20. やさしいキスをして

 年度が明けて、進級した。うちの高校はクラスがそのまま持ち上がるため、クラス替えはない。また、いつもの日々が始まる。

 朔は最近、勉強も頑張っている。俺も恋にうつつを抜かしてはいられない。この学校は進学校なので、勉強も厳しめだ。


 部活に行くと、入部希望者が見学に来ていた。動画投稿効果でたくさん来るかと思ったら、二人だけだった。

 希望のパートを聞いて、自己紹介をしてもらう。一人は男の子でギターパート希望の瀬崎蓮くん。アコギは弾けるらしい。もう一人は女の子で、ドラムパート希望の山本みくさん。中学校では吹奏楽部でパーカッションをしていたそうで、ドラムやその他の打楽器はだいたい演奏できるけど、バンド経験は無いらしい。希望を尊重してそれぞれのパートに配置することになった。


 楓くんの教え方は意外と上手で、山本さんは経験もあることから呑み込みが早い。瀬崎くんはアコギの経験はあるものの、真剣に練習しているのか疑問だった。はっきり言って咲樹にベタベタしている。

 先輩なのに「咲樹ちゃん」と呼んでいるのが気に食わない。咲樹は何とも思わないみたいで、ギターのテクニックを教えている。ため息をつくと、朔が近寄ってきた。


「なにヤキモチ妬いてるんだよ。かわいい後輩だろ?」


 ヤキモチを妬いているのは自覚している。

『付き合っていない』ということがこんなにも不安な気持ちにさせるのかと思った。



 そんな瀬崎くんでも、少しずつだがエレキギターも弾けるようになってきた。古株メンバーでノルマの動画を撮影したあと、パート練習に入り、咲樹と瀬崎くんは談笑しながら進めている。

 話を聞いていると、瀬崎くんは咲樹のお父さんが勤めている病院の院長の孫で、お父さんは後を継ぐらしい。ということは、ゆくゆくは瀬崎くんも病院を継ぐということだろう。ただ、そんな繋がりがあるというだけで、少し気に入らなかった。

 さらに、初恋の話までしていた。


「咲樹ちゃんは初恋はいつなの?誰に?」


 てっきり自分のことを言ってくれると思っていたら、違った。


「中二の時、ギターを教えてくれたお兄さん。」


 へぇー、という瀬崎くんの声が小さく聞こえる。

 誰だよ、それ。


 自分の醜い感情が涌き出てくるような感覚。その後、咲樹のことを少し避けてしまった。

 


 次の日、登校するときに朔と咲樹に会った。

 咲樹と普通に接することができない。咲樹が笑いかけてくれても、顔を背けてしまった。

 え?という表情までは見えたけれど、咲樹は先に行ってしまった。


「お前どうしたんだよ。なんか、可哀想だったぞ。」


 朔に咎められる。自分でも分からない。咲樹にそんな顔をさせたいわけではない。


「朔は、咲樹の初恋の人とか知ってるの?」


 気になって聞いてみる。聞いたこと無い、と言うので、中二の時にギターを教えてくれたお兄さん、と話すと「あぁ、もしかして、たっくんかな。」と思い出した。詳しく聞くと、矢野匠さんという人で、今は全然連絡をとっていないらしい。

 とりあえず謝れよ、と言われる。しかし、また醜い感情が顔を出す。だいたい咲樹が、ベタベタしてくる瀬崎くんに真面目に対応するのがいけないんだとか、初恋の話なんか俺がいる前で話すからいけないんだとか思ってしまった。


