28. Don't Stop the Clocks

 咲樹が退院して一ヶ月が経ち、日常が戻ってきた。事件の示談などの手続きも一段落し、穏やかな休日を過ごす。

 久しぶりに土曜日に休みが重なった。今日は珍しく笹蔵くんが遊びに来ていない。

 何となく気になり、その事を朔に訊ねる。


「あいつは今日の昼過ぎから始まるヴァイオリンのコンクールに出場するから、今頃集中してるかな。」


 弾けることは知っていたが、音色を聞いたことはない。


「朔たちは、応援に行くのか?」


 うん、と嬉しそうにしている。

 私も聴いてみたいと思ったが、もう席はないだろう。そうか、と言って部屋にいこうとすると、「父さんも行く?」と言ってきた。

 笹蔵くんのお母さんが行けなくなって、チケットが余ったとのことだった。


 

 久しぶりに少しかしこまった服を着て家を出る。朔も咲樹も少しおめかししていた。

 会場まで車で行くと、すごく混んでいて驚く。何とかコインパーキングに停めて会場に行くと、笹蔵くんのお姉さんが待っていた。


「星さーん!久しぶりー!」


 朔が叫びながら近づいていく。星さんは私に挨拶すると、チケットを渡してくれた。


「すみません、弟のためにわざわざ。」

「いえいえ、楽しみです。」


 皆で連れだって会場に入った。

 こんなにちゃんとした会場でクラシックを聴くのは初めてで、緊張する。


 

 高校生は一般の部に入るらしく、次々と出てくるプロ顔負けの演奏家たちに圧倒された。


 そして、いよいよ笹蔵くんの番だ。

 フォーマルな服装に身を包んだ彼は、長身が生かされてとても雰囲気がありかっこいい。

 課題曲の『パガニーニのカプリース第二十四番』を演奏する。

 これがお正月に話していた早弾きか、と圧倒される。

 すごく複雑な指や弓の動きを、何でもないことのようにやってのけている。

 朔と咲樹を見ると、私と同じく圧倒されていた。


 演奏が終わり、力強く拍手を送る。朔たちは興奮しっぱなしだ。


「やばいね。あんなすごい人がうちのバンドでベース弾いてるとか、自慢するしかない。」


「動画の公式チャンネルで弾いてもらえば良いんじゃない?」


 なんか話が弾んでいる。

 その後数人の演奏を経て、結果発表までの休憩時間となった。


 ロビーで笹蔵くんと落ち合う。

 朔たちに混じって、私も興奮して感想を話した。


「素晴らしかったよ!何だか胸が一杯だ。」

「ありがとうございます!本当にお父さんが来てくれたみたいで嬉しいです!」


 彼の笑顔に連れて笑顔になる。

 笹蔵くんは咲樹を呼んで、「咲樹が勉強頑張ってるの見て、俺も練習頑張った。」と言っていた。そんな二人の姿は微笑ましく、煌めいて見えた。



 コンクールの結果発表を祈る気持ちで見守る。

 優勝者が発表されると、朔と咲樹は抱き合って喜んだ。笹蔵くんは見事に優勝した。

 壇上で賞状とトロフィー、副賞の三十万円が渡されている。

 笹蔵くんがこっちに向かって手を振ってきたので朔と咲樹と星さんと、大きく手を振り返した。


 

 会場を出る頃には日が傾いており、笹蔵くん姉弟を是非一緒にと食事へ誘った。

 何を食べたいか朔が意見をまとめてくれて、焼き鳥屋さんに入る。


「今日は私からお祝いとしてご馳走するから、好きなものを好きなだけ頼んでいいからね。」


 ありがとうございます、と香月くんと星さんが頭を下げる。

 すっかり馴染んで、下の名前で呼べるようになった。


「香月くんのお父さんは白血病でお亡くなりになったんだったね。急性だったのかな?」


 医者として何となく気になっていた。星さんがゆっくりと口を開く。


「急性骨髄性白血病です。若いからなのか、発症してからは進行が速くて。香月はあまり覚えてないかも。」


 香月くんは、「うん、ぼんやり覚えてる。」と星さんに微笑む。


「父は婿養子で、占い師でした。母と一緒になりたくて修行したそうです。優しくて良いお父さんでした。本当に母のことが好きで、亡くなるときは母を頼むとそればっかりで。」


 星さんも優しく笑顔を浮かべる。きっと、今も心の中に生きているのだろう。


「香月くん。本当のお父さんには敵わないかもしれないけれど、お父さんに相談したいことがあればいつでも私が相談に乗るから。」


 香月くんは少し照れて、「じゃあ、連絡先を・・・。」と、携帯電話の連絡先を交換した。

 メッセージアプリとかは苦手なんだが、朔たちに教えて貰おうかな。


 

