29. おやすみ
週明けの放課後。軽音部のみんなで夏休み中の活動について話し合いながら、京都のお土産『茶の菓』を食べる。
「フェスはどうする?咲樹はやめといた方が良いかな。」
楓くんはとても心配そうにしていて、お兄ちゃんみたいでほっこりする。
皆の心配通り、私も行けば絶対飛んだり跳ねたりしてしまう気がしていた。
「だよね。自制できる気がしないから、私は留守番しとく。みんなで行ってきて。そして得たものを文化祭に活かして。」
残念だけど仕方がない。みんなに心配かけるのも良くないよね。
「実は俺も行けなくて。コンクール入賞者によるガラコンサートが重なっちゃったんだ。」
香月はコンクールで優勝したため、付随するコンサート等で忙しそうだ。楽団からのスカウトも来ているらしい。
今年は二人欠席でフェスに参加することで、朔が意見をまとめた。
学校での練習は去年と同じく週に一回で決まり、いつもの練習に移る。
蓮はギターだけでなく、歌の練習をさせられていて賑やかだ。
「歌は音程もバッチリなんだけどな。声が小さい。」
香月から指摘され、蓮はなぜか、少しだけ怯えている。朔が、「壁に背中つけろ。」と言って蓮を壁際に追いやり、蓮はさらにびびっている。
端から見たらパワハラだな、これ。
そのまま発声練習をさせたと思ったら、朔は蓮のお腹をぐっと押した。
「!!!」
急に声量が大きくなり、みんなが振り向く。
「これくらい腹に力入れないとダメだぞ。」
蓮は普段から大きい声を出したことがなかったようで、コツを掴んだ途端、大きな声を出せるようになった。
それに、蓮はエレキギターも上達してきた。
「俺、この部活に入ってよかったです。中に溜め込んでたものを出せるようになった気がする。本当は部活に入るのも親に反対されてたんですけど、成績は落とさない約束で許してもらって。咲樹ちゃんはかっこいいですよね。成績も良いし、ギターも上手だし。」
次期院長の息子かぁ。大変だろうな。
「将来は医者を目指してるの?」
「目指してますよ。でも、なりたいかって言われると正直わかりません。
小さいときから医者になるのが当たり前みたいな環境で育ってきたので、それ以外の道なんて考えたこと無いし。
素晴らしい職業だとは思いますけど、本当に自分に務まるのかも自信がある訳じゃ無いです。」
ふーん、と言って弦を弾く。なんか、主体性が無いな。
「蓮ももっと悩みなよ。医者という道以外にも目を向けて、自分がどうなりたいか考えるのって大事だと思う。悩んで出した答えなら、間違ってても悔いはないし。悔いがないなら間違いじゃないし。自分の人生なんだから。」
「うーん、そうですね。どうなりたいか・・・。考えてみます。」
なんだか空気が重たくなったので、とりあえず練習だ、と難しいエレキギターテクニックを黙々と練習した。
帰りの電車では、香月と朔との三人で土日の話で盛り上がった。
「香月の演奏かっこよかった。」
朔の目を盗んで、一瞬だけぎゅっと手を握る。香月は微笑んでくれて、胸もぎゅっとなる。
「ありがとう。咲樹のお陰だね。守ってくれたから。あのあとその足で京都に行ったんでしょ?すごい行動力。」
「俺たちの方がビックリしたよ。急にさ、『京都行くぞ』って、あの父さんが!ちょっとけしかけたところはあるけど、かっこよかった。
京都駅で百香さんを抱き締めてさ。ドラマかよって突っ込みたくなったね。」
近々、百香さんと一緒に住むことになったことも話すと、香月は自分のことのように親身に話を聞いてくれた。
香月と一緒にいるとなんだか落ち着く。香月が下りる駅につくと、また明日会えるのに名残惜しい気持ちになってしまう。
恋するって大変だな。
朔がデートの後で泣きそうな顔で帰ってくるのも無理はない。好きなのに、別れが近づいてるんだから。
テストが終わり、明日から夏休みだ。
しかし、椿がここ三日間体調不良で休んでいて、終業式も欠席したためプリントなどの配付物を受け取れていない。
困っていると思い、自宅に届けることにした。
「なんで俺も・・・。」
一人で行くのがちょっと気が退けたので、朔を連れていくことにした。香月は例のコンサートの合同練習だ。
「椿のことはもう好きじゃないの?」
「そりゃ、好きだよ。俺には無い強さを持ってて、憧れもある。
本当の藤原さんは柔らかくて、フワッと笑うところとか凄く可愛いよね。
でも、もう嫌われちゃったと思うし。」
椿の内面のところをよく知っていて驚いた。嫌われるようなことしたのかな。
椿の家の前まで来ると、そのスケールに固まる。予想はしていたがすごい豪邸だ。
別宅だって聞いていたけど、本宅は更にすごいのかな。大きな犬に吠えられ、朔が怯えて私の背中に隠れた。
「チキンだね。」
「だって怖いじゃん!」
朔の腕を引っ張り、インターホンを鳴らし名前を名乗るとお手伝いさんがすぐに出てきた。事前に椿に連絡を入れておいたので、スムーズに案内して貰えた。
家の中もすごい高級感だ。
普段お目にかからない、高そうな絵とか置物を見ていたら、椿の部屋に誘導された。
部屋の中は、私の部屋とは反対にシンプルでクールにまとめられている。
椿は少し顔が赤い。まだ微熱があるみたい。配付物を渡すと、椿は朔を見て表情を濁らせる。
「ごめんね、朔も連れてきちゃって。」
椿は首を振って、朔に話しかけた。
「佐倉くん、連絡をいただいていたのにずっと無視してごめんなさい。気持ちに整理がつかなくて。あの話って、そういうことなのよね。」
なんかギクシャクしてる。あの話って何だろう。朔は頷いて、まっすぐ椿を見る。
「結果的には俺の子じゃなかったけど、過ちを犯してしまったことに変わりがないことは分かってる。過去は変えられないし、それで藤原さんが俺のこと嫌いになっても仕方がないって覚悟はできてるから。」
俺の子じゃなかったけど?
