22. Close to you
「はい。あさひ総合病院救命救急センターです。」
他のスタッフが出払ってたため、その電話に出たのは私だった。勤務歴が長いため、救急隊員には声でわかってもらえる。
「佐倉先生!今、出動中でまだ現場に着いていないのですが、通報してきたのが先生の息子さんで、先生に連絡入れてほしいと頼まれました。
・・・学校で娘さんが不審者に刺されたそうです。」
頭が真っ白になる。
凶器は何か、どういう状態なのか、聞きたいことは山ほどあるが、現場に着かないことには何も分からない。
地に足が着かない状態で次の連絡を待つ。
娘が運ばれてくることを仲間に伝え、持ち場を調整してもらった。
運ばれてきた咲樹は、意識を失っていた。出血性ショックだと思われる。
付き添ってきた朔のすがるような目と目が合う。
一緒に運ばれてきた笹蔵くんは、手に血液が付着していて、意気消沈していた。ネクタイをしていなかったので、刃物を固定してくれたのは笹蔵くんだろう。
そこから必死で処置にあたり、外科に引き渡すと、娘が大怪我を負った悲しみと、犯人への憤りが込み上げてきた。
手術中は、私も朔と笹蔵くんと一緒に家族待ち合いで待機した。咲樹は、きっと無事に戻ってきてくれる。
目を瞑ると、二人が生まれたときのことを思い出した。
多胎妊娠の場合、早産や低出生体重の確率はかなり高いけれど、朔と咲樹は出産予定日の十日前に、約二千七百グラムで産まれた。先に朔が、その五分後に咲樹が出てきた。
『よかった、無事に産まれた・・・。』
『お疲れ様。ありがとう、百香。大切に育てような。』
朔をカンガルーケアしている間、咲樹を抱っこする。軽すぎて緊張する。
『咲樹ちゃん、初めまして。お父さんだよ。』
名前は妊娠中に決めておいた。私の声が聞こえたのか分からないが、泣き止んでこっちを見ているような気がした。
何があっても、守っていくからな。
カンガルーケアを朔と交代し、朔を腕に抱いた時も同じことを思った。産まれた瞬間から、いや、産まれる前からこんなにも愛しい。母さんも涙を流して喜んでいた。
そして二人はすくすくと成長していった。初めての寝返り、初めてのハイハイ、初めてのタッチ、初めてのアンヨ・・・。
どれもが可愛らしくて、目に入れても痛くないというのは本当なんだなと思った。
百香と母さんと、力を合わせて幸せな家庭を築いているはずだったのに・・・。
「おとーしゃん、おかーしゃんはどこにいるの?なんでかえってこないの?」
「おかーしゃん!おかーしゃん!」
百香がいなくなってから、特に朔は泣いてばかりで、咲樹はそんな朔を慰めていた。
「シャク!ないちゃだめでしょ!ばばちゃんがこまっちゃうでしょ!」
咲樹はいつも家族のことを心配して、我慢することも多かっただろう。
母が亡くなってからも、落ち込む朔を励まして家事を率先してやってくれた。あんなに優しい子が、なんでこんな目に遇わなきゃいけないんだ。
こんなところで死なせたくない。まだこれからなんだ。
まだ高校生だぞ?
もうすぐ学校が終わって、人生はこれからなんだ。でも、それでも亡くなっていく人がいることはよく知っている。
だから祈るしかない。
どうか、咲樹が死にませんように・・・。
手術は無事に終わった。ニュースに名前が出たため、私は心配した親戚衆からの連絡への対応に、朔は友達関係からの連絡の対応に追われた。
咲樹が目を開けたときは、安堵の一言だった。咲樹はまず怪我したことを謝ってきた。そんなこと、謝らなくて良いのに。
「大丈夫だよ。しっかり治そう。」
娘の怪我を治すことが出来る。医者になって良かった。
落ち着いて仕事に向かうことができるというのは、本当にありがたいことだと感じた。
その日の夕方。総合案内が閉まっているため、夜間外来の窓口で咲樹の病室を問い合わせてくる人がいると連絡が入り、確認に向かうと、記憶の彼方に追いやっていた影が目の前にあった。
「百香・・・。」
十四年前に姿を消した妻だった。
「亮介さん、咲樹は・・・。」
突然現れた姿に戸惑いながらも、とりあえず朔に見られないように面談室へ案内する。
心配してきたとのことだったので、咲樹の状況を説明すると、安心した表情に変わった。
「ごめんなさい。十四年も放ったらかしておいて、ノコノコ出てきて。
ニュースで事件のこと知って、いてもたってもいられなかったの。」
記憶の中の彼女より、やはり歳を取っている。
「今も医師なのか?」
「ええ。アメリカから帰ってきて関西の病院で勤務してる。子どもを放ってまでしている仕事だから、辞めるつもりはないわ。今は、科長職よ。」
そう言って、名刺を差し出される。
小児外科長と肩書きがあった。
名前はまだ、佐倉百香だった。
「お義母さんは・・・?」
生きていれば八十歳を過ぎている。
高齢という理由からも、彼女と母の関係からも、どうしているかという問いは簡単に出来ないのだろう。
「母さんは、四年前に亡くなったよ。手紙を残してた。百香にも、本当にごめんなさいって。」
そう、と俯く。
あの時、どうしていれば家族の関係を守れたのだろうか。答えは見つかっていない。
「・・・離婚は、しなくて良いのか?」
自然に浮かんだ疑問だ。
「あなたこそ、いいの?言い寄ってくる人いるんじゃない?」
私はもう、誰とも再婚するつもりは無いことを伝えた。
「私も再婚は全く考えていない。」
まだ気持ちは残っているのだろうか。
残っていたら、どうなる?
