21. くだらないの中に

 日付が変わり、深夜二時。

 咲樹のお父さんは専門外のため手術には立ち会わず、途中からは一緒に経過を見守っていた。

 咲樹の叔母さんにはお父さんが帰宅を勧め、家族待合室には三人が残った。


「笹蔵くんの怪我は大丈夫なのか?」


 左足の太ももの怪我は、全治一ヶ月との診断だった。松葉杖を使うほどではなかった。実の娘がこんな状況の時に、俺の怪我の具合まで心配してくれるお父さんの優しさが沁みる。


 家族待合室に、ICUに移動するように指示するアナウンスが流れる。朔はすぐに荷物をまとめ、みんなで足早に移動した。


 ICUで、酸素吸入器をつけられて眠る咲樹の姿を確認すると、少しずつ、体温が戻ってきたような感じがした。

 ちゃんと呼吸をして、生きている。


「佐倉先生、この度は娘さんがこんなことになって、何と申し上げれば良いか・・・。」


 手術着のまま、外科の先生がやってくる。詳しい話をするから、と面談室に通された。

 朔に、俺は外で待っていると言うと、一緒に来いと言ってくれた。


「咲樹さんですが、かなり出血していました。全体の血液の約二十%程の出血があったと推定されます。刃物が抜かれずに固定されていたのはよかったです。

 手術はとりあえず上手くいきましたので、合併症などを気を付けながら経過を見ていきます。命に別状はありませんし、少し腸を損傷していますが、上手く治療できれば後遺症もなく回復できるでしょう。

 今は麻酔が効いてるので、朝十時頃に目が覚めると思います。今日は少し顔を見て、一度ご帰宅ください。」


 命に別状がないことと、後遺症もなく回復できる見込みがあると言うことを聞いて、皆で胸を撫で下ろす。

 お父さんが深々と頭を下げると、外科の先生も、「いやいやそんな。」と言って頭を下げた。


 ICUに入り、咲樹のそばに行く。穏やかに眠っているようだった。

 お父さんはICUの看護師の人と話をしている。

 咲樹の顔を見つめていると、涙が出てきた。朔が肩に手を添える。


「初めて見る咲樹の寝顔は、こんな予定じゃなかった。こんな風に見るなんて想像してなかった。」


 朔はそのまま背中を優しく叩いてくれる。


「良かった、無事で。咲樹も、お前も。」


 朔のやさしい言葉に涙が溢れた。

 きっと、朔も泣きたいはずなのに、申し訳無い。

 


 翌日。

 俺は学校を休み、病院へ来ていた。咲樹の具合が気になる。目覚めただろうか。

 しかし、中に入ることが出来ない。自分を庇って刺された咲樹に、どう顔を会わせれば良いか、心の準備が出来ていない。

 ICUの前で突っ立っていると、咲樹のお父さんがやって来た。


「笹蔵くん。来てくれていたんだね。一緒に入ろう。」


 促されて一緒にICUに入る。咲樹はまだ眠っていて、お父さんは、ICUの看護師さんに状況を聞きに行った。


 ベッドの横の椅子に腰を掛けて、手を握る。

 温かい。

 最後に手を握ったのはいつだったかな。

 今年に入ってからは、咲樹が隙を見て、一瞬だけぎゅっと握ってくれることがよくあった。そんなことを思い出していると、咲樹の手に少しだけ力が入ったような気がした。


「咲樹?」


 握る手に力を込めて、咲樹を見つめる。ゆっくりと目が開いて、視線が合った。

 慌ててお父さんを呼ぶ。


「咲樹!良かった。」


 お父さんは咲樹の頭を撫でて、涙ぐみながらほっと頬を緩める。


「・・・お父さん、ごめんなさい。怪我しちゃった・・・。」


 咲樹はゆっくりと口を開く。お父さんは頷いて、「大丈夫だよ。しっかり治そう。」と言った。

 お父さんは呼び出しがかかり、ERに戻っていった。呼吸もしっかりしているということで、酸素吸入器は外された。

 ベッドの横で、咲樹を見つめる。


「怪我、大丈夫?」


 咲樹が俺のことを心配している。


「咲樹のに比べたら、こんなの擦り傷だよ。すぐ治る。」


 ほっとした表情で、目をそらす。

 なんて言葉をかけて良いか分からず、沈黙が流れる。

 


 検査のため席を外すように言われてICUを出ると、楽器を背負った男の人がこっちを見ていた。


「君、咲樹ちゃんのお友だちだよね。彼女のことが心配で来ちゃったんだけど、具合は・・・。」


 不信な目で彼を見る。ちょうど朔がやって来て、その男の人を見て挨拶をした。


「たっくん!心配してきてくれたんですか?」



 朔は家族への説明や、病室のことなどで事務課に呼び出され、「たっくん」と二人で中庭のベンチに腰かける。

 たぶんこの人が咲樹の初恋の人だ。


「あ、僕は矢野って言います。咲樹ちゃんが中学生の時にギターを教えたことがあって。

 ニュースで事件のこと知って、とりあえず、無事が確認できて良かったよ。

 報道って、怪我した時はニュースにするのにその後どうなったかって伝えてくれないから。もう少し落ち着いてから来た方がよかったかな。」


 俺に話しかけてるんだと思う。なんて返事をして良いか考える。


「さっき、咲樹ちゃんと話せたの?」


 まぁ、と頷く。


「君、咲樹ちゃんの恋人なんだよね。去年、デートしてるとこ見かけたんだ。そのしばらく後に駅でばったり会ったとき、彼氏はいるのか聞いたら、まだいないって言ってたから、どうなったのかなって思ってて。」


 デート?