どういうことか問い詰めると、ボイトレの先生と関係を持ってしまったことを白状した。
そういうことはその一回だけだということも。
「あの人か・・・。」
篠田楽器で見た彼女は、女の色気がすごかった。
ご懐妊中で幸せそうな顔をしていたけど、妊娠する前にそんなことをしていたなんて、信じられない。
そして矢野さんが持っていた風俗店の名刺が頭をよぎる。
なんで好きでもない人とそういうことができるの?と考えていたら、椿が口を開いた。
「佐倉くんが誰かとからだの関係になったことに気持ちの整理が付かない訳じゃないの。私も大して好きじゃない人としちゃったことあるし。
でも、もし父親になってたら、あなたはその人のものなってしまっていたのかなって思うと、苦しくて。
あなたが誰かのものになるのが、辛いの。」
椿の切ない表情に吸い込まれる。椿は朔のことを本気で好きなんだな、と思った。
「ごめん。俺は誰のものでもない。だから藤原さんに繋ぎ止められることもない。
人の気持ちなんて変わっていくものだし、気持ちが変わらないっていう保証はない。
それに今は、付き合っている人もいるから、ごめんなさい。」
空気が張り詰める。居たたまれなくなり、椿に「なんかごめん、早く元気になってね。」と言って豪邸を後にした。その後、朔とは無言で家に帰った。椿が大して好きじゃない人としちゃったことあるっていうのもかなりのパンチ力だった。椿の気持ちも分かるけど、朔の気持ちもわかる。人の気持ちは一筋縄ではいかない。
その日の夜は、なんだか眠れずに日付を越した。
香月の声が聞きたい。
深夜ゼロ時に電話したら迷惑かな、と思ったけれど、手が勝手に通話ボタンを押してしまった。
しばらく呼び出し音が鳴り、もう寝ちゃったかな、と思って終話ボタンを押そうとしたら慌てた声が聞こえてきた。
「っごめん!電話なんて珍しいからビックリして。どうしたの?」
香月の優しい声に、ほっとする。
「うん。声が聞きたくなっちゃって。ごめんね、寝てた?」
「まだ起きてた。そんな風に言ってくれるなんて、咲樹、可愛い。」
声を聞くと会いたくなってしまう。
今日の出来事を話すと、うん、と話の間に相槌を入れながら聞いてくれた。それだけで、癒される。
香月があのボイトレの先生の胸の谷間を見ていたことが脳裏に浮かぶ。
「香月も、好きでもない人と出来るの?」
少し沈黙が流れて、だんだん不安になる。
「好きな人がいなかったら出来るかも。健全な男子高校生はエロいことばっか考えてるし。でも、今の俺はしないし、したくない。」
うん、と言って言葉の意味を考える。
「俺、ほんとに長期戦覚悟してるから。咲樹が焦る必要もないからね。」
香月は私が我慢させてるのを心配になって焦っていると思ってる。
「香月・・・。そうじゃなくて、私も長期戦覚悟しなくちゃって思ったところ。」
結局は自分も我慢してるってことを言いたかった。
「あと、一年半か・・・。頑張る。初めては咲樹とが良い、というか、この先ずっと咲樹だけとしか考えてないから。健全なデートはしようね。」
香月の声に、また大好きな気持ちが更新される。
「電話すると会いたくなっちゃうけど、声聞けて嬉しかった。そろそろ切らないとね。おやすみ。」
香月もおやすみ、と言って電話を切る。
少しすると曲のリンクが送られてきた。佐香智久の『おやすみ』という曲。
男の子目線なのにすごく可愛らしい歌詞にキュンとなる。
明日もまた、大好きを更新できたら良いな、と考えながら眠った。
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