 すぐに謝ろうと思っていたのに、タイミングを逃してずるずると二週間も、ぎくしゃくした空気のまま過ごした。

『なんで怒ってるの?』というメッセージも既読スルーしたままだ。早く謝らないと取り返しがつかなくなると、焦燥感だけは募った。



 部活が終わり、みんなで歩いていると藤原さんに会った。


「椿!どうしたの?こんな時間まで部活?」


 咲樹が話しかけると、「もうすぐ展示会があるの。」と言って校門まで一緒に行こう、と並んで歩き出した。藤原さんには迎えが来る。

 朔は特に話しかけたりせず、姿を確認すると俺の後ろで楓くんと話をしている。藤原さんのことは少し諦めモードかな。もしかしたら、例の先輩と付き合い始めたとか。



 もうすぐ校門というところで、黒づくめの男が走ってきた。手には光るものが握られている。

 皆は話に夢中になっていて気付いていない。藤原さんを目掛けて走ってくる。

 不審者に気づいた藤原さんの運転手さんが慌てて車から降りて走り出したけれど、黒づくめの男は藤原さんのすぐ傍まで迫っていた。


 俺は咄嗟に「藤原さん!」と叫び、彼女を突き飛ばした。すると黒ずくめの男が刃物を振り回す。


「邪魔するんじゃねー!」


 狂気に暴れる男が振り回した刃物が俺の太ももに当たり、倒れてしまった。

 山本さんが「きゃーっ!」と叫んだと同時に刃物を振りかざされ、無意識に腕で頭をかばった。



 咲樹が「ダメ!」と叫んだ後、投げた鞄が犯人に命中した。すると、逆上した犯人は咲樹に標的を変更した。

 俺は太ももに力が入らなくて動けず、朔と楓くんと藤原さんの運転手さんが走ったけれど間に合わなかった。

 その瞬間は俺の位置からは良く見えなかった。


 呻き声が微かに聞こえた。

 咲樹が倒れ込んできて受け止めると、お腹に刃物が刺さっていた。

 男は後ずさったところで、楓くんと藤原さんの運転手さん、騒ぎを聞き付けた先生たちによって取り押さえられる。


「咲樹っ!やだっ、しっかりして!」


 藤原さんが駆け寄り、朔が救急車を呼ぶ。


「咲樹、咲樹!なんで・・・。」


 咲樹のお父さんが前に熱弁していた『テロに遇ったときの対処法』がフラッシュバックする。


『大量出血しているときは、血液をできるだけ外に出さないようにして、出血による致死率を下げるんだ。刃物が刺さっている場合は抜いたらいけない。』


 ネクタイをはずして藤原さんに渡し、これ以上切れないように刃物に巻き付けてもらう。何でこんなことに。


「香月。腕を出したらダメだよ。楽器が、弾けなくなるかもしれないでしょ。ごめん、力が入らなくて、起き上がれない。」


 俺を庇って刺された。その事がとても辛かった。


「いいよ、そのまま力抜いてて。傷口が広がるから。」


 こんなとき、何も言葉がでてこない。咲樹のお父さんが言っていた、『人間は体内の血液三十%が外に出ると生命に危険が及ぶ。』という言葉を思い出す。

 体内の血液量が一体どのくらいなのか分からない。でも、傷口からどんどん流れ出る血液に、涙が止まらない。咲樹は泣いていない。


「泣かないで。香月のせいじゃない。怪我しちゃったけど、死なないし、たぶん。」


 救急車が遅い。だんだん呼吸が浅く速くなっている気がした。


「このまま死んでも幸せかも。最近、寂しかった。」


「そういうこと、今言わないで。死なないって言ったじゃん。ごめん、すぐに謝ろうって思ってたのに。もう絶対あんな態度取らないし、ずっと大切にするって誓うから。だから、絶対に死なないで。」


 涙が止まらない。朔も、藤原さんも泣いている。やっと救急車の音が聞こえた。


「嘘だよ、死なない。

 朔とお父さんを置いて死ねないよ。

 もう、朔には寂しい思いをさせたくないから。・・・お父さんが、きっと、助けてくれるはず。」


 体が小刻みに震え始めた。救急車の音とは反対に咲樹の意識は遠退く。


「咲樹!咲樹っ!しっかりしろっ!もうすぐ救急車が来るからっ!」


 朔が叫ぶ。流れ出た血液が、滴り落ちる。救急隊員が咲樹をストレッチャーに移し、酸素吸入を施す。

 朔は気丈に連絡事項を伝え、お父さんの病院を指定した。俺も立ち上がろうとすると左足に痛みが走る。

 思ったより深く怪我している。救急隊員に肩を貸してもらい、一緒に救急車に乗って手当てを受けた。


 救急車が走りだし、咲樹の心電図の音が響く。

 朔は涙を拭いながら、咲樹を見つめている。

 俺は血が付いた自分の手を見つめながら、何も考えることが出来なかった。

 


