32. たしかなこと

 姉に車で送ってもらうことになった咲樹を見送り、風呂に入る。

 足の怪我は痕に残ってはいるが、すっかり治り風呂でも痛くなくなった。

 体を洗い、湯船に浸かる。ボーッとしていると部屋でのキスことが浮かんでくる。

 ほんとに、理性が飛びかかっていた。

 咲樹も強く抵抗しなかった。

 でも、ここで決意を曲げるわけにはいかない。

 咲樹を大事にしたい。もっと慎重に動かなければ・・・。


 風呂から上がると姉が帰って来ていた。

 お礼を言うと、あんたも早く免許欲しいでしょ、とどや顔をされる。

 免許をとったらいろんなところに咲樹とドライブしたいな。


 部屋に戻ってベッドに横たわると、微かに咲樹の匂いが残っていた。思わず掛け布団を抱き締める。

 一緒に寝られたら幸せだろうな。

 キスって、すごく気持ちいいんだな。

 あんなに深くキスをするのは初めてだった。

 ベッドの上で抱き締めたときの感触。

 今日は胸元が開いている服で、谷間が見えていた。腕や胸板に当たったときの柔らかい感触が忘れられない。

 あそこで止めることができた自分もちょっと褒めてあげたい。

 一年半か・・・。

 受験が終わったら、どうやって誘うんだろう、とか、場所はどこがいいんだろう、とか考えていたら眠ってしまっていて、案の定エロい夢を見てしまった。



 その次の部活。

 音楽室に朔と蓮の歌声が響く。いよいよ文化祭の練習が佳境に入っている。

 セットリストも決まった。午前と午後でそれぞれ十五曲ずつ演奏することになった。午後は全部King Gnuだ。去年は演奏時間とトークの時間がバランスが悪かったので、その辺りは重点的に見直された。


 午前の部では、朔のエンターテイナーになりたい発言により、先生から課題が出されている。老若男女が楽しめるステージにすべく、ダンスも取り入れることになった。

 ダンス部に相談して一部のメンバーとコラボすることになり、朔はダンスの練習もしている。


「これ、去年の比じゃないわ。あっつ。」


 ダンスの練習を一時中断し、朔が休憩する。

 Shuta Sueyoshiの『SO-RE-NA』を踊ることになり、振り付け動画を見ながら練習している。

 案外呑み込みが早く見ていても楽しい。

 かなりキレッキレのダンスだが、全力で挑むと頑張っている。

 甲斐先生もなぜか「どう見られてるかを考えて踊れ!」とダンスへの指導も熱かった。

 曲の演奏もテクノポップな感じを求められるため、みくがシンセサイザー担当に抜擢され、一生懸命練習している。


 最近朔は何か吹っ切れたのか、とっても溌剌と活動している。

 窓辺で休憩していると、テニス部の女の子が手を振ってきて、朔が手を振り返すと「キャー!」と言って走っていった。朔は爽やかな笑顔だ。


「かーわいい。俺なんかにキャーって言ってくれた。」


 この前まで人間不信だったとは思えない。


「フェスのお土産ありがとう。楽しかった?」


「うん。蓮とみくに、チャラいやつだと思われちゃった。もうチャラくてもなんでもいいけどさ。」


 なにそれ、と内容を聞くと、ナンパの話とかキスの話で、そりゃそうなるだろ。

 それに、ユズくんさんと付き合っていることを公表したことも聞いて、驚いた。

 皆もそんなに偏見を表に出さなかったらしい。


「お前は?咲樹とデートしたんだろ?」


 煩悩との戦いだったことを伝える。


「みんな、お前らを崇拝してるから、頑張って貫いてくれ。」


「よくわからないけど、俺は絶対にくじけないともう一度カツをいれたから。」


 朔にも決意表明をして、外堀から攻める。


 蓮は拡声器を使っての練習だ。

 ラップのパートもあり、少し苦戦していたが様になってきた。


「あいつ、サングラスかけたらワルい感じで歌えるようになったよ。おもしろ。」


 朔と蓮もいい感じで作用しあっている。

 披露する曲の中に『Don't Stop the Clocks』という曲があって、その曲は朔のボーカルと咲樹のギター、俺のヴァイオリンという三人の構成での演奏になった。合わせてみると、すぐに馴染んだ。


「この曲は父さんの思い出の曲になるんだろうな。」


 咲樹も「そうだね。」と言って笑う。京都に飛んでいったきっかけになった曲らしい。

 朔が「あ、香月。来週の土曜日暇?」と急に話を振ってきた。空いてることを伝えると、金曜日から泊まりに来いと言う。

 咲樹を見ると、頷いている。


「実は、来週の土曜日に百香さんが引っ越してくるんだけど、一緒にいて欲しいなって思って。」


 咲樹に頼られたら顔が緩む。もちろんいいよ、と返事をする。


「お前、俺と咲樹との対応が違いすぎない?」


 顔がゆるゆるになっているらしい。


「当たり前じゃん。好きな子にお願いされたら何でも引き受けたくなるよ。」


「まぁ、そうだよな。俺のことは好きじゃないってことか。」


「違う。朔のことも好きだよ。でも、一番は咲樹。」


 この双子の影響で、俺も「好き」というワードを躊躇なく使うようになったな。


「あっそ。俺も、お前のこと好きだよ。でも一番じゃない。」


「あっそ。上位五位くらいに入ってれば良いかな。」


「うん。そこは入賞してる。おめでとう。」


 なんだこの会話。くだらないけど楽しい。 



 そして次の週の金曜日が来た。

 部活がある日だったたため、学校から一緒に佐倉家へ向かう。

 夜ご飯の食材を買うために、またやおはちに寄った。鮮魚コーナーに行くと徳さんが出てきた。


「咲樹ちゃん。怪我の具合はどう?」


 心配そうに聞いてくる。


「お陰様ですっかり治ったよ。ありがとう。」


 そうか、とほっとした表情になった。夜ご飯は串揚げ(揚げるだけ)になったため、魚の刺身も買ったら安くしてくれた。


 朔は相変わらずみんなに声をかけられながらお菓子とジュースを持ってくる。愛されキャラだ。まだ怪我のことを心配してくれていて、スーパーの荷物は朔が家まで運んでくれた。

