37. to.ri.ca.go

 放課後に甲斐先生に呼び出され、進路指導室に向かう。

 呼び出される理由に見当がつかず、何の話か少し不安だ。


「失礼します。」


 甲斐先生はすでに待っていて、いつになく真剣な顔をしている。椅子に座ると、まずは今朝の痴漢の話から始まった。


「なんか、俺って昔から男の人にも好かれる傾向があるというか・・・。」


 全く迷惑な話だ。痴漢のおっさんの顔がよぎる。

 甲斐先生がじっと俺の顔を見つめる。


「うん。朔を好きになる男の気持も分からなくないけどな・・・。」

 楓くんと同じことを言ってきて笑える。


「お前が芸術のために磨きをかけてることは分かる。そのお陰か、スカウトの話が来た。」

 名刺を差し出された。


 俺でも知ってる大手芸能プロダクション名が書かれている。芸能活動への道が具体化しても、別に嬉しくなかった。


「そんなに嬉しそうじゃないな。実は俺もお薦めしない。確かにプロダクション契約を結べば、いろんな勉強や訓練が出来たり、同じ事務所に所属しているアーティストと交流できたりするかもしれない。

 でも、お金になりそうな仕事は選択権無くやらされる可能性が高い。芸大に行きたいって言っていたし、早く芸能活動を開始するにしても、大学に入ってから考えた方が良い。」


 甲斐先生が親身になって考えてくれたことが分かる。考えは同じだった。


「ありがとうございます。高校では勉強だけじゃなくて、友達とか、今しか感じられない、いろんなことを学びたいと思っているから芸能活動に時間を裂く余裕はないです。

 芸能活動も、やるからにはしっかりやりたいので、準備が整ってから始めようと思っています。もしもここのプロダクションが、今回の話を蹴ったらもう声をかけてくれないってなっても、後悔はありません。」


 甲斐先生はそうか、とほっとした顔をした。


「じゃあ、この話は俺から事情を説明して丁重に断っておくよ。それでいいか?」


「ありがとうございます。助かります。じゃ、このあと少しダンス部に顔を出す約束してるので、これで。」


 進路指導室の扉を開けようとすると呼び止められた。


「危ないから、絶対に夜の公園とか、夜の繁華街とかに一人で行くなよ。」


「先生、大丈夫ですよ。過保護だなー。」


 先生が真顔だったのは少し引っ掛かったが、そのときの俺は本当にそう思った。


 

