23. 迷子犬と雨のビート
雨の中、夢中で走ってバス停にたどり着く。もう、バスは来ない。
ポケットのスマホが振動して、着信の相手を見ると甲斐先生だった。
「はい。咲樹は普通病棟に移りました。」
てっきり咲樹の状況確認だと思ったら、本題は違う内容だった。甲斐先生の話を聞いて、混乱する。
最近色々ありすぎて、もう嫌だ。
もう、佐倉朔を辞めたい。
バス停のベンチに座って雨に濡れていると、傘を差し出された。
「なんか、捨て犬みたいだぞ。変なのに拾われたらどうするんだ。」
傘の主を見上げる。
「香月・・・。」
香月は何も聞かず、迎えに来たお姉さんの車に俺を乗せてくれた。
「今日、泊まっていけよ。」
一人になりたくなかったので、ほっとした。
笹蔵家に着くと、既にお風呂が沸いていて、何故か香月と一緒に入らされた。
なんで一緒に?と思ったけれど、笹蔵家のお風呂はでかいし、檜だ。湯船に浸かると生き返った。
「さっきまで捨て犬だったのにな。『迷子犬と雨のビート』ならかっこいいのに。」
ASIAN KUNG-FU GENERATIONの曲を引っ張りだして、俺たちはバンドマンだったと思い出す。香月の傷を初めてしっかり見た。
絶対痛そう。
「香月って、そんなにひょろひょろじゃないね。腕とかけっこう筋肉がついてる。」
悩んでいることは一旦置いといて、親友とのボーイズトークに和む。
「朔も良い具合に筋肉ついたよね。夏のスパルタ訓練、だっけ。」
うん、と言いながら自分の体を見る。最近サボり気味だ。
「咲樹とは、仲直りできた?」
香月はとても嬉しそうに頷く。
「今回はほんとに、ありがとう。矢野さんにも助けられた。ファンになっちゃった。」
たっくんは咲樹に嫌われるようなことをしたって言ってたけど、何やったんだろう。今度会ったら聞いてみようかな。
香月が傷口をラップで巻いて、湯船に入ってきた。二人で入ってもだいぶ余裕がある。何でこんなにお風呂がでかいのか、聞いてみる。
「昔は大勢で住んでたみたい。今は三人しかいないから、もったいないと思うんだけど。シャワーだけで済ますことも多いよ。」
香月のお姉さんは料理は才能ないが、掃除は得意でやってくれるらしい。
「けっこう仲良いよね、お姉さんと。」
「うん。口うるさいけど、面倒見良いし優しいよ。美大生だから、たまに変なバイトさせられる。」
なんのバイトか聞くと、デッサンのモデルとして変なポーズをさせられたまま長時間動いてはいけないやつ、なんだそうだ。
「あー、温まった。ずぶ濡れで体冷えてたから、生き返った。」
「お前イケメンなんだから、本当に気を付けた方が良いよ。騙されやすそうだし。がちで防犯ブザー鳴らさないといけなくなるから。」
本当に心配してくれている。きっと、あの状況を見て、何かあったことは気づいているのだろう。
「お前が良ければ、咲樹が入院している間、ここにいたら?」
父さんの顔が浮かんだ。家にいてもどうせ一人だし、言葉に甘えさせてもらうことにした。
お風呂から出て、香月の服を借りる。パンツも新品をもらった。
ご飯は香月が作り、お姉さんと三人で食卓を囲む。和食だった。
「咲樹ちゃん、回復に向かってるって聞いてほっとしたわ。ニュースを見たときは、ほんとに驚いて固まっちゃった。
弟の名前も出て、頭が真っ白になるって、ああいう事だったのね。朔くんは何ともなくて良かったね。」
そうですね、と良いながらも複雑だ。俺は咲樹のように、誰かを守るために身を差し出したり出来るのだろうか。