 

 佐倉家に着き、夜ご飯の支度をする。揚げ物のため制服に油が付いてはいけないと、着替えた咲樹が揚げてくれた。

 お父さんが帰ってきて、一緒にご飯を食べる。


「香月くん、料理手伝ってくれてありがとう。」


「いえ、揚げ物は全部咲樹がやってくれたので、大したことしてないです。明日は大きな家具とかの搬入もあるんですか?」


 百香さんとは初対面だ。少し緊張する。


「引っ越しって言っても荷物はあまり無いみたいだし、うちに残していった百香のものはそのままにしてあったから、大してやることは無いと思う。香月くんは家族も同然だから、朔たちと一緒に百香とも仲良くなってくれると嬉しいよ。」


 家族同然という言葉が嬉しい。お父さんもなんだかそわそわしているみたいで、微笑ましくなった。十四年間も荷物を処分せずに残していたってことは、戻ってきてくれることを待っていたのかな。


 次の日。張り切って早く起きると朔がいなかった。ジョギングに行っているらしい。

 朝御飯の支度の手伝いをしているとお父さんが起きてきた。

 やっぱり今日もそわそわしている。

 朝の挨拶をして、お父さんがダイニングに座ると、咲樹がコーヒーを出す。今日は前もって病院を休んだそうだ。

 カフェラテを作っていると、咲樹が、美味しそう!というので、もうひとつ作ってあげた。

 朔が帰ってきてスムージーを飲んでいる。ストイックに体力作りに取り組んでいて、尊敬した。


 支度を済ませてリビングで話をしていると、インターホンが鳴り、お父さんが素早く玄関へ向かう。


「なんか、今日のお父さん、見てて忙しいね。」


 朔は「どんだけ楽しみにしてたんだろ。」と優しく笑った。


 先に荷物が届いたらしく、荷物を百香さんが使う部屋に運ぶ。家具は無かった。

 百香さんの部屋はお父さんの隣の部屋で、寝室はお父さんと一緒らしい。


 少しして、百香さんが到着した。玄関をお父さんが開ける。


「・・・お帰り。」


 お父さんのその言葉には十四年の重みが感じられた。百香さんは涙ぐんでいる。


「ただいま。」


 朔と咲樹も微笑んでいる。

 なかなかすぐには受け入れられないかもしれないけれど、いつかは蟠りがなくなるといいな、と願った。


 

 リビングで団欒する運びになる。

 自己紹介をすると、百香さんは優しい笑顔で接してくれた。

 前にお父さんが「いつもにこにこしてる」って言っていたけど、笑顔が可愛らしい人だ。

 朔の笑顔はお母さん似かな。


 朔が、勤め先や趣味など、色々質問している。自分達の名前の由来も訊いていた。


「朔は、月の初めっていう意味があって、初心を忘れず努力ができる子っていう意味付けで名付けたの。咲樹はしっかり根を張って育って欲しいってことと、咲の字には笑うっていう意味があって、笑顔の似合う優しい子になって欲しいと思って付けたの。」


 生まれる前から願いを込めてつけたんだろうな、と思う。

 朔は「へぇー。香月、月繋がりだね。」といっていた。

 うちの母親は姓名判断をやっているから、名付けには興味がある。親の、子に対する愛情や想いが名前として守っていくのかな、と今更ながら思った。


「部活の練習してもいい?あ、聴かなくていいから。」


 朔がお父さんと百香さんに言って、練習を始める。小田和正の『たしかなこと』。校長先生リクエスト枠でセットリストに入っていた。

 咲樹はアコギで俺はベースを演奏し、朔が歌う。お父さんと百香さんは微笑みながら見守る。


「♪自分のこと大切にして 誰かのこと そっと想うみたいに 切ないとき ひとりでいないで 遠く 遠く離れていかないで・・・」


 朔の歌声はそっと心に寄り添う。ただ歌っているんじゃなくて、語りかけるような、寝る前に絵本を読んでもらっているような、優しくて心地いい。

 この曲も、百香さんに語りかけているような感じがした。

 曲が終わると、お父さんと百香さんは号泣しながら拍手をしてくれた。


「何だか感動してしまったよ。涙が出るなんて、朔の歌は凄い。」


 お父さんは何度も頷いて胸に手を当てる。


「朔は、小さい時は泣いてばかりいたけど、強くなったよね。自分が泣くんじゃなくて、聴いてる人が泣いてしまう程に感動を与えられるなんて、私も、朔は凄いと想う。音楽と一緒に強くなったのかな。」


「音楽と一緒に、か。そっか。そうかも。これからもそうやって成長していきたいな。」


 ユズくんさんとのこともあり、朔は最近暗い表情が多かった。

 でも、少しずつ、一歩ずつ、強くなっている。

 きっと、誕生日が来て、ユズくんさんとの別れが来ても、朔は乗り越えられると思った。

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