第14話 義平の懸念


***



 レポートを書く手を止めて時計を見ると、いつの間にか御前零時を回っていた。

 範頼は椅子の上で伸びをすると、寝る前に水を飲もうと立ち上がった。

 義経も頼朝ももう寝ているはずだから音を立てないように階下に降りた範頼だったが、居間にはかすかな明かりが灯っていた。


「義平さん?」


 キッチンの明かりを背景に、リビングの窓辺に座った義平が、月を見上げてちびちび酒を呑んでいた。昼間も相当な量の酒を呑んでいたが、少しも酔っているように見えない。


「おう、六郎か。まだ起きてたのか」


 義平は盃を持ち上げて範頼を招く。飲んでいる一升瓶がほとんど空になっているのを見て、範頼は少し呆れた。一体どれだけ呑むんだ。

 普段の源家では、唯一の成人男子である頼朝が酒を呑まないため、ぷんと薫る酒の香に慣れない。


 しかし、酒を呑む人間がいないはずなのに、今日の頼朝は義平のために大量の酒瓶を出してきた。外に買いに行っていた様子はないから、この家のどこかに酒があったということだろう。もしかしたら、自分達の見ていないところで頼朝が酒を呑んでいるのかもしれないが、それにしたって物置とかにこっそり隠しておけるような量じゃなかった。


 また一つ、我が家の謎が増えてしまった。我が家の、というか、正確には頼朝の、だ。義経と一緒に数えている「頼朝兄さん七不思議」にまた一つ新たな謎が追加されてしまった。

 謎といえば、刺客を倒した後はいつも謎の男達がやってきて刺客を運び出していく。幼い頃は救急隊員かと思っていたが、頼朝が救急車を呼んだことはないし、気絶した刺客をいちいち病院に運んでいたらしょっちゅう大量の怪我人を出す家として警察に目をつけられてこの家で何が起きているのか探られてしまうだろう。

 謎の男達について頼朝に尋ねても「部下」としか答えてくれないので詳しいことはわからない。昼間に義平が倒した刺客も、すぐに運び出されていった。


「おう、突っ立ってねぇでそこに座れよ。ちーと付き合ってくれや」


 促されて、範頼は義平の隣に腰を下ろした。


「今日は楽しかったです。義経が「あんな風にはしゃいでる頼朝兄さんを見たのは初めてだ」って笑ってました」


 一日中あれこれと義平の世話を焼いていた頼朝の姿を思い浮かべて、範頼は微笑んだ。


「可愛い弟に会うのが久しぶりだったもんで、俺も浮かれちまってな」


 義平はイタズラっぽく笑った。浮かれたとかそういう問題だろうか、といまだに壁にめり込んだままのトラックを見て思うが、義平にはどこか人を惹きつけるところがあると範頼は思った。


「今度は頼朝兄さんが小さい頃の話を、もっと聞きたいな」


 範頼が何気なくそう言うと、義平がふと真顔になった。


「なあ、六郎。お前に一つ聞きたいことがある」


 声に真剣な響きを滲ませて、義平がふと真顔になった。


「お前は「源頼朝」をどう思っている?」


 範頼は眉をひそめた。質問の意図がわからない。


「どうって……」

「死んでた俺はよく知らねえが、前世でお前と九郎は源頼朝に殺されたんだろう?」


 義平は淡々と事実を述べる。その目がすっと細くなって範頼を射た。


「源頼朝が、憎くないか」


 義平の言葉に、範頼は目を見開いた。

 確かに、範頼も、そして義経も、前世では平氏滅亡の後に頼朝に謀反の疑いをかけられて滅ぼされている。


「俺はな、今生でお前と九郎がまだ小さい時に、鬼武者に言ったことがある。そいつらが大きくなった時のことを考えろ。お前の敵になるかもしれねぇぞってな」

「なっ……」


 範頼は激昂して立ち上がった。


「ふざけるなっ! 俺達が兄さんの敵になんてなるわけないだろ!」


 何も知らない癖に、と範頼は義平を睨みつける。


「アンタは十一年も兄さんを放ってどっか行ってたから知らないんだろうけどな! 兄さんはいつも俺と義経を全力で育ててくれたんだ! 前世なんか関係ない! 今の兄さんは天下人じゃなくて、世界一かっこいいブラコン兄貴なんだよ」


 そうまくしたてると、探るような目つきで範頼を見る義平と睨み合う。

 兄として頼朝を心配する義平の気持ちはわからなくはない。だが、いきなり現れて頼朝の一番の理解者のような顔をされてはたまらない。頼朝は、義平の弟である以上に、自分達の兄なのだ。


 長い睨み合いの末、義平がくっと笑みを漏らした。


「いやあ、すまねえ。今のは忘れてくれ。俺が悪かった」


 肩をすくめて謝罪され、範頼は怒りのぶつけどころを失ってきょとんとした。


「俺は前世で鬼武者にすべておっ被せて死んじまったからな。今生ではせめてあいつを守ろうと思うんだよ」


 だから聞いておきたかったんだと、義平は安心したように笑った。

 冷静になると急に恥ずかしくなって、範頼は顔を赤らめながら床に座りなおした。


(なんか、からかわれた感じがする……)


「や、でも、本当に前世とか俺はあまり考えてないんで」


 いたたまれない心情を誤魔化すために、範頼は早口で弁解を始めた。


「前世っつっても、ばっちり全部覚えてるわけじゃないし……正直、記憶にあるのは兄さんや義経に出会った辺りが一番はっきりしていて、後はおぼろげって言うか……死んだ時のことなんかも全然覚えていないから、兄さんに滅ぼされたって聞いてもピンとこないし……」


 事実、範頼が前世の自分の死因を知ったのは、自分で思い出したのではなく中学の歴史の授業によってだった。とても驚いたが、まあ戦乱の世じゃそういうことも仕方がないだろうと、どこか他人事のように納得したのだった。


「ひどく曖昧であやふやしてて……前世の記憶なんてそんなもんでしょ? それに振り回されるなんて馬鹿げてますって」


 照れ隠しに頭を掻きながら笑う範頼の言葉に、義平はすうっと目を細めて酒を一口呑んだ。その脳裏に浮かぶのは、己に伏し請う幼い頼朝の姿だ。


『お願いします、兄上』


 あの頃、頼朝はまだ十にも満たない子供だった。いくら前世の記憶があるとはいえ、源氏の軍勢をまとめ上げて平氏と戦うのは無理だと、義平は思っていた。

 だが、頼朝は既に覚悟を決めていた。源氏の頭領として、果たさねばならぬ使命があると。


『俺に力を貸してください』


 その瞳に八百年前と同じ強い意志が宿っているのを、義平は確かに見た。

 その瞬間、例えどんなことが起きようともこの男を守ろうと、義平は決意した。何からも、誰からも、必ず守ってみせると。


「なあ六郎。これだけは覚えておいてくれ」


 義平は静かな声で繰り返した。


「俺はあいつを守る。あいつの敵となる者には容赦しねぇ。それがどんな相手でもだ」


 それだけ言うと、義平は立ち上がって居間から出ていった。その背中を見送りながら、範頼は首を傾げた。


「結局、何が言いたかったんだろう……それにしても、義平さんも結構ブラコンなんだなぁ……もしかして血筋? 遺伝だったりして……」


 普段義経と共に頼朝をブラコン呼ばわりしている範頼だが、自分達だって相当にブラコンであることは自覚している。


「血の繋がりってすげぇなー」


 範頼は苦笑しつつ大きな欠伸をした。


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