 移り行く季節が、風を冷たくさせた頃。

 ダンス部でも活動するようになり、男子メンバーで出場するブレイクダンスコンテストの見学に行った。

 まだまだ出場する技量は無いため、見て勉強しておこうと思った。松下は小学生の時からダンスをやっているらしく、安定したダンスを魅せる。

 かっこいー!特に松下がレベチで格好いい。

 マイケル・ジャクソンとか、どの程度こういうダンスを習得したのかな。

 やはり、憧れが行き着くところはキングオブポップスだ。


 コンテストは遅い時間から開始されたので、終わったのが夜の八時だった。会場が家から遠く、家に着くのは九時ぐらいかな。

 松下たちと感想等を話ながら駅につくと、電車が止まっていることに気付く。人身事故のようだった。


 三十分後に復旧すると表示があったため、咲樹に帰りが遅くなることをメッセージで連絡する。『了解』と淡白な返信があった。

 案の定復旧は遅れ、家の最寄り駅についたのが十時頃。ここから公園を抜ければ早く家に着く。

 ちょっと暗いけど、公園を抜ける方を選択した。

 ベンチではカップルがイチャイチャしている。香月たちのイチャイチャなんてイチャイチャじゃないな、とか考えながら歩いていると、足音が近づいてきた。

 この前の甲斐先生の忠告が頭でリフレインする。

 痴漢にあったときの嫌な気持ちが戻ってきて、恐怖が襲う。

 足音が至近距離で止まり、振り向くと男の人がじっと見ていた。


「君、佐倉朔くんだよね。」


 腕を捕まれそうになり、香月にもらった防犯ブザーを握りしめて、全力で家まで走った。家に上がり込み玄関の鍵を締める。

 玄関に倒れ込むと、咲樹と百香さんが走ってきた。


「どうしたの!?」


 咲樹が心配そうに顔を覗き込む。襲われそうになったことを話すと、百香さんが玄関を少し開けて外を確認する。


「あの人かしら。こっちを見てるわ。」


 え、まだいるの!?俺も隙間から確認するとさっきの人だった。咲樹が警察を呼ぼうかと言ったが、大事にしたくない。

 百香さんが「私、話してくる。」と言って玄関を出ていった。


 玄関を少し開けた隙間から、俺と咲樹は百香さんを見守る。


「何かあったらすぐに警察に・・・。いや、先にお父さんに連絡した方がいいかな。」


 そわそわしながら見ていると、話が終わったみたいで、男の人は帰っていき、百香さんは何かを持って戻ってきた。


「朔をスカウトしたいそうよ。今日はもう遅いから、こちらから連絡するって言っておいたけど良かったかしら。」


 名刺を差し出され受け取ると、この前の芸能プロダクションだった。とりあえず変質者じゃなくて良かった。

 安堵の息が漏れる。


「ありがとう。もも・・・、か、母さん。」

 百香さんは驚いた表情で固まる。


「ふふっ、やっと呼べたね!おめでとう!」

 これが百香さんを初めて母さんって呼んだエピソードになってしまった。百香さんは涙ぐんでいる。


「子どもに初めて「ママ」って呼ばれたみたい。本当に嬉しくて、どうしよう。ありがとう。」

 お母さんか。やっぱり、いると嬉しい。


  

 次の日。学校で甲斐先生に昨夜の話をした。

 直接俺と話をしないと納得しないらしく、プロダクションの人とは学校で会うことになった。


「大変そうだね。プロダクションの人、けっこうしつこいらしいじゃん。この前の文化祭のダンスは映像研がアップした動画の再生回数かなり多くなってるらしいし、他のプロダクションに取られたくないんだろうね。」


「そうだろうけど、取られる取られたくないの話じゃないよね。こっちも選ばれるように努力してるんだから、そっちも選ばれる魅力を備えろよって話だっつーの。ストーカーみたいなのは減点。」


 香月は強気な俺を見て安心したらしい。俺が流されやすいから心配してくれていた。

 俺だって日々成長しているのです。


 早速、放課後に例のスカウトマンが来た。改めて今の気持ちを伝え、丁重にお断りした。

 スカウトマンも分かってくれて、高校を卒業する頃にまた、連絡をくれると言ってくれた。


「エンターテイナーも大変だな。」

 そのスカウトマンを見送りながら、甲斐先生がため息混じりに呟く。


「全然大変じゃないよ!今まで見てきたアーティストとかパフォーマンスとかって、元気くれたり、癒してくれたり、キュンキュンさせてくれたり、楽しく生きるエッセンスって言うのかな。そういうの、俺もたくさんの人に提供出来るようになれるんなら、歌や楽器やダンスの練習も、美容のケアも、ちょっと変な人に好かれるのも別に大したことない。むしろ楽しい!」


 甲斐先生に優しく頭を小突かれる。


「なんだよ。成長しちゃって。この前までエロい歌詞の曲の歌い方に迷ってた癖に。プロになったら、いろんな歌詞や曲にも対応しないといけないんだぞ。」


 MAROON5のSundayMorningのことかな、去年の話だ。


「朔のダンスがかっこ良かったから、気になってShuta Sueyoshiの楽曲チェックしたんだけどさ。『to.ri.ca.go』とか歌詞がけっこうエッジが効いてて、朔に歌えるのかなって思っちゃった。

 本人も可愛い顔してるのにああいう曲もかっこよく歌って踊れるから支持されるんだろうね。」


 確かに、今の俺にはあの歌をかっこよく歌えるかっていわれると、無理かもしれない。まだまだだなぁ、俺。


「どうやったらああいう過激な感じのもかっこよく歌えるようになるのかな。」


「そんなもん練習、想像、体験のうち出来るやつで何とかするんじゃない?まだまだお前も成長中だから、頑張れよ!俺は楽しみでしょうがないよ、おまえらの成長が。」


 出会ったときの甲斐先生は、先生をやるのが面倒くさい感が漂っていたが、今は本当に生徒思いの良い先生だ。ふざけて先生に抱きつく。


「先生も成長してんじゃん!好きだぞ。」

 先生は「おい、やめろ。」と言いながら逃げる。


「お前、俺が本気になったらどうすんの?」


「あぁ、それは困るなぁ。出来れば女の子とお付き合いしたい。」

 先生にじっと見つめられる。


「『ユズ』と何かあった?」

「うん・・・。別れたいのに別れられないでいる。」

 先生は優しく笑ってくれた。


「お前には音楽がある。困ったときや悩んだとき、悲しいときは音楽が助けてくれるよ。それだけじゃない。嬉しいときも楽しいときも、音楽はそれを何倍にもしてくれる。

 それに、バンドメンバーも皆仲間だし、俺にも頼って良いぞ?」


「先生・・・、ありがとう!」

 抱きつくと、今度は背中をポンポンと撫でてくれた。


「まったくお前は、小学生か。お前には、音楽で皆を癒したり笑顔に出来る力があるから。頑張れよ。」


 やっぱり、先生は偉大な先生だ。前向きな気持ちが溢れてやる気が漲る。

 俺には音楽と皆がついている!きっとうまく行く!

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