 病院に着くと、咲樹のお父さんが待ち構えていた。救急隊員から、お父さんにホットラインが行ったらしい。


「咲樹、頑張れ!二人とも、あとは私が。」


 お父さんは力強く頷くと、咲樹を乗せたストレッチャーと共にERへ入っていった。

 俺も処置室で消毒と縫合を受けた。縫うほど深く怪我していたことに驚く。手洗い場で手についた血を洗い流すように指示される。なかなかとれない。止まらない血を思い出し、また涙が出てきた。

 


 待合室に行くと、朔が座っていた。近くに行くと、俺に気がついて、腕を見せる。


「輸血用の血、抜いてきた。」


 同じ血液型の朔が羨ましい。


「前にさ、俺が殴られたとき、咲樹が俺よりも怒ってたときがあった。本人が許してるんだから良いだろって言ったら、私が朔と同じ状況だったら許せるのかって、聞かれたんだ。

 そのときは特に何とも思わなかったけど、俺は咲樹を刺した犯人を許すことは出来ない。」


 泣きながら話す朔の声を聞きながら俯く。


「咲樹は、香月のことを庇って刺されたかもしれないけど、それは咲樹が望んだことだ。あのまま香月が刺されてても、咲樹は後悔したと思う。それに、絶対に助かる。咲樹だけは、俺を置き去りにはしない。」


 沈黙のまま時間が過ぎる。朔の言う通りかもしれないけれど、俺は咲樹を被害に遇わせてしまったことに後悔している。

 どうすれば良かったんだろう。どうすれば・・・。


 警察の対応を終えて、甲斐先生と楓くんが駆けつけてくれた。咲樹の荷物を持ってきてくれて、朔に渡していた。


 咲樹の叔母さんも駆けつけた。

 ニュースに流れたらしい。スマホでニュースを見ると、警察が現場検証をしている場面が流れる。

 改めて見ても血の量がすごい。あの時倒れずに逃げていれば、とか、そもそも俺が手を出さなければ、と、タラレバの堂々巡りをしてしまう。


 朔が先生と楓くんに帰宅するように促す。緊急手術がいつ終わるか分からない。また連絡すると伝えた。

 俺は残らせて欲しいと言い、姉に連絡をいれた。


 電話を終えて夜間出入口から中に入ろうとすると、藤原さんと中年の男性が立っていた。


「父なの。咲樹のことが心配で。刺されたのは私たちに関係してるから。」


 藤原さんは泣きながらそう言った。

 朔のところに案内する。朔の叔母さんとも挨拶をすると、藤原さんのお父さんが丁重に頭を下げた。


「この度は・・・。」


 詳しく内容を聞くと、犯人は倒産した会社の社長で、藤原さんのお父さんの銀行から融資を断られていたらしい。そんな銀行のトップに悲しみを味あわせるため、娘の藤原さんを狙ったということだった。

 藤原さんが刺されていれば、咲樹が刺されることはなかったかもしれないと頭をよぎる。


「笹蔵くん、娘を助けてくれてありがとう。」


 藤原さんのお父さんが頭を下げる。その姿を複雑な気持ちで眺めていた。

 

 家族待合室で手術の成功を祈る。朔は咲樹の荷物を整理していた。鞄からスマホを取り出し、ロックを解除する。俺は簡単にロックを解除する朔を見て、え?という表情をしていたらしい。


「お前の誕生日だったぞ。パスワード。」


 そういうエピソードを聞いてしまうと、また涙が出そうになる。

 なんですぐ謝らなかったんだろう。

 寂しい思いをさせてしまったんだろう。

 自分の器が小さいために芽生えた嫉妬心で、本当に大事にしたいものを大事にしなかった。自分で自分が嫌になった。


 朔が「これ、聴いてみろ。」とスマホを差し出した。音楽配信サービスサイトが表示されている。最近聴いた曲に『やさしいキスをして(DREAMS COME TRUE)』が入っていて、咲樹が匿名でコメントをつけていた。

『★★★★★メロディがエグい。運命の恋をしているので、心が震えます。今日が終わるとき一緒にいたい。』


 曲を聴くと涙が止まらなくて、朔に背中を擦ってもらうほどだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る