シミュラクル!〜強くて(?)ニューゲーム──リセマラしたデータは全てパラレルワールドになった様です〜
やご八郎
第1話 リセマラ完了
◇◇ 学園都市チェイズ——ダンジョン最深部
幾度も通ったその場所——巨大な“転移門”の前に、俺は再び立っていた。半円を描く石床は古い刃物みたいに冷え、足裏から熱を奪っていく。
門は黄金の地金に星座のような宝石を散らし、中央の宝珠はかすかに呼吸するみたいに明滅していた。明滅は鼓動より半拍遅い。耳の奥で低い唸りが続き、金属の匂いと古い香油の残り香が鼻腔に貼りつく。
そっと掌を当てる。しかし沈黙は破れない。——ここは独りでは越えられない、と何度も思い知らされた境界だ。
「ついに、この先へ進む日が来たのか……」
喉の奥で熱が揺れ、言葉が霜みたいに白く散る。指先には薄い切り傷の跡。ここに届かず退いた夜の数だけ、薄く増えた印だ。そのとき——
「どうかなさいましたか?」
振り向けば、銀髪碧眼の少女。磨き込んだ刃の静けさをまとうのに、指先だけは小さく震えている。呼吸は深く、瞳は揺れない。彼女は一拍置いてから、言葉を選ぶように告げた。
「私を、あなたの“パートナー”にしてください。これから先、ずっと……この身も、この剣も——あなたと共にあることを誓います。あなたと高みを目指して、どこまでも歩んでいきたい」
真っ直ぐに差し伸べられた手。その誘いの言葉。
それはこれまで、“俺が”彼女にやってきたこと。
ここで首を振られた回数を、彼女は知らない。
だが、俺は覚えている。それでも今日だけは違う、そう、彼女の瞳が言っていた。
「……手を、取ってくださいますか?」
「もちろん。……俺も、俺のすべてが、これからも君と共にある。よろしく、メアリ」
「……ありがとう」
小さく、確かな微笑。触れた掌の熱が針で縫い合わされるみたいに重なり、その瞬間——宝珠の拍動が俺たちの脈に同期した。
低い唸りが一段上がり、奥で重い錠が一つずつ外れる乾いた音。門扉がきしみ、溜めていた季節の風のような暖かな光がこちら側へ押し寄せる。踏み出すたび、足場が一枚、また一枚と透明になり、耳鳴りが細く長く伸びた。
境界は冷たい。けれど、握った手は温かかった。
俺とメアリは並んで一歩、また一歩と踏み出し——光に溶けた。
◇◇◇
「うおおおおお——っ!」
深夜の安アパートに、抑えきれない声が跳ね返る。ヘッドギアを外すと、額のパッドには白い塩の輪。無造作に伸びた髪に汗の冷たさが走り、こわばった首と肩を鳴らす。擦り切れたバングルの跡は薄い火傷みたいに赤く、皮膚の下で脈がまだ速い。冷蔵庫のモーターが低く唸り、隣室のテレビの笑い声が壁を薄く震わせる。窓の外では配送ドローンの影が一度だけガラスを横切った。
金属と香油の匂いが、まだ指先に残っている。
頬の熱と胸の鼓動が、ただひとつの事実を刻んでいる。——ついに“メアリ”が俺の“パートナー”になった。五百六十二回目の周回で。
「……やっと、届いた。」
喉の奥で笑いがこみ上げる。言葉はうまく出てこないのに、笑いだけが零れて止まらない。天井のヒビを数えかけてやめる。思い出すのは、伸ばした手が空を掴んだ夜、光が背中で冷えた朝、扉の前で息が合わず流れていった季節。それら全部が今夜ひとつの音にまとまり、呼吸がやっと整う。
机の端に置いた古い端末が薄明かりを返す。レンズ越しの世界は遠いのに、掌の温度だけが現実に残る。何かが始まる気配は、派手な音ではなく静かな重みでやって来る——そういう夜が、確かにある。
——左手に、まだ微かな体温が残っていた。
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