19. ありがとう
もうすぐ由紀乃が卒業する。出会ったときは何とも思っていなかったのに、今では隣にいないと落ち着かない存在になった。
虐めの現場に遭遇したとき、思わず彼女の腕を掴んで引っ張り出した。そのときの驚いた顔は今でも覚えている。
問題が落ち着いたあと、なかなか吹奏楽部に復帰しない俺を、由紀乃はずっと励まし続けた。責任を感じているからだと思った。
しかし、バレンタインの日に告白され、俺の人生をただ心配してのことだと知り、気持ちが嬉しくてなんとなく付き合い始めた。
虐めを克服した彼女は、自分に自信を持ちはじめて綺麗になっていく。その頃の俺は自分に自信が無くて、彼女は俺には不釣り合いなんじゃないかと劣等感を抱いていた。
甲斐先生に、軽音楽部に入らないかと誘われ、久しぶりにドラムを叩いた。部員の朔、咲樹、香月とは学年が違うもののすぐに打ち解けた。
特に朔はコミュニケーション能力が高い。
初めは少し疎外感があったけど、朔に引っ張られるようにして輪に入ることが出来た。
軽音部での音楽は楽しい。音で会話をするように、顔を見ながら演奏する。たまに咲樹と香月が頼るような目でドラムを叩く俺を見てくるため、兄のような気持ちになった。
暫くして、初めてオーディエンスを入れた演奏を行った。その時、由紀乃も見に来ていた。演奏を終えて話しかける。ドラムを叩いている姿を見せるのは初めてだった。
「すっごいかっこ良かった。やっぱり、ドラム好きなんだね。良かった、音楽に復帰してくれて。」
正直、照れた。今なら胸を張って、彼氏だと名乗ることが出来る気がした。
それからイベントの度に、由紀乃は軽音楽部と一緒に過ごした。他のメンバーとも仲良くなり、特に咲樹とは女子同士で気が合うようだった。
「楓くん、由紀乃さんの卒業祝いとか何かするの?」
咲樹に聞かれて、何も準備をしていないことに気付く。
「何が喜ぶのか、分からない。」
咲樹は一緒に考えてくれる。最近は、スタイリストになりたいと夢を語っている。この前の動画撮影で、朔をスタイリングしたのがすごく楽しかったらしい。
「由紀乃さんは、楓くんのことを『好きー!』って感じだから、何でも喜ぶんじゃない?」
端から見るとそういう風に見えているのかと意外に思った。
「楓くんはちゃんと好きとか言ってるの?」
え?そんなこと頻繁に言うものじゃないだろ、と思い、他のメンバーを見る。香月は密かに言ってそうだな。気持ちが駄々漏れてる。
朔に至っては、いろんな人に言ってそうだ。最近は中性的な雰囲気に磨きがかかり、ぐっと色気が出てきた。特定の恋人とかいるのかな。
思い返すと、好きだって言ったことあったっけ。彼女はただ俺に寄り添い、気持ちを伝えてくれるだけで、見返りを求めてこない。
友達の彼女なんか、「私のこと好き?」とか何回も言ってて、正直ウザいと思ったことがある。
由紀乃のことは好きだ。一緒にいて落ち着く。でも、どうやって言えば伝わるのか。
「俺、好きって言ったこと無いわ。どうやって言えば良いか分からない。」
咲樹は驚いてちょっと怒った。
「えー!?酷い、由紀乃さんが可哀想!練習しよう。ちゃんと言ってあげないと愛想尽かされちゃうよ?」
まぁ、そうかもしれない。
「え、『好きだよ。』?『大好きだよ』?『お前がいないとダメだ』?『愛してるよ』?」
「ねぇねぇ、何で語尾が『?』なの?やる気あるの?」
スパルタだな。ダメ出しされていると香月がやって来た。
「何言ってるんですか?」
不機嫌に呟く。いや、咲樹に言った訳じゃないからと事情を説明すると、ちょっと恥ずかしがってた。
「香月は好きだとか言ってるの?どうやって言ってるの?」
「絶対教えません。」
照れて逃げられた。朔にも聞いてみる。
「そんなの、目を見て言えば良いんじゃん?『由紀乃、ずっと愛してる。』」
俺の目をまっすぐに見て言ってくる。由紀乃というワードが入っただけでちょっとイラッとした。
「お前みたいに言えれば楽だけどな。」
「まさか、好きとか愛してるとか、ちゃんと気持ちも伝えずに体を求めたりしてないよね?」
・・・え?朔の問いかけに、今までのことがフラッシュバックした。
初デートは由紀乃が計画を立ててくれて、遊園地に行った。バレンタインに告白されて付き合い始めた二週間後くらいだったかな。