「早くみんなの演奏が聴きたいな。最近は動画投稿の活動も活発だったから、楽しみだったのに。
咲樹ちゃんが入院している間はお休みするの?」
咲樹のギターがないと、課題曲が成り立たない。瀬崎くんではまだ代役は無理だと思った。でも、活動は休みたくない。
咲樹がそう望んでると思う。
「何とかして続けます。」
笑顔で答えると、お姉さんは喜んでいた。その後もお姉さんの楽しい話で食卓は笑いに包まれた。
「お姉さんって呼ぶのやめてよ。名前は『
さすがは占い師の子ども。星さんも香月も、名前がかっこいい。そういえば俺たちの名前の由来って何だろう。
香月の部屋はフローリングで、インテリアはシンプルにまとめられていた。優等生の部屋って感じ。
ベッドの下にお客さん用の布団を敷く。
「お父さんに連絡した?どこにいるか。」
まだしてなかった。
香月に促されて『香月の家にいます。咲樹が入院している間、泊まります。』とメッセージだけ送った。
すぐ既読になり『わかりました。』と返事があった。
「あと、ごめん。もう一人電話したい人がいるから、ちょっと外に行ってくるね。」
香月は特に気に止める様子もなく、ちゃんと鍵閉めてね、と送り出してくれた。
コール音が鳴り始めるとすぐに通話した。もちろん、ユズへの連絡だ。
「電話あって良かった。心配してた。大丈夫なの?今どこ?」
「メッセージ貰ってたのに連絡できなくてごめん。心配してくれてありがとう。
咲樹は一命を取り留めて、回復してきてるよ。俺は今、友達の家に泊まってる。
しばらく逢えなくなると思うから。ごめんね。」
逢えないと思うと逢いたくなる。
「朔は大丈夫なの?不安な気持ちとか抱えて潰されそうになってない?心配だよ。」
ヤバい、泣きそう。ばあちゃんが亡くなった時も、慰めてくれたな。本当に大切に思ってくれてる気持ちが伝わる。
「・・・やっぱり、少しだけでも逢いたい・・・。」
「もちろん良いよ。明日泊まりにおいで。迎えに行く。」
何とか気持ちを落ち着かせて香月の部屋に戻り、布団に入る。
常夜灯を見つめていると、香月が話を切り出した。
「で、何があったんだよ。捨て犬。」
迷子犬だし、と言いながら何から話せば良いのか悩む。
「なんか、ショックにショックが重なって・・・。
どっちから話せば良いんだろ。」
じゃあ、雨の中にいたきっかけから、と言うので、病院で起こった母親の件を説明した。
「そっか。前に咲樹が、母親がいなくなったのは、何か理由があったんだと思うって言ってた。」
咲樹はそういうことも香月に話していたのか。二人の信頼関係が羨ましい。
「他に好きな人ができて、とか、育児が嫌になって、とかの理由だったら、嫌いなままで済んだんだ。あの話を聞くと、だいぶ追い詰められてただろうし。」
言葉に詰まる。自分はどうしたいのか分からない。
「どうしたいか、すぐ答えを出す必要はないよ。お母さんやお父さん、お祖母ちゃんの気持ちも考えてあげるだけで、その三人は救われると思う。
どうしたいか、じゃなくて、朔はどう思ったの?お母さんが去った理由を聞いて。」
どう思ったか。
見捨てられたわけではなかった。産むんじゃなかったって思ってしまうほど追い詰められても、育ってほしいという願いで、お父さんとお祖母ちゃんに託した。
「愛されてないわけではなかった、ってことは、単純に嬉しかった。咲樹が大怪我したのを知って、飛んでくるぐらいには俺たちのこと気にしてたんだって。」