 星さんの車で帰るという笹蔵姉弟と焼き鳥屋の前で別れて車を走らせる。少し走ったところで、朔がおもむろに話を振ってきた。


「父さん、百香さんとはあの後話し合ったの?」


 正直なんとも言えない。連絡は取り合っているが、会って話はしていない。

 煮え切らない私を見て、咲樹が溜め息をつく。


「お父さん。仕事を大事にしてるのも分かるけど、自分の人生も大事にしないとダメだよ。それに、生きてて会える状況なんだからさ。」


 うん、と言ったところで赤信号に捕まる。

 きっと、笹蔵くんのお父さんは私と同年代だろう。もっとやりたいことがあっただろうな。私がもし、今、余命宣告されたら、心残りは何だろうか。


「じゃあ、父さんに一曲プレゼントしてあげよう。咲樹、指パッチンして。」


 咲樹が指でリズムをとり始める。朔はゆっくり歌い始めた。

 こんなに高い声が出るようになったのかと感心する。

 King Gnuの『Don't Stop the Clocks』という曲で、部活で練習しているらしい。


 歌詞を聴いていると、百香のことに当てはまっていて、感慨に更ける。


「♪あなたとなら 季節は巡り始める 時計の針を進めて・・・」


 そのフレーズを聴いて、そろそろ進めないといけないと思った。


「朔たちは、・・・その、百香と一緒に住むことになってもいいか?」


 一番聞きたくて聞きづらかったことを聞いた。


「そんなの、父さんが一緒に住みたいなら住めば良いじゃん。息苦しかったら香月の家に下宿再開。」


 朔は冗談混じりで認めてくれた。咲樹は?と聞く。


「お父さんが一緒に住みたい人なら大丈夫じゃない?」


 咲樹も少し遠回しに認めてくれた。


「そうか。よし、じゃあ。今から京都行くぞ!」


 二人は「はぁ?今から?」と言って、笑い出す。


「じゃあ、新幹線の駅に行って。チケットとるね。車じゃ朝になっちゃう。」


 まるで近くのスーパーに行くくらいのスピード感で駅のホームに辿り着いた。

 咲樹が手配したのぞみの指定席で、京都に向かう。


「なんかワクワクしてきた!『そうだ、京都行こう。』だよね。あの曲サウンドオブミュージックじゃん。この前のリアルミュージカル思い出す。」


「やめてよ。良い思い出なのに!」


 朔たちは何だか盛り上がっている。

 こんなに気持ちが昂っているのは、久しぶりだ。

 今まで止まっていた二人の時計の針も進めたい。


 

 京都駅に着いたのは二十二時を少し過ぎた頃だった。

 百香に、話したいことがあるから京都駅に来てほしい、とメールを打っていたが、返信はない。


 京都駅に到着し、不安な気持ちで改札を抜ける。

 逢いたい。

 百香に逢いたい!

 必死に目を凝らして彼女の姿を探す。


「亮介さん!」


 振り向くと百香が息を切らしてこちらを見ていた。

 いざ目の前にすると、いろんな思いが込み上げ、固まってしまった。

 朔に「ほら。父さんだって、寂しかったんだろ?」と背中を押されて一歩踏み出すと、足が勝手に走り出して駆け寄って抱き締めた。


「百香・・・。ずっと一人にしてすまなかった。迎えに行くべきだった。・・・やっぱり百香がいないと寂しい。また一緒に暮らさないか?」


 え?と言ってしばらく反応がない。顔を覗くと、大粒の涙が彼女の頬を濡らしていた。


「百香・・・。ダメかな・・・。」

「そんな・・・、ダメなわけ無いじゃない!でも、良いの?」


 百香は朔と咲樹の方を見る。

 朔が近づいてきて、「良いよ。父さんが可哀想だし。」と明るく言ってくれた。


 

 四人でファミリーレストランに入り、今後について話し合う。朔と咲樹はまだ少し緊張しているようだ。


「実は、私が勤めている病院の系列で、そっちにある病院の小児外科医に欠員が出ていて、異動を申請しようと思うの。役職は外れるけど、現場は好きだし役職にはこだわってないから、良い話だと思って。」


 けっこう具体的に考えてくれていたんだと、嬉しくなる。

 百香が「ありがとう。嬉しくて、胸が苦しい。」と微笑む。

 その笑顔に照れてしまい頭を掻いていると、朔と咲樹がニヤニヤしながら見ていて恥ずかしかった。

 今回は完全に朔と咲樹に背中を押されたな。

 朔と咲樹に感謝を伝えないと。


「ありがとう。」

「ふふっ、良かったね。私も嬉しい。お父さんのこと大好きだから。一人じゃないよ。」


 咲樹に言われ、目頭が熱くなった。


 宿も咲樹が予約してくれていた。

 まだ一緒にいたい気持ちもあるが、夜勤があるため明日の朝帰らなければいけないので仕方ない。


「また、連絡する。」

「うん。待ってる。」


 名残惜しく百香と別れる。

 デートの後はいつもこんな感じだったか。

 昔すぎてちゃんと思い出せないけれど、胸がムズムズする感じはどこか懐かしい気がした。

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