の裏に映るのは、十六年前のあの日。初めてこの手に、範頼を抱いた日の記憶。

 義経は仕方がないとしても、出来るなら範頼にはこのまま平和に暮らしてもらいたい。だが、それが不可能なことはよくわかっている。


 すべてを始める覚悟を固めながらも、範頼を再び戦闘の中に置くことには迷いがある。

 そんな自分を笑い飛ばしたい気分で、頼朝は口の端を歪めた。


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