母親から愛情を受けていないってことを突きつけられるのが怖くて、今まで聞けずにいたんだ。
「たぶん、咲樹も同じだと思う。話してあげてね。」
香月は本当にいつも咲樹のことを考えている。「言われなくても話すし。」と、少しガキっぽい返しになってしまった。
「もうひとつは?」
無言が続き、しびれを切らした香月が急かす。
「甲斐先生から電話があってさ。
俺が週一で通ってるボイトレがしばらくなくなるって。前回も行けてないんだけど。」
香月は意味が分からないぞ、という顔をしている。
「うん。そんなに大事なの?ボイトレ。」
言いづらい。でも言いたい。
「ボイトレの先生、女の先生なんだけどさ。悪阻が酷いんだって。妊娠したらしい。」
香月はまだ意味が分からないぞ、という顔をしている。
「うん。体調悪いなら仕方ないよね。何でそれで悩んでるの?」
沈黙が続く。耐えきれずにため息が出る。
「・・・なんとなく、分かった気がするんだけど。その先生は既婚者なの?」
さすが察しが良い。
「うん。旦那さんも後から知り合いになった。めっちゃいい人でさ。駅前の楽器屋さんやってて、甲斐先生の元バンド仲間。」
今度は香月がため息をつく。
「一回だけなんだ。旦那さんとの仲がギクシャクしてて寂しいって、押し倒してきて。その人、ほんとに女の武器を使ってくる人だから、俺も流されてしまい・・・。」
後悔ばかりが募る。避妊具は付けたのかと聞かれ、正直に付けてないと言った。
「え、中じゃないよね。」
「それはさすがに外だけど。経口避妊薬飲んでるから心配するなって言われて・・・。」
香月に頭を叩かれ、「自分の身は自分で守れよ。」と言われた。
「お前に防犯ブザーをもらった後、ちゃんと話して、ほんとにそういうことはその一回きりなんだけど。
どうしよう。俺、正直お父さんになる決意とか無いよ。」
「普通に旦那さんとの子どもだろ。
ちゃんと計算してみよう。いつしたの?」
十二月の前半だった。それでできていれば四ヶ月は経っている。妊娠中のからだの変化をググる。
「悪阻がひどくなるのは三ヶ月だって。時期がけっこうずれてるし、旦那さんの子だろ。」
少しほっとした。明日、本人にちゃんと聞こう。
「これで寝れる。ほんとにありがとう。」
なんかすごく疲れた。香月がいなかったら俺は今頃どうしてたんだろう。
「童貞には刺激が強すぎる話だったわ。
今度のプレゼントは何にするか決まった。」
すごく気持ちが軽くなった。
「あと、明日はユズの、あ、先輩の家に泊まることにした。」
「そうなんだ。それって、前に言ってた初キスの人?付き合うことにしたんだね。
まあ、その人なら安心かな。癒されてこいよ。」
香月は気持ち悪いとか思ってないのかな。自然に接してくれる。
「ありがとう。実は、期間限定で付き合ってる。ユズにお前の事紹介したい。お前にもユズの事紹介したい。」
「良いじゃん、紹介してよ。朔のセクシャリティを崩壊させた人、見てみたい。」
誰にも内緒にしておかないといけないと思っていたので、嬉しい。明日が楽しみ。
翌日、咲樹のお見舞いで女子が病室にいる間、篠田先生に電話をして真相を確かめた。
「あの、俺の子どもじゃないですよね?」
『やだー。違うわよ。ちゃんと旦那の子ども。朔くんには感謝してるの。
あの時ちゃんと叱ってくれなかったら、子どもも出来てなかったかも。ありがとう。』
ほっとして電話を切ると、藤原さんがこっちを見ていた。
やべっ、聞かれた!