由紀乃はきっと、服とかヘアアレンジとか、張り切って準備してきたんだと思う。あの時、思ってはいたけれど『可愛いね』って、言葉で言わなかった。
『歩きづらくないの?』
第一声はそんな言葉だったと思う。履き慣れないヒールのある靴で来るもんだから、靴擦れしたようだった。彼女は必死に歩いていたような気がする。
初キスは俺の部屋だった。ホワイトデーを渡すために部屋に呼んだ。健全な男子高校生なので、キスとかエッチとかに興味津々な俺は、率直に『キスしたい。』と伝えた。
由紀乃は恥じらいながら『いいよ。』と言ってくれて、キスを受け入れてくれた。
初エッチは、軽音部の皆で参戦した夏フェスの三日後くらいだった。家でイチャイチャするのに限界を感じ、昼間からラブホテルに行った。あの時はがっついていたな、俺。意外なことに初めて同士で、色々と手間取った。
・・・と、ここまで思い返して『好き』とか『愛してる』って一言も言っていないことを再確認した。
「ごめんなさい。その『まさか』だった・・・。」
朔も咲樹と一緒に怒る。
「それはダメだよー!俺が由紀乃さんだったら別れてるな。」
「私も、そんなの嫌だ!なんで由紀乃さんは我慢してるの?そんな大事にしてくれない彼氏なんて、別れちゃえば良いのに!」
おいおい、大事にはしてる、つもり・・・。別れちゃえば良いとかやめろ。
「ほんとに由紀乃さんの事好きなの?」
咲樹の怒りは鎮まらない。
「うん。別れたくないし。好きとか、どうやって伝えれば良いか分からん。自分、不器用な男なんで・・・。」
「じゃあ音楽で伝えれば良いじゃん。」
朔が何でもないことのように言う。いや、俺、歌苦手だしというと、何言ってんの?という顔をされた。俺たちはバンドだぞと。
「曲は、せっかくバンドで演奏するんだし、SUPER BEAVERの『ありがとう』でどうかな。」
咲樹が提案して、それに決まった。早速練習を始める。動画投稿企画もありながら、みんなが付き合ってくれることが嬉しかった。
迎えた卒業式。由紀乃はとてもきれいだった。これから新しい道に進んでいく希望に溢れている。卒業式の後、音楽室に呼び出す。何かあるの?といいながら、音楽室の扉を開ける。
「由紀乃さん!卒業おめでとうございます!」
朔が花束を、咲樹がプレゼントを渡す。香月は写真を撮っている。由紀乃は涙ぐんでいた。
「由紀乃さん、本当にお姉ちゃんみたいに接してくれて、嬉しかったです。卒業してしまって寂しいですが、いつでも遊びに来てください!」
咲樹が泣きながら由紀乃に抱きつく。ずっとお姉ちゃんでいさせてよ、と咲樹の背中を撫でる姿を見て、愛しいと思った。
咲樹は涙をふいて、楽器を準備する。バンドの前に設けられたひとつしかない客席に、朔が由紀乃を案内した。
「今日は、楓くんの気持ちを代弁する形で歌います。『ありがとう』」
演奏が始まると、出会ってから今までのことが思い出される。
「♪この声も この顔も この夢も この日々も この過去も この道も 哀しさも 一人じゃ 独りじゃ この歌も この夜も この愛も 戸惑いも これからも あなたがいて 僕がいて 意味をもつ・・・」
初めて繋いだ手、デート、キス・・・。それも良いけど、いつもの笑顔が好きだ。
由紀乃を見ると目が合う。やっぱりその笑顔がたまらなく好きだと思った。
演奏が終わり、「それでは、由紀乃さんに餞の言葉を楓くんよりいただきます」と言ってマイクを渡してくる。
「今まで、気持ちを言葉にしてこなかったけど、一緒にいてくれてありがとう。これからはちゃんと言葉にもしていくようにするから、一緒にいて欲しい。愛してるぜ!」
咲樹がきゃー!と照れる。由紀乃が一番驚いていて、ドラムセットまでやって来ると、熱くキスをされた。
「目のやり場に困る。」
香月が照れて俯く。朔と咲樹はガン見している。
「私も、ありがとう。これからもついていくからね。」
由紀乃が卒業してから、少しだけ一人の時間が増えた。でも、今何やってるのかとか、彼女を想う時間も増えた。こんなにも彼女のことを好きだったんだと今更ながら自覚する。
俺はあと一年、こいつらと青春を楽しもうと思う。
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