 咲樹とデートをしたのはカラオケに行った、たった一回だけだ。あの後ばったり会っていたのか。


「そんなこと知ってどうするんですか?」


 矢野さんの会話の意図がよく分からない。


「恋人だったら、彼女が一命をとりとめて会話をした後なら、少しは嬉しそうにするかなって思って。

 もし、チャンスがあるなら僕は彼女に想いを伝えたい。」


 矢野さんは、咲樹のことが好きなのか。もし、矢野さんが咲樹に言い寄ったら、咲樹はどうするのだろう。


「でも、前にフラれたも同然の出来事があったし、いや、あれはフラれたんだと思う。

 彼女が僕を選ばなくても、彼女が幸せならそれでいいんだ。だから、彼女が君のことを好きで、君も彼女のことを好きなら、君に彼女を幸せにしてほしい。」


 矢野さんの言葉が胸に刺さる。どうすれば彼女を幸せにできるのか。


「俺を庇って刺されたんです。

 だから、咲樹にどう接して良いか分からなくて。」


 素直な気持ちを吐露すると、矢野さんに「ちょっとおいで。」と言われ、病院の屋上に連れて来られた。


「ここさ、人いなくて良いんだよね。前に足を骨折して入院したときよく来てた。」


 そう言って、矢野さんは背負っていたカバーからアコースティックギターを取り出す。


「もし、君が咲樹ちゃんの立場だったらどう思う?咲樹ちゃんを庇って刺されたとして、その事に責任を感じて悲しい顔ばかりしてほしくないだろ。」


 矢野さんはギターを弾きながら歌い始めた。


「♪髪の毛の臭いを 嗅ぎ合って 臭いなって ふざけあったり・・・」


 いつだったか、咲樹にドライヤーをかけてもらったことを思い出す。


「♪日々の恨み 日々の妬み 君が笑えば解決することばかり・・・」


 咲樹の笑顔を見たい。

 いつもの「ふふっ!」っていう笑い声をもう一度聞きたい。

 俺が笑わなかったら、咲樹の笑顔を正面から見ることは出来ないよな。


 ため息が出た。胸が熱い。

 咲樹が初めて好きになっただけあるな、この人、と正直に思った。

 ただ、笑っていてほしい。咲樹も、俺に笑ってほしいって思ってるはずだ。

 

 朔から、普通病棟に移ったと連絡が入った。矢野さんと一緒に病室へ向かう。


 藤原さんのお父さんのご厚意で、少し広い個室に入っていた。中に入ると、朔が咲樹に飲み物をあげていた。


「あれ、打ち解けた?」


 俺と矢野さんを見て朔が笑う。咲樹は意識もはっきりして、表情もしっかり出ていた。


「咲樹ちゃん!良かった。これ、お見舞い。入院中暇だろうから。あと、借りてた千円。」


 矢野さんはiPodを渡す。咲樹は「千円はあげたつもりだったのに。」と嬉しそうに笑った。


 矢野さんが帰るとき、朔が見送りに行ったので、咲樹と二人きりになる。


「咲樹。ずっと暗い顔ばかりしていてごめん。庇ってくれてありがとう。

 でも、無茶してほしくなかった。無事で良かった。」


 自然に笑顔が出ると、咲樹は泣いてしまった。


「良かった。笑ってくれて。」


 手を握ると、「ふふっ!」と笑ってくれた。


「刺されたの初めてだったけど、痛いっていうより、熱いって感じがするんだね。

 出血もたくさんすると、本当にふわふわしてくるし。本当に死ぬのかな、なんて思っちゃった。

 でも、香月が抱き締めてくれてて、幸せな気持ちだった。」


 リアルな感想の後に、愛の告白のような話を聞かされ、照れて恥ずかしくなる。

 いつの間にか朔がいて、「もうイチャイチャしてんのか?」と嬉しそうに茶化してきた。

 咲樹は、「香月が矢野さんと一緒にいてビックリした。」と話しかけてきたので、「あの人でしょ?咲樹の初恋の人。」と言うと、なんで知ってるの?という顔をする。

 すっかり、嫉妬心は失くなっていた。


「すごく良い人だった。咲樹が好きになるのも納得というか。気持ちが移らないように、俺も頑張る。」


 咲樹は赤くなって、「私も頑張らないと。」と呟く。そんな咲樹がかわいくて、朔の目を盗んで頬にキスをした。


「退院したらたくさんデートしたい。たくさん甘えて欲しい。もっと一緒にいたい。あと・・・」


「分かった、分かったから!言葉にされると恥ずかしいから・・・」


 咲樹はものすごく照れて布団を被ってしまった。


「今のは俺も恥ずかしくなっちゃった。

 何、たくさん甘えて欲しいって。どうやって甘えるの?」


「だって咲樹は、いつも皆のために頑張ってるから。たまには自分のために、自分自身を甘やかすこともして欲しいな、って思って。

 ご飯作るのとか俺でも出来るし。

 うーん、頼って欲しいってことかな。」


「なんだ、そういう意味ね。抱き締めて頭ナデナデして、っていうのを想像しちゃった。」


 咲樹はどう思ったかな。


「いや、そういうのも大歓迎だよ。いつでも甘えてね。」


 咲樹は布団から顔を出してくれない。


「照れてるんだな?咲樹は乙女だからな。」


 早く抱き締めて頭を撫でてキスしたい。

 怪我や病気が早く治るおまじないを朔に教わり、一緒にかけた。

 早く治りますように。

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