「あの、これは・・・。」
藤原さんはプイッと視線を外して行ってしまった。この先、彼女に好かれることは無いのかもしれない。
ユズは病院まで迎えに来てくれて、咲樹のお見舞いもしてくれた。
「竹下先輩!お久しぶりです。すみません、朔がお世話になります。お見舞いまでしていただいて・・・。」
「そんな、恐縮しなくて大丈夫だよ。ゆっくり休んで治してね。無事でほっとしてる。」
咲樹にも優しい言葉をかけてくれてありがたい。やっぱり心のどこかで、俺はなんで女に生まれなかったんだろうって思ってしまった。
病院の建物を出て、香月とユズのお互いを紹介する。
「こちらが今、お付き合いしている弦です。こちらは咲樹とお付き合いしている香月です。」
どうも、とお互いにお辞儀をしている。特に香月はユズの事をめっちゃ見ている。
「朔は俺たちの関係をオープンに出来るお友達に恵まれて良かったね。俺はなかなか理解を得られそうにないよ。」
「俺も、香月にしか言えない。本当に良い奴だから。」
「理解してるかどうかは分からないですけど、朔はあなたの事を話している時、ほっとした顔しますよ。落ち着ける存在なんだなって思います。
期間が決まってるって聞きましたけど、大事にしてあげて下さい。
朔は本当は、とても繊細だと思います。」
ユズは「もちろん、ありがとう。」と言って香月と握手をした。
ユズの家に入ると、お母さんが心配そうに駆け寄ってきてくれた。咲樹の事も、家族が事件に巻き込まれた俺の事も凄く心配してくれて、こういうお母さんがいたから、ユズはあんな感じなんだなって思った。
三人で囲んだ食卓も、お母さんは嬉しそうだった。人がいるのが嬉しいのかな。
お風呂を済ませて就寝体制に入る。ユズのベッドの下に布団を敷いた。
電気を消して読書灯をつけると、ユズは俺が寝る予定の布団の上に座る。
その隣に座ると、ぎゅっと抱き締めて背中を擦ってくれた。
「辛かっただろ?俺だったら耐えられないかも。よく頑張ったね。」
その言葉で、俺の涙腺が崩壊して、涙が止まらなくなった。
「咲樹が刺されたとき、頭が真っ白になった。もし、咲樹が死んだら、俺はまた残されて置いていかれるから。
恐かった。本当に・・・。」
ユズは俺の涙が治まるまで、ずっと抱き締めて背中を擦ってくれた。
こんなにも、内面を見てくれる人はいない。
「朔・・・。そんなんじゃ、俺はお前の事が心配で北海道に行けなくなっちゃうよ。」
「ごめん。ユズには弱いところばかり見せちゃうな。来年の誕生日までには強くなるから。
ばあちゃんが死んだときも強くならなきゃって言ったけど、変わってないのかな。」
ポンポンと撫でられる背中のリズムが心地良い。
「そんなこと無いよ。朔は強くなった。俺も、強くならなきゃな。
離したくなくなる。」
ふぅっと深呼吸をして体を離す。
「ありがとう。落ち着いた。そろそろ寝なくちゃ。」
「はい、じゃあ、添い寝。」
「もぉ、こんなところお母さんに見られたらどうするの?」
「うちのドア引戸だから、突っ張り棒してある。急に開けられることはないよ。」
用意周到だな。さっきの抱擁も、見られたらまずいか。
ユズの隣に横たわると、読書灯を消す。泣いたら疲れた。
ユズはまた、布団の上からポンポンと撫でてくれる。
「あと、衝撃的なことが二個あった。」
「何?」
母親が出てきたことと、俺の子の妊娠疑惑を打ち明ける。昨日、雨の中で香月に拾って貰ったことも話した。
「それは大変だったね。俺の事も頼って欲しかったけど、まぁ、笹蔵くんが来てくれて良かった。
お母さんの事は戸惑うと思うけれど、ゆっくりで良いから向き合っていけば良いと思う。朔がずっと寂しい想いをしていたことは紛れもなく事実だし。
妊娠疑惑は、結果としては良かったけど。なんか、複雑な気持ちだな。」
「ユズは、その、セックスはしたことあるの?」
「無い。しようとしたことあったけど、勃たなかった。」
太ももの辺りにユズの固くなったものが当たっている。俺には勃つんだな。
繋がることなんて出来ないのに。
「後悔してない?俺との事。」
不安そうな声が聞こえた。
「してないよ。いつの間にか好きになっちゃってた。」
「初めて好きって言ってくれたね。」
布団の中で抱き寄せられる。
「そうかな。たくさん悩んだけどね。あと、太もものところ、当たってるよ。
体を求められても応えられないからね。」
「うん、ごめん。好きなんだよ。
どうしようもないくらい。
本当に、どうしようもないのに。」
「うん。分かってる。」
その夜は、キスに応じていたらいつの間にか眠っていた。
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