第2話 “シミュラクル"というゲーム

 VRMMO “シミュラクル”。構想十年、開発十年——某大手が社運を賭けた全没入型タイトルは、リリース直後から世界規模の熱狂を呼び、二年たった今も同時接続は常時百万超。総登録は軽く億を超えた。ログインのたび、世界はほんの少しだけ広がる——だから、人は帰ってくる。


 ◇◇◇


 左手の体温が、キーボードへゆっくり移っていく。さっきまで握っていた“手”の熱を離したくなくて、俺はまずフレンドリストを開いた。クランDM(/tell)を立ち上げ、宛先はひとり。


 ハンドル:鈍色のゼロ

 宛先:竜騎兵ルチア


【鈍色のゼロ】ついにやった

【竜騎兵ルチア】お、深層ソロ?

【鈍色のゼロ】違う。ガチャのほう

【竜騎兵ルチア】えwww

【鈍色のゼロ】メアリ


 “学園都市編”は卒業までが長い。最短でも八時間。毎周で同期の顔ぶれが変わり、彼らはそれぞれ独立AIで動く。だからイベントは自動生成、同じ学園生活は二度と来ない。卒業の瞬間、誰と二人で転移門をくぐるか——それが“パートナー”。以後、どんな展開でも離脱しない、物語の要だ。


【竜騎兵ルチア】……え、メアリって“あの”メアリ?

【竜騎兵ルチア】幻の?

【鈍色のゼロ】ああ。562回目で、ようやく

【竜騎兵ルチア】レジェンド更新。おめでとう

【鈍色のゼロ】ありがと


 メアリは出現確率が異常に低い“伝説級”。一年目の終わりに編入してくることがあり、チュートリアル明けの同期確定では邂逅の可否すら判別できない。確定は隠し値“絆”。しかも本人は感情表現が薄く、パートナー成立の報告は、これまでただの“一件”として存在しない。——だからこそ、この重みは桁違いだ。


【竜騎兵ルチア】てことは、しばらくそっち専念だね?

【鈍色のゼロ】悪い、万魔殿は一旦ストップ

【竜騎兵ルチア】ゼロ不在は痛いけど、しかたない

【竜騎兵ルチア】ギル君と遊んで待ってる

【鈍色のゼロ】なる早で戻る。10日くれ

【竜騎兵ルチア】普通は無理w

【鈍色のゼロ】誰だと思ってる。鈍色だぞ?

【竜騎兵ルチア】はいはい、リーダーでした


 《SIMULACRUM WORLD GUIDE》

・学園都市編:基礎構築/約8h〜(対人・教練・“絆”形成)

・六大陸編:冒険/生活/生産解放(鍛冶・錬金・開墾・恋愛)

・万魔殿編:オンライン共闘 (現世界到達:42F/66F)


 ——世界は三層で呼吸している。剣・槍・弓を極めても、生産で神具を“呼吸するみたいに”生み出してもいい。NPCと恋に落ちて二・五次元の伴侶と暮らすルートだって許されている。そして頂にあるのが万魔殿。オンラインで世界中の手練が寄り合い、また散っていく場所。


【鈍色のゼロ】そっちは任せた、ルチア

【竜騎兵ルチア】OK。まかせ——


 「入力中……」の表示が固まって、ふっと消えた。そこでチャットは途切れた。


 ゲームの自由は、ときに冷酷だ。誰と門をくぐるか——その一点で、その後のすべてが形を変える。


 ◇◇◇


「とにかく続きだ。……ようやく冒険に出られる」


 ヘッドギアを被り直し、意識をゲームへ沈める。光に満ちた転移門の向こう。今この瞬間を待っていたかのように浮かぶ光球が、俺たちに無数の可能性を仄めかす——炎の塔、霧の森、銀の雪原、風の谷、砂の海——どれでもない何処かへ、これから俺たちは旅立つ。隣でメアリが静かに俺の手をとり、光球に重ねた。淡い輝きがぐんと強まり、暖色の光が視界を満たして——


 ——ピンポンパンポーン。


 まばゆさに目が慣れる前に、軽い電子音が耳を打つ。メッセージウィンドウが視界に立ち上がった。


『メンテナンスのお知らせ。“シミュラクル”の公式リリース二周年を記念し、本日 23:50 より大型アップデートを実施します。終了予定は明日 16:00。サービス再開までしばらくお待ちください』


「え、おい……。いいとこで……そうか。今日はちょうど二年目か」


 何度も告知されていたはずなのに、すっかり頭から抜けていた。ワールドクロックは 00:05。


「運営さん、今夜くらい一緒に祝わせてほしかったな。徹夜メンテ、お疲れさまです」


 ひとりごちて、背もたれに深く身を預ける。希望に満ちた笑みのまま、俺は意識をそっと手放した。

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