「子どもたちが高校を卒業したら、君が何故家を出ていったのか、話そうと思っている。
出来れば、詳しく話してくれないか。」
私も、百香が家を出ていった真相はよく知らなかった。母さんに何か言われていることは気付いていたが、それが原因なのかは分からなかった。
百香は少し考えてから口を開く。
「私、あなたと恋をして、結婚して、子どもが生まれて、本当に幸せだった。お義母さんも良くしてくれて、仕事も頑張りたかったの。
医師になるにはストレートでも大学で六年、研修期間とその後に専門の勉強をして、一人前の医師になるには本当に時間がかかる。
医師になるのが夢で、そのためには努力を惜しまなかった。」
大学時代の百香を思い出す。夢に邁進している姿は、輝いていた。
「大学であなたに出会って、恋をして、プロポーズされて結婚したのが二十八歳。
やっと一人前の医師として活躍できるというところで妊娠、出産。
育児はお義母さんがバックアップしてくれるって言ってくれたけど、乳飲み子がいるのになんでそんなに帰ってこれないのか、とか、母親としての自覚はあるのかって言われて、正直堪えてた。
朔と咲樹のことは本当にかわいかったし、許される時間はすべて二人のために費やしても惜しくなかった。夜泣きもせず良い子達だった。
子守唄に『Close to you(Carpenters)』を歌うと、すぐ寝てくれてたわ。」
百香は、思い出して少し涙ぐんでいるようだった。
「でも、朔が急に高熱を出して、咲樹も一緒に具合が悪くなったとき、私はオペに入っててすぐに駆けつけることができなかった。
大事には至らなかったけれど、お義母さんに『子どもより仕事の方が大事なの?あなたから愛情を感じられない。仕事はやめれないの?』って言われて。」
知らなかった。
家庭を省みなかった自分の配慮の無さが虚しくなる。
「ショックでおかしくなりそうで。
夜、寝ている二人を見て、『この子達さえ産んでいなければ。』って思ってしまった。
・・・ハッとしたわ。
私はこのままでは、大変なことをしてしまうんじゃないかって不安になったの。
仕事を辞めたとしても、『この子達さえ産んでいなければ』夢を叶えて医師として活躍できていたかもしれないって後悔すると思った。
お義母さんは朔たちを本当に可愛がってくれていたし、あなたも子煩悩だから、私がいなくなっても立派に育ててくれると思った。
だから、私はアメリカへの研修プログラムに内緒で申し込み、あなたたちの元を去った。」
百香は涙を流した。
「本当は、みんなでディズニーランドに行ったり、運動会でビデオを撮ったり、母の日に似顔絵を貰ったり、普通に親子をやりたかった。
仕事か育児か選べって言われても、両方選びたかったの!
ごめんなさい。
本当に、ごめんなさい・・・。」
思わず、彼女を抱き締めていた。
知らず知らず、彼女にばかり辛い想いをさせてしまった。
彼女だけではない。子どもたちにも、義母さんにも。
「百香。すまなかった。本当に・・・。」
突然、面談室の扉が開く。
「・・・朔っ!」
朔は、中に入らず、走って行ってしまった。
すぐに追いかけて、病院の出入り口の外で腕を掴む。
「なんで・・・、なんで今まで教えてくれなかったんだよ!
これじゃ、母親のこと憎めないよ。
俺たちのこと放ったらかしてどこかいっちゃう母親なんか、嫌いになりたかった!」
朔は腕を振り払って雨の中を走って行ってしまった。
百香が出ていって、一番ダメージを受けていたのは朔だった。
来る日も来る日も玄関の前で座っていたし、夜寝る時も誰かが手を握っていないと寝付かなくなった。
もっと早く、百香を探すべきだった。他に男がいるんじゃないかという考えが過り、勇気を出せかった自分が情けない。
ため息をついて振り返ると、百香が泣きながら朔の後ろ姿を見つめていた。
「やっぱり、出てきちゃダメだったわね。」
「そんなこと無い。あの子達にとって、たった一人の母親なんだ。
今からでも関係を修復出来ないだろうか。
親子だけじゃなくて家族も夫婦も。」
百香は驚いている様子だ。
「私の事、許してくれるの?」
「許すも何も、百香だけが悪い訳じゃない。子どもたちにもちゃんと話そう。」
百香はまた泣き出した。
「亮介さん。本当にごめんなさい・・・、ありがとうございます。」
咲樹が大怪我したことにより引き逢わされた。
これも運命なのかもしれない。
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